sweet, and bitter


 お店の制服から着替えて戻ると、いつものように純くんが立ち上がる。
「それじゃあ気を付けてね」
 おじさんに見守られながら並んでお店を出る。こうやって一緒にバイトから帰るのも今日が最後かもしれない。
 学校は今週から3学期が始まったんだけど、ボクは校長先生に相談して授業に出なくてもいいことにしてもらった。
 理由は、春から通う料理の専門学校にかかるお金を稼ぐためだ。
 入学金とか授業料とか、まとまったお金を用意しないとせっかく受かっても通えなくなっちゃうし、どうせ高校の授業なんて受けててもわかんないし。
 それでおじさんと相談して、来週から大衆食堂で普通のお勤めしてる人みたいに朝から夕方まで働く予定になっていた。
 本当はボクは開店からお店を閉めるまで働くつもりだったのに、体を壊しちゃったらしょうがないからっておじさんにも舞佳さんとかにも止められてしまった。
 でも、そうなると全然帰りが危ないような時間じゃないから、こうやって迎えに来てもらう理由もなくなるってわけだ。
「本当に来週からは迎えに来なくていいのか?」
 気持ちを読んだみたいに質問されて、ボクはつい甘えたくなっちゃうのをぐっと我慢して首を振った。
「う、うん、大丈夫大丈夫! そんなに遅くならないし、純くんだって受験勉強あるでしょ」
 ここのところの純くんは来月の大学入試に向けて、毎日遅くまで勉強してるみたいだった。
 さっきもボクのバイトが終わるのを待ちながらかなり真剣な表情で参考書を読んでたし。
 もともと純くんは真面目にコツコツやるタイプだから大丈夫だとは思ってる。
 でも、ただでさえお兄ちゃんのせいで夏くらいまではあまり勉強できなかったらしいのに、これ以上ボクのせいで足引っ張りたくないし。
「……それだと、次に会うのは卒業式になっちまうかもな」
「で、でも、ボクも友達とこのままさよならなんて嫌だし、たまには学校に顔出すつもりだからさ。バ、バレンタインの時とか……」
 バレンタインの時に登校するなんてあからさまだから本当はどうしようか迷ってたんだけど、つい勢いで言ってしまった。
 だって、純くんの声が寂しそうに聞こえてドキってしたから。
 でも、もちろんボクだってしばらく自由に会えないのはさみしい。
 本当に学校がなかったらなかなか会う機会がなくなっちゃうんだ。
 電話をしてデートの約束をしようとしたくてもこうやってどっちかが忙しければ都合つけるのもなかなか難しくなっちゃうし。
 だったらちょっとくらいあからさまでもなんでも、ちゃんと行動した方がいいのかもしれない。
「ねえねえ、純くん、なにかリクエストある?」
「お、俺はもらえるならなんでも……」
 予想通りの答えだったから笑ってしまいそうになる。
 でもそれも悪いからボクは口元をマフラーにうずめてごまかした。
 クリスマスに純くんがくれたマフラーは相変わらず柔らかくて暖かい。
 今年の冬はあとどれくらい寒い日が続くんだろう。春になったらこのマフラーもしまわないといけない。
 春になったら。
 普段だったらすごくわくわくするはずの言葉が今はすごくボクを苦しめる。
 ここ最近ずっと同じことで悩んでるのにいい解決方法が見つからない。
 しょうがない。ボクは頑張って強くなるしかないみたいだ。


 純くんはなんでもいいって言ってくれたけど、やっぱり高校生活最後のバレンタインだから気合を入れたい。
 バレンタイン前日の夜、ボクはキッチンに用意していた材料を並べる。
 他の人たちにはクッキーを、そして純くんにはガトーショコラを焼くことにした。
 いっぱい食べてほしかったから大きめの箱も用意してある。
 去年までだったらお兄ちゃんの目があるからあからさまに本命チョコを用意するなんてできなかったけど、もうお兄ちゃんに気を遣う必要はないし。
「茜! お前、今年はやけに材料が多くないか。まさか……!」
「そのまさかだよ。当たり前じゃない。お兄ちゃんだってボクが純くんの事好きだって知っててさんざん邪魔してきたんでしょ」
「あいつの事を好き、だと……!!」
 お兄ちゃんはそれ以上の言葉が出てこないみたいで無言で腕を振り回してるけど、無視だ。
 どうせ力ずくでは邪魔してこないってわかってるし、朝から夜まで働くって言うのも実際に毎日やってみると大変で、へとへとだったからお兄ちゃんの相手をしてる余裕なんてない。
 おじさんたちの言うとおり夕方までの勤務にしてもらっておいて助かった。
 あくびをかみ殺しながらまずはクッキーに取り掛かる。
 もしかしたらガトーショコラは一回では満足いく出来にならないかもしれなくて作り直しちゃうかもしれないし。
 でも、取り込んである洗濯物もまだちゃんとたためてないし、久々に学校に行くんなら制服にアイロンもかけておきたい。
 今日は長い夜になりそうだ。


 ガトーショコラは一回でちゃんと出来上がったけれど、疲れてたせいか緊張してなかなか寝付けなかったせいか起きるのがちょっと遅くなってしまった。
 それに久々に学校に来てみると、クラスの子たちがいろいろ話しかけてきてくれてついボクも嬉しくなって話し込んでしまう。
 本当は去年みたいに朝一番に純くんに渡すつもりだったのに、そんなわけで結局教室を出ることができた時には始業まであとちょっとしか時間が残っていなかった。
 急いで純くんの教室に向かうと、ちょうど入口に坂城くんが立っていた。
「やあ、茜ちゃん。チョコくれるの?」
 もちろん毎年の事だから坂城くんの分も一緒に紙袋にまとめて持ってきた。
 紙袋の中からクッキーの包みを手渡すと、坂城くんはにこにこして受け取った。
 次は純くんに渡しに行かなきゃと思って教室の中に入ろうとすると、坂城くんに通せんぼされる。
 時間もないし、坂城くんだってボクが純くんに用事があるのはわかってるはずなのにってちょっとむっとする。
「なに?」
「純のやつ、ちょっと取り込み中なんだよね……」
 取り込み中ってどういうことだろう。
 気まずい顔をした坂城くんをよけるように純くんの席の方を見てみると、女の子が何人か集まって立っている。チョコを渡しに来てるみたいだった。
「……なに、あれ」
 ボクが低い声で呟いたのを聞いて、だから言ったのにって感じに坂城くんが肩をすくめる。
「卒業前の思い出作りってとこかな」
「思い出作り?」
「うん。茜ちゃんもあるでしょ、卒業したら会えないんだしもっと仲良くしとけばよかったな、とかさ。特にあいつは部活で後輩も多いしさ」
 たしかに、ボクも去年よりたくさんの人に配れるようにってこの袋の中には多めにクッキーを用意していた。
 それに、さっきだって普段は話さないようなクラスメイトも積極的に挨拶してくれていた。
 卒業でさびしいのはボクだけじゃない。わかってるけど、やっぱりああやって純くんが囲まれてるのは嫌だった。
「まあ、別にあの子たちは本命じゃないだろうしあんまり気にしないでいいと思うよ」
 慰めるようにそう言われたけど、気にならないわけがない。
 それがわかってるから坂城くんも通せんぼしてきたんだろうし。
 当の純くんは女の子に囲まれてしまったせいでうろたえていて、ボクが来たのにも気づいていない様子だ。
 別にあの子たちをかき分けて渡したっていいんだけど、今渡してもなんだか他の子のチョコと一緒くたにされちゃいそうで、それはそれで嫌だった。
「純の事呼んでこようか?」
「いいよいいよ、ボク。また後で来るからさ」
「そう?」
 坂城くんに軽く手を振ってから自分のクラスに戻る。
 今のボクにとっては気を遣われるのもなんだか嫌だった。
 同情されてる感じ、っていうか。
 純くんが他の女の子からチョコをもらってても全然気にしてないって顔をしていたいのに、うまく笑顔でいられなくなる。
 ボクはせめて次の休み時間にはちゃんと振る舞えますようにってお祈りしながら自分の顔をマッサージした。


 そのあとも、休み時間ごとに純くんのクラスを覗いてみたけど、そのたびに純くんの席の周りには違う女の子がチョコを渡しに来ている。
 坂城くんが伝えてくれてたみたいで、純くんの方も朝とは違ってボクが教室に来てるのには気づいてるみたいなんだけど、女の子の話をさえぎってこっちにくるタイミングがつかめないみたいだ。
 それで、ボクもまた後で来るね、みたいな顔で立ち去るはめになる。その繰り返しだった。
 今朝はみんな本命じゃないって坂城くんは言ってくれたけど、その後もたくさん女の子が来てたら1人くらいは義理じゃない子も交じってるんじゃないかな。
 それに、チョコを渡してる女の子の中には純くんと同じ大学を志望してる子もいる。
 もちろん、純くんと一緒の大学に通うために志望校を決めてるわけじゃないのはわかってる。
 でも、ボクは春から純くんと別の環境になるのに、純くんと同じ環境に進む子もいるんだ。
 お兄ちゃんと戦ってくれたりとか、クリスマスに一緒に過ごしたりとかで、ボクは自然と純くんとずっといっしょにいられるような気がしてたんだけど、別にそういうのってなんの保証もない。
 ボクたちはちゃんと付き合おうって言ってたわけじゃないし、言ってたとしたって、別れるカップルなんてたくさんいる。
 他の女の子の方が、ボクみたいに変なお兄ちゃんもついてこないし、バイトばかりで自由に遊べないってこともないはずだ。
 バイトといえば、この前まで純くんはわざわざ遅くなるボクを心配して迎えに来てくれてたけど、それも普通の家の女の子ならそんな必要なかったかもしれない。
 なんだかそう考えると落ち込んじゃって、昼休みになっても純くんにチョコを渡せなかったボクは、午後はもうあきらめてずっと自分の席に座っていた。


 そんな感じで暗い気分のまま放課後を迎えた。
 掃除当番がなければまっすぐ帰ってたところだけど、ずっと休んでたくせにそういうわけにもいかないから割振り通りに音楽室の掃除をする。
 やっぱりここでも話が長引いてしまって、掃除を終えて教室に戻ってみたらもう誰もいないみたいだった。
 他の当番の子が帰っていくのを見送ってボクはため息をついた。
 純くんももう帰っちゃっただろうか。
 探しに行ったらまだいるのかもしれないけど、放課後で人が減った学校なんて、さらにまた嫌な光景を見てしまいそうだ。
 2年前のバレンタインを思い出す。階段の踊り場で純くんにチョコをあげるかわいい女の子。
 ボクは行儀悪く机に座って足をぶらぶらさせた。
 インターハイで優勝して、劇では王子様やって、みんな純くんのことかっこいいって知っちゃったんだ。
 ボクはもっと前から、みんなが知ってるよりもっとかっこいいってわかってるけど。
 コートかけの方に目をやると、ボクのコートと一緒にマフラーがかかっている。夕焼け色のマフラー。
 つい2か月くらい前の事なのに、生徒手帳にだってあの時の写真をしまってあるのに、クリスマスのことが嘘みたいだ。
 そのままぼんやりしていると、遠くから走ってるみたいな足音が聞こえた。どんどん近づいてくる。
「……一文字さん!」
「純くん」
 期待してなかったって言ったら嘘になるけど、本当に純くんが目の前に来てみるとどう反応したらいいのかがわからない。
 ボクは机に座ったまま純くんが教室に入ってくるのを眺める。どこかひとごとみたいな気持ちだった。
「い、一文字さん、せっかく何回も教室に来てくれたのに、すまん」
 たぶんこのまま一緒に帰ってくれるつもりなんだろう。鞄を持って、帰り支度をした純くんは本当に申し訳なさそうな顔をして何回もボクに頭を下げた。
「平気平気、気にしてないからさ、ボク」
 ちゃんと切り替えなくちゃ。
 ボクは立ち上がって、紙袋の中に手を入れる。
 そのままガトーショコラの入ってた箱を出すつもりだったのに、そういえば今年は朝一番に渡せなかったんだな、とか、やっぱり鞄の中は他の女の子のチョコがいっぱい入ってるんだろうな、とか余計な考えがよぎった。
「……はい、これ。約束のお菓子だよ。クッキーにしたんだ」
 いまさら気合の入った包みを渡すのが恥ずかしくなって、ボクはクッキーの入った方の包みを渡した。多めに用意しといてよかった。
 純くんは2種類あったなんて知らないから嬉しそうに受け取ってポケットに入れた。
 もうすぐ卒業なのに、あんな簡単な包みでもがっかりとかしないんだ。
 自分でクッキーを渡しといて理不尽だってわかってるけど、なんのためにガトーショコラを作ったんだろうって思ってしまう。
「一文字さん!?」
「あ、あれっ」
 別にものすごく悲しかったわけじゃないはずなのに、急に涙が出てきてしまった。
 純くんは慌ててポケットからハンカチを出した。
 たぶん拭いてくれようとしてボクの肩に手をかけて、そこで緊張したみたいに固まってしまう。
「ご、ごめんね、なんでもないんだ」
 そう言ってみたけど、鼻声だしどんどん涙は浮かんでくるし全然説得力がない。
 涙のせいで純くんがどんな顔してるのかも見えない。ただ、肩にかけられた手の温かさがわかるだけだ。
「一文字さん……」
 ささやくように純くんがボクの名前を呼んで、顔が近づいてくる気配がする。
 でも、ボクも同じように顔を近づけてたのかもしれない。無意識のうちに背伸びをしてたから。
 とにかく、ボクと純くんは気が付いたらキスをしていた。
 ボクはびっくりして泣いてたのも忘れちゃうくらいだったんだけど、純くんはそれ以上に驚いたみたいだった。
「……す、すまん!」
 純くんは叫んで、ボクを置いて机にぶつかりながら教室から走って出て行った。
 ボクは一人でぽつんと取り残されてしまった。


 あれから一週間経った。
 今日はバイトが休みだったから、今は自分の部屋の片づけをしていた。
 たしか今日は大学受験の日だったはずだけど、純くんはどうなったんだろう。
 バレンタインの日から全然会ってないからわからない。
 あの後、純くんが走って逃げちゃった後もボクはしばらく待ってたんだけど、純くんは戻ってこなかった。
 鞄も置きっぱなしのままで家に帰っちゃったみたいだった。
 あんなことがなければ家に届けてたけど、さすがにそれは無理だったし、そのままボクが置いて帰って盗難騒ぎとかになっても嫌だから職員室に届けることにした。
 麻生先生に声をかけられたらなんで家に届けないのか聞かれちゃうかなって不安だったけど、もう帰ってたみたいだった。
 それでそのまま純くんの鞄を知らない先生に預けてボクも帰った。
 でも、次に会ったらどんな顔すればいいんだろう。
 そう思っていろいろ悩んでたんだけど、ボクはそもそもバレンタインの後は学校に行かないつもりでバイトの予定を組んでたし、純くんもお店に来てくれなかった。
 たしかに、夕方で終わるからお店に来なくても大丈夫だよって伝えたのはボクだったけど。
 そう思うと純くんに対してちょっと腹が立つ。
 でもボクだって本当のことを言えば、予定を調整すれば学校に行けないことはなかった。
 なのに学校に行かなかったのは会うのが怖かったからだ。
 キスをして、逃げられちゃったのはショックだったけど、思い通りにチョコを渡せなかったのは純くんのせいじゃない。
 純くんは何も悪くないのに急に泣いちゃって、がっかりされちゃったのかもしれない。
 もしかしたら、他にチョコをくれた女の子の方がいいなって気付いちゃったのかもしれない。
 そうだったとしても、正式にお付き合いしてたわけじゃないからボクは責めることもできない。
 もっと早く告白しておけばよかった。
 今までだって二人で過ごす機会はたくさんあったんだし、告白できるチャンスだってあった。
 なのに気まずくなるのが嫌でずっと逃げてた。今のままで楽しいんだから別にいいかって思ってた。
 だからボクの自業自得なんだ。
「…………」
 ボクはため息をついた。
 休みの日くらい明るいことを考えたいって思うのに気が付くと純くんのことばかり考えてしまう。
 もし、このまま純くんと話せなかったらどうなっちゃうのかな。
 小さいころのおままごとをした男の子みたいに、忙しくしているうちに忘れちゃうのかもしれない。
 お兄ちゃんも四天王もいるし、最初はさびしくてもそのうちに慣れちゃうのかもしれない。
 でも、いまさら純くんのいない生活なんて考えられなかった。
 ボクは本棚の中から一枚の紙を取り出す。
 昔、クリスマスに遊園地に行ったときに相性占いをした時のものだ。
 ああいうロボットの占いなんて信用してなかったはずなのに、それにすがりたいボクがいる。
 それに、仮にこの相性占いがなかったとしても、この遊園地以外にも、お花見とか、海とか、中央公園とか、いろんなところに純くんと行った。
 修学旅行だってほとんど一緒に過ごした。
 熊から純くんに守ってもらった時のことも思い出して、泣きそうになる。
 ボクはあの時に純くんを好きだって気付いたんだ。
 このまま会わなかったらその3年間丸ごとなかったことになっちゃうんだろうか。
 本当は純くんと最後にもう一回だけでいいから話したい。
 でも、なにをどうやって話したらいいだろう。なんで純くんもボクの前に現れないんだろう。


 そのまま、純くんと話せないまま卒業式の日が近づいていた。

...




 3年目冬。バレンタイン。
 ゲーム中だと2週間なんてあっという間なんですが、現実だと結構長い期間ですよね……。
 純一郎め……。

2016/1/12更新

BACK...TOP