紅葉色に燃える 「それじゃあ、茜ちゃん、もう大丈夫だからあがっていいよ」 「お疲れ様です!」 ボクはおじさんにあいさつして、隅っこの席に座って参考書を読んでいる純くんに近づく。 「じゃあ、ボク着替えてくるから待っててね」 「ああ」 純くんがうなずいてくれたのを確認してから、ボクは更衣室に向かった。 2学期になってから、純くんはボクのバイトが終わるのを待って家まで送ってくれるようになっていた。 もちろん毎日ではなくて平均すると週2,3回くらいの頻度だけど。 純くんは「日が落ちるのが早くなってきたから」って言い訳してて、ボクは一人で帰るのは慣れてるから無理しなくていいよって伝えてるんだけど、律儀に迎えに来てくれている。 きっとお兄ちゃんとの戦いがあったからボクに気を遣ってくれてるんだと思う。 でも、最初のうちはわざわざ迎えに来たなんてことは言わなかった。 普通にご飯を食べに来て、もう帰ったと思っていたらお店を出た所でずっと待っててくれてたみたいで、ボクもあの時はすごく驚いた。 それでそういうことが何回かあったらさすがにおじさんも気が付いて、ボクのバイトが終わるまで純くんにお店の中で待つように言ってくれた。 それに加えて、毎回普通に注文したらお金が持たないだろうからって言って、お客さんがいないときは無理に注文を取らないようにしてくれている。 ボクのせいでいろいろ申し訳ないけど、純くんもおじさんも気にした様子を見せないで振る舞ってくれるからとてもありがたい。 「お待たせ」 ボクはまだ純くんが迎えに来てくれてるのに慣れなくて、着替えて純くんの前に立つたびになんだか照れてしまう。 おじさんもなぜか嬉しそうににこっちを見守ってるし。 「行こうか」 並んで外に出ると、冷たい風が吹いて思わず身震いした。 「寒くなってきたねー」 もうそろそろひびきの山では紅葉シーズンだって情報誌に載ってたのを思い出す。 「ねえねえ、今度の日曜日、山に紅葉狩りに行かない?」 誘ってみると、純くんは気まずそうな顔になった。 「いや……ちょっとその日は忙しくて……、文化祭の振り替え休日の日でもいいか?」 それだと、一か月近く後の日程だ。 そんなに予定が詰まってるんだろうか。 「別にいいけど、どうしたの? 模試とか?」 「うん……、いや……」 曖昧に言葉を濁される。こうやってボクの事迎えに来てくれるくらいだから、遊ぶこと自体が嫌ってわけじゃないと思うんだけど、どうしたんだろう。 「ちょっと、いろいろ用事があるんだ」 結局、そんなはっきりしない返事で終わってしまった。 「も、もう着いたな」 別に無理やり聞き出すつもりはなかったんだけど、純くんは追及される前に家について露骨にほっとした顔になってる。怪しい。 「じゃ、じゃあな」 そそくさと帰っていく純くんを見送りながら、ボクの胸にはもやもやした気持ちが広がっていった。 「ねえねえ、純くんいる?」 次の日の休み時間、さっそくボクは純くんのクラスに突撃した。 なのに教室の中を見回しても純くんは見当たらない。 代わりに坂城くんがいたので、純くんがどこにいったのか聞いてみる。 「や、やあ、茜ちゃん。純は……どこだったかなあ……」 なにかをごまかすようにきょろきょろする坂城くんの代わりに、ボクたちの会話を聞いていた別の子が答えてくれた。 「穂刈くんなら、静かな場所で劇のセリフ覚えたいからって裏庭の方に行ったみたいだよ」 「劇?」 「うん、劇。文化祭の」 それだけ答えたところで、その子も友達に呼ばれて立ち去ってしまった。 ボクは坂城くんの顔をじっと見る。愛想笑いを浮かべているけど、目が泳いでいる。やっぱり怪しい。 「文化祭? このクラス、劇やるの?」 そういえば、純くんのクラスが何やるのかってのもまだ聞いてなかった。 演劇部じゃないのに劇っていうのは結構意外な感じがする。 「ええっと……」 「別に、答えたくないならいいけど。どうせそのうちパンフレットが配られるんだし」 ボクは別に脅すとかそういうつもりじゃなかったんだけど、坂城くんはそれで観念したみたいだった。 「さっきも言ったように、うちのクラスは演劇やるんだけど……恋愛もので……王子様、あいつなんだよね」 あいつってのは純くんのことだってすぐに分かった。自分でもわかるくらいどすのきいた声になる。 「……誰がそんな脚本にしたの」 「俺」 「…………」 脚本はともかく、配役は坂城くんの一存で決められるわけがないし、坂城くんを恨むのは筋違いだ。 筋違いだってわかってるんだけど、イライラする気持ちは止められなくて、坂城くんは申し訳ない顔のまま数歩下がった。 「もしかして、純くんが文化祭まで忙しいのって、それと関係あったりする?」 「そうかもね……あいつ、なかなかセリフが覚えられないみたいだし、覚えても全然棒読みだから、もっと練習が必要でさ……」 ははは、と坂城くんは乾いた笑いをもらす。ボクは全然笑えないけど。 「恋愛物ってことは、女の子の相手がいるって事だよね」 「……そう」 わかってたんだけど、やっぱり確認してしまうとショックだ。だいたい、なんで純くんが王子様になっちゃったんだろう。 純くんは真面目に練習には参加してくれそうだけど、こう言っちゃうとなんだけど演技がうまそうには見えない。 「立候補者が全然いなくてさ、それであいつが推薦されたんだよ。……インターハイで優勝して、女の子の注目も浴びてるし」 後半は小声だったけど、ボクの耳にはしっかり聞こえた。この前もそんな事をちらっと言ってたような気がするけど、未だにそうなんだろうか。 「まあ、純は俺とかみたいに他の女の子の機嫌をこまめに取ったりはしないから、そのうち収まるとは思うけど。でも、こうやって王子様とかやっちゃたらどうなるかなー」 坂城くんはボクを慰めたいのか落ち込ませたいのかどっちなんだろう。 「でも、なんで恋愛ものなんか……」 ボクがつぶやくと、坂城くんは肩をすくめた。 「ごめんね。俺が脚本とか演出やってみたいって言って演劇を提案したんだ。恋愛ものにしたのは単純に書きやすかったからってだけだったんだけど。まさかあいつが主役になるなんて俺も思ってなかったからさ」 「坂城くんが書いた脚本だったの?」 帰宅部の坂城くんが演劇に興味があるなんて全然知らなかった。ボクは思わず大声を出してしまう。 脚本を決めたって言っても、図書館か何かでプロが作ったものから選んで決めたんだと思ってた。 「そう。なんとなくやりたいって程度だったんだけど、高校最後だし、いい機会だと思ったんだけどね」 「……なんかごめんね、文句言っちゃって」 坂城くんは坂城くんで文化祭を楽しみにしているのに、ボクだけ子供みたいに駄々をこねていて恥ずかしい。 「別にいいよ、嫌なのは当然だしさ。でも、そんなわけだから一文字さんも見に来てよ、劇」 ボクは一応うなずいたけど、心の中ではまだ迷っていた。 純くんが真面目に練習しているのも、坂城くんが劇に思い入れがあるのもわかったけど、純くんが他の女の子と恋をするみたいな内容、落ち着いて見ていられるか不安だ。 イライラしすぎて物とか壊しちゃったらどうしよう。 純くんのクラスのことは気になるけど、ボクはボクで自分のクラスの準備をしなくちゃならない。 ボクのクラスの出し物は喫茶店だ。せっかくだし、自分が得意なことで役に立ちたいと思って提案したら、そのまま賛成してくれる人が多くてそれに決まった感じだ。 「一文字さん、メニュー決めたいんだけど、今いい?」 「あ、はーい!」 クラスメイトに呼ばれて、気持ちを切り替えてそっちへ向かう。 喫茶店をやるクラスは他にも結構あるらしく、売上取られちゃうんじゃないかってボクはちょっと心配だった。 やっぱりやるからにはたくさんのお客さんに来てもらいたいし。 でも、一口に喫茶店って言っても、カレーメインとか、コーヒーメインとか、いろいろな切り口があるみたいだ。 他のクラスの売りがカレーとかコーヒーなら、こっちはかわいい感じで攻めた方がかぶらないんじゃないかと思う。 あと、うちのクラスではいろいろなメニューが食べられるようにしたい。 そっちの方がたくさんのお客さんを呼び込めると思うし、ボクはいつも食堂でバイトしているからいろいろな料理を手際よく作ることに慣れている。 難しいメニューを入れなければ、ボクが席を外している時間帯でも何とかなるんじゃないかと思う。 最初はメニューを絞った方がいいんじゃないかって言っていたクラスメイトもいたけど、ボクが熱心に説得したら気持ちも変わったみたいだった。 「でも、一文字さんの負担大きくない? 大丈夫?」 「平気平気! 普段ボク、あまりクラスのことに参加できないしさ、こういう時くらい貢献させてよ!」 それに、自分のクラスに集中することで純くんの演劇のことをあまり気にしないようにしたかった。 来てくれるのか不安だったんだけど、次のボクのバイトの日も、ちゃんと純くんは迎えに来てくれた。 いつものように隅の席に座って、食べ終わった後は参考書をめくっている。 でも、鞄の方をちらちら見ているのはセリフが覚えれてないのが不安だからなんだろうか。 ボクはお客さんの帰った後の席を片付けながら純くんの様子を観察してたんだけど、やっぱり気になってしまって声をかけた。 「純くん、劇のセリフ覚えなくていいの?」 もし純くんがボクに遠慮して劇の練習をしたいのにやれないんだとしたら、なんだかボクが悪者みたいだ。 「え、あ……」 「坂城くんから聞いたよ。純くんが王子様やるってさ。それでずっと忙しいんでしょ」 「すまん、内緒にするつもりじゃなかったんだが……」 純くんはため息をついて、鞄からホッチキスで止められたコピー用紙の束を取り出した。 ところどころ破けたのをセロテープで補強してる跡があって、何回も練習してるんだって一目でわかった。 「純くんが主役やるなんて知らなかったから、びっくりしたよ、ボク」 「本当はやりたくなかったんだが……推薦されてしかたなく……」 その話は坂城くんからも聞いてたけど、暗い顔の純くん自身の口から聞くと乗り気じゃないんだってわかってほっとする。 「他の人を推薦しちゃえばよかったのに」 「俺が嫌なことを人に押し付けるわけにもいかないだろ」 そういう考え方って純くんらしい。 「劇の練習、どんな感じ?」 「……セリフ自体は覚えたんだが、練習になると……」 練習っていうと、やっぱりお姫様役の子とセリフを言い合ったりしてるんだろう。 どんな子が相手なんだろう。聞いてみたいけれどなんだか聞けない。 すごくかわいい子だったらショックだし、そもそもそんな事を気にしてるって純くんに知られるのも嫌だ。 ボクたちがちゃんとお付き合いしてる恋人同士ならともかく、ただの友達でしかないし、あんまり束縛するみたいなことは言いたくない。 「そうなんだ」 変なこと言わないようにって意識しすぎちゃったせいで、ボクから聞いたくせになんだかそっけない返事になっちゃった。 「い、一文字さんのクラスは、なにやるんだ?」 純くんの口調が、なんだかボクの機嫌を取っているみたいに感じるのは単なる願望だろうか。 「……喫茶店やるんだ。うちのクラスはいろんな料理食べれるようにしようと思って、今メニュー考えたり試作したりしてるとこ」 「一文字さんも作るのか?」 「もちろん。ボクの取り柄なんてそのくらいしかないからさ。調理も配膳も、できるだけやろうと思ってるんだ」 「できるだけ、って、一文字さんは他の……クラスの展示を見るつもりはないのか?」 「うーん……どうしようか迷ってるんだ」 もちろんボクだって、今年の文化祭はいつもと違って各クラスごとに展示を出すから、純くんのクラス以外は見て回りたいなって気持ちはある。 でも、他のクラスを見て回る時間はあるのに純くんのクラスを見に行けない、なんて言い訳はできないはずだ。 それだったらずっと自分のクラスで調理してる方がずっと気がまぎれるんじゃないかと思う。 「やっぱり、最後の文化祭はできるだけクラスに貢献したいしさ。……時間があれば他のクラスも見たいけど、まだわかんないし」 ボクがそう言うと、純くんは残念そうに「そうか」ってつぶやいた。 純くん自身は、ボクに劇を見に来てほしいって思ってるのかな。 そして、とうとう文化祭の日がやってきた。 落ち着かない気持ちで家を出ると、門の陰に寄り掛かるようにして純くんが立っててすごく驚いた。 「ど、どうしたの?」 寒さのせいなのかちょっと鼻が赤くなっている。もう結構寒くなってきたから、ずっと待ってたんなら結構冷えちゃうはずだ。 バイトに初めて迎えに来てくれた時もこうやって立っててくれたのを思い出す。 「インターホン鳴らしてくれればよかったのに」 そうは言ってみたけど、もしお兄ちゃんが出たら朝からすごくうるさかったはずだ。 「こ、これから本番だって思うと緊張して……い、一文字さんの顔、見たかったんだ」 本番。 ボクの顔を見たいって言ってくれたのは、照れ屋な純くんからしたら相当な覚悟がいったはずだ。 その事はすごくすごく嬉しかったんだけど、劇のことを思い出すと手放しで喜べないのも本当だった。 でも、そんな事を言ってもしょうがない。 ボクはできるだけ優しく聞こえるように声をかけた。 「純くん、調子はどう?」 「な、なんとか……」 なんとかって言ってるけど、表情は苦しそうだ。憂鬱でしょうがないんだろうな。 「劇って朝一番にやるんだっけ?」 坂城くんが、わざわざ朝から劇なんて見に行く人ってあまりいないんじゃないかって愚痴を言っていたのを思い出す。 でも、ステージの使用の順番を決めるくじ引きに行ったのは坂城くん自身らしくて、自業自得ってわけでもないんだろうけど、坂城くんも怒りの持って行き場がないような感じだった。 「ああ……一文字さんは、ずっとクラスにいるのか?」 「うん、そのつもり。……でも、純くんの劇は見に行くよ」 本当はさっきまで悩んでたんだけど、純くんの顔を見たら思わずそう答えてしまっていた。 でも、純くんの晴れ舞台だし、見ないでうじうじするのもやだしで、確かに見たい方に気持ちは傾いていた。 それに、ステージの開場時間は準備の関係なのか、喫茶店よりもちょっと遅く設定されている。 だから開店直後でちょっと混んだとしても、それまでにしっかり準備をしてから行けば、朝一番の劇を見に行っても他のクラスメイトに迷惑がかからないはずだ。 お昼の込みそうな時間帯には戻ってこれるはずだし。 「お、俺も劇が終わったら一文字さんのクラスに食べに行くから……」 「うん、ありがとう! そんな凝ったものは作れないけど、ちゃんとおいしいと思うから期待しててよ!」 話しているうちに学校に着いた。靴を履きかえていると、珍しく慌てた様子の坂城くんがこっちに走ってきた。 「おい、純! 大変なことになったんだ。……あ、おはよう、茜ちゃん」 「おはよう」 「大変なことって、なんなんだ?」 怪訝な顔をする純くんに、坂城くんはお姫様役の女の子が急に風邪ひいて欠席しちゃったんだと説明した。 「じゃあ、劇はどうなるの?」 「それは今みんなで相談してるんだけど……そういうわけだから、ごめんね茜ちゃん、こいつ連れてくから」 そう言って坂城くんは純くんを引っ張るようにして体育館の方へ走って行った。 どうなっちゃうんだろう。 なんだかんだで純くんが熱心に練習していたのも、坂城くんがちゃんといい物作ろうって思ってたのもボクは知っている。 すごく心配なんだけど、ボクにはなにもできることはないから、開場時間まで待つしかない。 仕込みをするために自分のクラスに向かう。 「一文字さん、おはよう! 今日はよろしくね」 「おはよう!」 クラスメイトと挨拶を交わしながら、準備していた材料を調理し始める。 純くんの劇のことも、普段とは違う環境で料理をするのもすごく緊張してたんだけど、頭の中のレシピ通りに手を動かしているうちに、気分も落ち着いてきた。 もうすぐ開店時間だ。 開店直後は一気にお客さんが来たけど、たくさん仕込んでおいたおかげでなんとかなった。 ちょっとぎりぎりかもしれないけど、今から行けば十分劇に間に合う。 「ごめんね、ボク、ちょっと行ってくるから」 一緒に調理してた子に声をかけると、快く送り出してくれた。 近所の人とかもたくさん来てるおかげで廊下は結構混んでいる。 立ち話をしている人の会話を聞いても別に劇が中止になったって話はしてないけど、代役でも立てたんだろうか。 ちょうど体育館に着いたのと開演のために電気が消されるのが同じくらいのタイミングだった。 ボクは薄暗い中で、できるだけ舞台が見えるような席を選んで座る。 坂城くんが言ってた通り、わざわざ朝一番に劇を見に来る人はそんなにいなくて、ちらほら空いてる席があって助かった。 でも、斜め前に座った女の子の集団から「穂刈くんが……」とかいう会話が聞こえるのはちょっとイライラするけど。 そんなイライラも、幕が上がって一瞬で驚きに塗り替えられた。 客席からは歓声や笑い声が上がる。 お姫様役をやっているのは坂城くんだった。 確かに、脚本書くくらいだから急な代役もお手の物なんだろうけど、そんなの全然予想してなかった。 坂城くん自身もいやいや引き受けたのか、セリフがあまり感情がこもっていない感じだ。純くん相手にあんまり感情込められてても嫌だけど。 純くんも棒読みって言われてたけど、練習の成果は出ているみたいで、どこかぎくしゃくした感じはあるけどだいぶ堂々と振る舞っている。 白い衣装が日に焼けた純くんに似合っててすごくかっこいい。衣装係の人も頑張って作ったんだろうな。メガネもかけてないから、余計新鮮でドキドキする。 肝心の脚本も、王子様とお姫様が結ばれるロマンチックなストーリーで、配役の事がなければきっとボクも楽しく見てられたんだろうと思う。 現に、周りの席に座っている人の顔をうかがうと、みんなうっとりして舞台に見入ってるみたいだ。 この歯が浮くようなセリフは坂城くんが考えたんだろうか。 あ、王子様とお姫様が手を取り合ってる。王子様がお姫様の腰に手をまわした。 今は相手が坂城くんだけど、練習の時は女の子を相手に同じことをやったはずだ。 舞台の上では坂城くんがお姫様をやっているのに、ボクの目には幻の女の子が見えてくるみたいだ。 胃の中がむかむかしてきて、ボクは隣の人に気付かれないように、こっそりパンフレットをぐしゃぐしゃに握りしめた。 「あ、一文字さん! やっと戻ってきた~」 劇を見終わって戻ってくると、クラスメイトがボクにすがりつくように近寄ってきた。 不機嫌なのが顔に出ないようにボクもぎこちなく笑顔を作る。 「どうしたの?」 「なんか、迫力がある人が急にたくさん来ちゃって……絡まれたりはしてないんだけど、一文字さんみたいに手際よく作れないから困っちゃった」 「あー……」 別に呼んだわけじゃないのにどこで知ったのか、席にはお兄ちゃんの手下たちがたくさん座っている。 お兄ちゃんも来ちゃったのかと思って焦ったんだけどいないみたいだ。よかった。 だってお兄ちゃんがいたら絶対うるさいんだもん。 「姐さん、お疲れ様です!」 売り上げに貢献してくれるのはありがたいんだけど、みんなの前でそうやって挨拶するのはやめてほしい。 ボクは聞かなかったふりをして調理台に向かった。 「じゃあボクはこれ作るから、こっちやってくれる?」 クラスの子に手伝ってもらいながら、たまっていた注文をさばいていく。 「姐さん、うまいっす!」 「最高っす!」 席の方から声が聞こえてくる。姐さんって呼ばれるのはともかく、やっぱり作った料理で喜んでもらえるのは嬉しい。 喫茶店を提案してよかった。 さっきまで劇のことでイライラしていたのも忘れて、どんどんボクも料理を作るのが楽しくなってくる。 「一文字さん、次これおねがい」 「はーい!」 ちょうどお昼時になってきたせいもあって、お兄ちゃんの手下たちの声が聞こえなくなっても注文は途切れなく入ってくる。 今いるお客さんは、ちゃんとボクの料理に満足してくれてるんだろうか。 そう思ってお客さんの方を見ると、純くんがナポリタンを食べながらこっちをじっと見てるのに気付いた。 慌ててフライパンに視線を戻す。 来てるなんて全然気づいてなかったからドキドキしてきた。見られてるって思うと急に手が震えそうだ。 この喫茶店用の制服似合ってるかなとか、髪の毛ボサボサになってないかなとかそういう事が気になってしまう。 それに、今食べてるってことはもう食べ終わったらどこか行っちゃうんだろうか。 坂城くんとか陽ノ下さんの幼馴染も一緒に座ってるみたいだったし、3人で回るつもりなのかな。 せっかくだからちょっとくらい純くんと話したかったんだけど、しばらく手が離せそうにない。 「一文字さん?」 「ううん、大丈夫大丈夫!」 たぶん他の人にもわかるくらい挙動不審になっちゃってるんだろう。ボクは深呼吸して気合を入れ直した。 「一文字さん、そろそろ休憩行っていいよ」 あれから一時間は料理を作っただろうか。クラスの子がそっと近づいてボクに声をかけた。 「え、でも」 ピークは過ぎたとはいえ、まだ作り終えてない料理はたくさんある。もうしばらく手伝った方がいいんじゃないだろうか。 お客さんは今どれくらいいるんだろう。 そう思ってテーブルの方を見たボクは、びっくりしすぎて口が大きく開いてしまった。 「……ね?」 意味ありげに笑って、クラスメイトがボクの手から包丁を受け取る。 「純くん……」 どういうわけか、もうとっくにいなくなってたはずの純くんはまだ席に座ったままで、今はサンドイッチを食べているみたいだ。 食べているって言うか、おなかがいっぱいみたいでもてあましている感じだけど。 「穂刈くん、ずっと一文字さんの事待ってたんだよ。呼んでこようか? って聞いたけどいいって言うから無理強いもできなくて。でも、あれで3皿目だし、そろそろ行ってあげなよ」 さすがにそんなことを聞いてしまうと、これ以上意地を張るわけにはいかない。 「うん、ありがとう……」 坂城くんたちはすでに他のクラスの展示を見に行っちゃったのか、テーブルに座ってるのは純くんだけだ。 ボクが調理台を離れると、純くんもすぐに気付いたみたいだ。 「よ、よう」 「来てくれたんだね」 お皿の上のサンドイッチを見ると、まだ半分くらい残っている。 最初はナポリタンを食べてたと思うんだけど、その後追加で注文してくれたんだ。ボクを待つために。 嬉しいけど、純くんの顔を見てると劇のことも思い出しちゃって、どう会話したらいいのかわからない。 「い、一文字さん、まだ全然文化祭見れてないだろ。一緒に回らないか?」 「う、うん……」 でも、このサンドイッチどうするんだろう。食べ終わるのにもう少し時間がかかりそうだ。 ボクが気にしているのが伝わってしまったのか、純くんは残りのサンドイッチを口に詰め込んだ。 「だ、大丈夫?」 純くんは口をもぐもぐさせながら何回も頷いた。 ボクもラップとかで包んで持って帰れるようにすればよかった。気の利かなさに申し訳なくなる。 「純くん、お水飲んで」 コップの中のお水を飲みほして、純くんはため息をついた。 「すまん」 「ううん。行こ、純くん」 着替えようかと思ったけど、またすぐ手伝わないといけなくなるかもしれないし、このまま見て回ることにした。 劇を見るために廊下に出たときはそうでもなかったけど、この時間になると香ばしい焼きそばの匂いが漂ってたりとか、ゲームでもらった景品を持って歩いてる人がいたりとかでなんだかわくわくしてくる。 「どこか行きたいところはあるか?」 立ち上がると苦しいのか、純くんは少し顔をしかめている。もうちょっと座っててもらった方がよかったかな。 「純くん、おなか苦しいんじゃない? 大丈夫?」 ボクはずっと調理に集中してたから気付いてなかったけど、クラスメイトはあれで3皿目って言っていた。 いくら純くんが男の子でも、結構な量になったはずだ。 「……緊張して朝から何も食えてなかったから、腹が減ってたし食えると思ったんだ……」 「じゃあ、別にボクを待ってたわけじゃなかったんだ」 「あ、いや、それは……」 別に意地悪するつもりで言ったわけじゃなかったんだけど、慌てた様子の純くんに思わず吹き出してしまう。 「ごめんね、誘ってくれてありがとう、純くん。おいしかった?」 「ああ」 さすがに最後のサンドイッチは苦しかっただけなんじゃないかなと思ったけど、純くんはしっかり頷いてくれた。 「もちろん一文字さんが料理がうまいのは知ってたが、洋食もうまくて驚いた。だから……」 そこまで言って、純くんは急に言葉を詰まらせて顔を真っ赤にした。 なんだろう。 「だから?」 「だ、だから……毎日食べても飽きないんだろうなって思ったんだ」 料理をほめられるのは慣れてるのに、照れながら言われると、なんだかプロポーズの言葉を言われたみたいだ。 周りの人にもボクたちの会話が聞こえてしまったんじゃないかと思ってそわそわしてしまう。 「そ、それより、一文字さんは腹減ってるだろ。なにか食べたいものはあるか?」 「えーっと……」 一応考えてはみるんだけど、さっきみたいな会話をした後で純くんと向き合ってなにか食べるのはちょっと恥ずかしい。 「とりあえず、ボク、いろいろ見てみたいな。パンフレットだけだとよくわかんないしさ」 「……わかった」 こうして実際に見て回ってみると、食べ物屋さん以外にも面白そうな展示を出しているクラスがいろいろある。 特にプラネタリウムなんてひびきの市にはないからちょっと入ってみたい。 純くんを誘ってみようか迷っていると、ちょうど教室の中から坂城くんたちが出てきた。 「やあ、茜ちゃん。休憩?」 「そうだよ」 「一文字さん、俺たちのクラスの劇、どうだった?」 あえて劇の話題には触れないようにしていたんだけど、陽ノ下さんの幼馴染の彼に明るく聞かれてしまってどう答えたらいいのか迷う。 劇を見ている最中は無難な答えを考えていたはずだったのに、とっさに聞かれるとなにも言い出せない。 「純の衣装、似合ってただろ」 「う、うん……」 確かに王子様の衣装はかっこよかったんだけど、さっきのお姫様と手を取り合ってた姿も同時に思い出してしまう。 悩んでいると、坂城くんが純くんの背中を軽くはたいた。 「茜ちゃん、聞いてよ。こいつ、舞台の上ではメガネしてなかったでしょ。それで何も見えないからって俺にしがみついてくるんだよ? どう思う?」 「……お前が急に本番ではメガネ外せって言ったんだろ。練習の時はなにも言わなかったのに」 「俺はもともとメガネは外してもらうつもりだったの。練習の時はあまりにもお前がひどいから何も言わなかっただけ」 話の流れがつかめなくてボクはぽかんとするしかない。 「どういうこと?」 「言った通りだよ。王子様がメガネかけてるなんてかっこつかないと思ってメガネ外させてみたら、純のやつ、姫とのシーンで俺にしがみついてくるの。別にもともとそういうト書きはないのにさ」 「し、しかたないだろ。そうしないと距離感がわからないし、転んだり姫の事蹴ったらまずいだろ」 「お前さあ、いくら相手が俺に変わったからって、舞台の上で急にああいう事したら茜ちゃんが心配するだろ。もっと考えろよ」 急に責められて不満げだった純くんは、はっとしたようにボクの事を見る。 坂城くんのおかげで事情がわかって確かにほっとしたんだけど、こんな所で心配してたとか嫉妬してたとか言うのはなんだか恥ずかしい。 「だ、大丈夫大丈夫。劇なんだし、全然気にしてないよ、ボク」 「そ、そうか……」 顔は見れなかったんだけど、声の感じからなんとなく純くんががっかりしているのが伝わってくる。 坂城くんはそんなボクたちを見て、呆れたみたいにため息をついた。 軽くご飯を食べた後は純くんと別れて、またクラスの展示に戻ってひたすら手を動かしたらあっという間に後夜祭だ。 ほとんど一日中働いていたみたいなものだからへとへとだったけど、校庭でキャンプファイヤーをやっているっていうし、せっかくだから少し見てから帰ることにした。 「うわあ……」 暗くなった校庭で大きな炎が揺れているのは迫力があるし、なんだかロマンチックだ。 ちょっとだけって思ったけど、もう少しだけ見ていたい。 ボクは校舎の陰の、草が生えているあたりに腰を下ろした。 ちょっと見えづらい角度になるせいかこのあたりには誰もいない。 キャンプファイヤーの周りで生徒たちがはしゃいでるのがかすかに聞こえるくらいで、ここはとても静かだ。 大変だったけど、楽しい文化祭だったな。 疲れていたのもあるし、オレンジ色の炎を見ているとゆったりした気持ちになって、まぶたも重くなってくる。 そのままうとうとしていると、目の前に誰かが立つ気配がした。 「一文字さん」 「純くん? なんで……」 劇も終わったしクラス展示も一通り見たしで、もうとっくに帰ったと思ってた。 もしかしたらいったん帰ってから戻ってきてくれたのかもしれないけど。 「あ、あんまり帰りが遅くなると危ないだろ」 いつもみたいに迎えに来てくれたんだろうか。 でも、もともと疲れてもいたし、今までうとうとしてたせいですぐに立ち上がる気持ちにならない。 純くんの顔を見上げたままぼうっとしていると、純くんも少し離れた隣に座った。 「……あ、ごめんね」 せっかくボクの事迎えに来てくれたのに、謝るのさえワンテンポ遅れてしまう。 純くんはそれには答えないで、ポケットから缶コーヒーを出してボクにくれた。買ったばかりみたいで素手で持つとまだ少し熱い。 「え、純くんの分は?」 思わず受け取っちゃったけど、ポケットがぺたんこになったところを見ると1本しか買ってなかったらしい。 返そうとしたけど受け取ってもらえない。 「俺はいいんだ。一文字さん、半そでだし寒いだろ」 確かに、こんな時間までいるとは思ってなかったからコートを着てきてない。 ボクはまだ熱い缶を膝の上に置いた。スカート越しにぬくもりが伝わってくる。 「ありがとう、純くん。今日はいろいろお疲れさま」 「それは一文字さんもだろ」 純くんは少し笑ってキャンプファイヤーの方に目を向ける。 ちょっと寝てる間にたくさんの生徒が帰っちゃったみたいで、残ってるのは名残惜しそうに喋っているカップルくらいだ。 ボクたちももしかしたらそう見えるんだろうか。なんだかむずむずしてくる。 さっきまで眠かったけど、さすがに純くんが近くに座ってると眠気もどこかに行ってしまった。 「文化祭、終わっちゃったね」 当たり前のことなのに、口に出してみると急に寂しい気持ちになってくる。 文化祭が終わっちゃうと、次の学校行事ってテスト以外だと卒業式しかないんだ。 「一文字さんは、進路どうするんだ?」 同じように卒業のことを考えたのか、純くんがボクに質問する。 「ボクね、喫茶店やってみて、料理の専門学校に行こうかなって思ったんだ。今日は普段とは違う料理ができて楽しかったから。でも……」 「でも?」 卒業してもボクたちはこんな風に一緒にいられるんだろうか。 こうやって別のクラスで出し物するだけでもやきもきしてるのに、大丈夫なんだろうか。 そういう不安でいっぱいで、明るい気持ちで将来の進路について純くんと話し合える気持になれない。 「ううん、学費の事とかいろいろ調べないといけないから大変だなって思っただけ」 純くんは他に言いたいことがあったんじゃないかと疑ってる顔をしてたけど、そしてそれは確かに合ってるんだけど、これだってボクの正直な気持ちの一つではある。 でも、ひびきの高校にはなんとか通えてるから、きっと今まで通りの暮らしを心がけていれば専門学校だってどうにかなるはずだ。 暗いことばかり考えたり口に出していてもしょうがない。 ボクはちょうどよく冷めてきた缶のプルトップを開けて、一気に飲み干した。 「待たせてごめんね、純くん。そろそろ帰ろっか。……明日、紅葉狩りに行くんだし早く寝ないと」 そうだ。明日は久々に純くんとデートなんだ。 楽しいことだけ考えていたい。 大きく揺れるキャンプファイヤーの炎を背にしてボクは微笑んだ。 3年目秋。文化祭。 文化祭の出し物をどうするか考えてたんですが(私は琴子押しなのでカレー喫茶にして喫茶店対決とか)、無難に劇で。 純の相手の子的にはあの演劇どうなんだ……って思ってたんですが、この話を書いてる時にひびきのウォッチャー2を買ってみたら、この演劇イベントのラフが載ってたんですよ。 そこに備考みたいな感じで「メガネがなくてなにも見えないので匠と自然に接近してる」みたいなことが書かれてたので、いい言い訳見つかったー、みたいな。 「匠は男だ」ネタも入れようか少し考えましたが、それはフォローしきれないのでやめました。 だって、好きな相手が女装男子と劇やってドキドキしてるって嫌じゃないですか……。 2016/12/3更新 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