嵐の到来 「あー、もうクタクタだよぉ……」 「ごめんね、茜ちゃん」 食後の食器洗いを終えたボクが畳の上に寝転ぶと、すかさず舞佳さんが僕の背中を指圧してくれた。 油断すると寝ちゃいそうになるほど気持ちいい。きっと、これも舞佳さんがバイトで身に着けた技術なんだろうな。 「しょうがないよ。腰痛めちゃったんでしょ?」 ボクは舞佳さんが気にしないように慌てて笑顔を作った。 舞佳さんから急に「運送屋さんのバイトをしてたら腰を痛めてしまったから、バイトに代わりに行ってほしい」という連絡が来たのが二週間前。 ちょうど次の日から短期のティッシュ配りのバイトの予定があって、どうしても穴をあけるわけにはいかなかったんだそうだ。 せっかくの夏休みにあんまり出かけられなかったのは確かに少し残念だったけど、しょうがない。 困ったときはお互い様だし。 それに舞佳さんの腰ももうだいぶ良くなったみたいで、明日からはいつも通りの生活だ。 「そういえば剣道部、インターハイ優勝したんだって? 木枯し番長から聞いたわよん」 からかうような調子で舞佳さんが言う。 そうなのだ。 先週行われたインターハイで、ひびきの高校の剣道部は全国優勝を果たした。 もちろん、今年に入ってから木枯し番長が剣道部に今まで以上に熱心に指導に通っていたのはよく知っていた。 みんなインターハイを目指してるってのは純くんからも聞いてたし、剣道部の練習の後に家でご飯を食べる時の木枯し番長の満足そうな様子から、今年のひびきの高校はかなりいいとこまで行くんじゃないかとは予想していた。 けれどまさか優勝するなんて信じられない。 もちろん純くんがとてもとても頑張ってるのは知ってたから、負けるって思ってたわけじゃないけど、全国優勝なんて本当にすごい。 ボクも応援に行ったけど、純くんが相手から一本取った場面がなかなか頭から離れなくてその日は眠れなかった。 今だって思い出したらドキドキしちゃうくらいだ。 でも、たとえ舞佳さんにだってそんなことは照れくさくて言えない。 「……あ、舞佳さん、もうちょっとそこ強くして」 ボクは剣道部の事にはコメントをしないで舞佳さんにおねだりする。 幸い、それ以上は追及されず、舞佳さんは僕のお願いする通りに指圧してくれた。 ボクはしばらく無言で舞佳さんのマッサージを堪能していたんだけど、ふとずっと気になっていたことを思い出した。 「そういえば、最近お兄ちゃん見かけないけど……元気なのかな?」 見かけないと言っても行方不明っていうわけではなくて、ボクが寝た後に帰ってきて、ボクが起きる前に出て行くという生活をしているだけだ。 寝た後に帰ってくるのは、ここの所バイトが増えて疲れてて、いつもより早く寝てしまうせいもあるけれど。 でも、お兄ちゃんはいつもはボクより遅く起きてくる事が多かったから、起きるのが早いのは気になってはいたんだ。 舞佳さん以外の四天王のみんなも前より家に来る頻度が落ちた気がするのは、お兄ちゃんについて行っているからだろうか。 みんな一緒ならそんな変なことにはならないだろうと思ってるから、ものすごく心配ってわけじゃないんだけど。 「…………」 手は相変わらずボクの背中の上で巧みに動いているのに、返事がない。 「舞佳さん?」 聞こえなかっただろうか。首を持ち上げて舞佳さんの顔を見る。 何か考えている様子だったけど、目が合うと少し舞佳さんは慌てた顔をした。 「ん? うん、元気元気。元気すぎてちょっと困っちゃうけど、大丈夫よん」 困っちゃう、の内容が気になったが舞佳さんが大丈夫って言うならそうなんだろう。 目を閉じているうちにだんだん眠りの世界に引き込まれていった。 「……そんなわけだから、今年の夏休みも別にいつも通りだったよ」 「えー、本当に?」 夏休みが終わって数日経った今日、ボクは坂城くんになにか面白いことがなかったか質問攻めにされていた。 でも、ボクはほとんどバイトで忙しかったもんだから、別に話題なんてない。 坂城くんは不満そうに下駄箱に寄りかかって、手帳の角をシャープペンでこつこつ叩く。 「せっかく純がインターハイで優勝したのに、特に2人でお祝いとかもしてないの?」 「してないよ」 そりゃ予定が合えばしたかったけど、ボクもバイトがあったし純くんもいろいろ予定があったみたいで、インターハイの決勝戦当日におめでとうって言ったくらいで終わってしまった。 どっちにしても、提供できる話題がないのはどうしようもないし、ボクも夏休み明けで授業を受けてるのはすぐ疲れちゃうから早く帰りたかった。 坂城くんが何を言おうと無視して歩こうと決めて外靴を出したけど、次の言葉には反応せずにはいられなかった。 「そういえばさ、さっき純が深刻そうな顔して河川敷に行ったけど、それについてはなんか知らない?」 「え?」 そんなこと、全く知らなかった。 そもそも、クラスが別だと、わざわざ会いに行こうとしないと顔を見る機会がない。 本当は夏休み中会えなかったし、2学期が始まってすぐクラスに遊びに行きたかった。 でも、剣道部がインターハイで優勝したというニュースのせいであちこちで純くんの話題が出てて、なんだかこの空気の中では会いに行くのが恥ずかしかったのだ。 「深刻な顔って、なんで? インターハイだって終わったのに」 ボクが逆に質問すると、坂城くんはまるで想像がつかない、という風に顔をしかめた。 「茜ちゃんがわかんないなら俺だってわかんないよ。おかしいよね、インターハイで優勝して、いろんな女の子もうっとりした目で純のこと見て……おっと、とにかく、俺だったら大喜びなんだけど」 なんだか気になる事を言ってたような気がするんだけど、坂城くんが続けて喋るのでボクは口を挟みそびれた。 「なんかさー、そもそもあいつ最近変じゃない? 付き合い悪いっていうかさ。今日だって本当は一緒にゲーセン行く約束してたんだよ。それが急に下駄箱開けたら河川敷公園に行くとか言って走り出しちゃって」 言われてみると、3年生になってからの純くんは険しい顔をしていることが多くなったような気がする。 もともと眉間にしわを寄せた表情をする事が多かったけど、最近の純くんはなんていうか、気迫が違う気がする。 ボクが指摘すると、インターハイの事が気になっているという答えは返ってくるんだけど、それだけではないような雰囲気は確実にあった。 なんていうか、戦ってる時のお兄ちゃんっていうか。 「知ら……ない」 坂城くんに返事をしながら、なんだか嫌な予感がしてボクは身震いした。 険しい顔をした純くんと、河川敷と、最近見かけないお兄ちゃん。 「ちょっと行ってくる!」 「あ、茜ちゃん!?」 急に走り出したボクを見て何人かが振り返った。 まだ上履きから履き替えてなかったことに途中で気付いたけど、気にしてる余裕なんかなかった。 とにかく急いで河川敷へ行かないといけない。 全速力で走ったせいか、あっという間に河川敷公園についた。 ボクは荒い呼吸を繰り返しながらあたりを見回す。 すぐに純くんとお兄ちゃんは見つかったけど、予想とは少し違った光景が繰り広げられていた。 「一文字さん!?」 「純くん、大丈夫!?」 驚いた顏でこちらを見る純くんは、体中傷だらけではあるものの、穏やかに流れる川を背にしてしっかりと立っている。そして、 「お兄ちゃん……!」 ああ。純くんの前でこんな顔したくないのに。純くんの前でがっくりと地面に膝をついているお兄ちゃんの事を、ボクは睨みつけた。 「お兄ちゃんの、バカー!」 「ぐっ……」 渾身の力を込めて拳を突き出すと、お兄ちゃんはよけることもできずに頬に食らって、あっさり後ろに倒れた。 よっぽど純くんから受けていたダメージが大きかったみたいだ。 「茜……俺よりそいつの方を心配するのか……」 「当たり前でしょ!? どうせお兄ちゃんから純くんにケンカ売ったんでしょ!?」 お兄ちゃんに更に詰め寄ろうとするボクを現実に引き戻したのは純くんの声だった。 「お、お兄ちゃん……?」 純くんの戸惑ったような表情に、冷水を浴びたように心臓がぎゅっとなる。 「そうなの……お兄ちゃんはここと隣町を仕切る番長なの……」 純くんが驚いた顔をしている。当たり前だ。 ボクだって、こんなお兄ちゃんがいるなんて知られたくなかった。せめて番長でもいいから、何もしてない純くんをこんな目に会わせるような事はしないで欲しかったのに。 「どうしてこんな事したの!?」 「茜……俺は、もうお前が泣くところを見たくなかったんだ……」 お兄ちゃんは、苦しそうに口調を途切れさせながら昔の事を語り始めた。 「そんな……」 小学生の時、たしかにボクはお兄ちゃんの言うとおり、好きになった男の子が急にいなくなってしまって、泣いて泣いて困らせたことがあった。 それがきっかけでお兄ちゃんはボクに近づく男が許せなくなったなんていわれて、どう反応したらいいのかわからない。 「でも、だからって……」 すぐに許す気にはなれなくて、ボクは黙っていた。お兄ちゃんも横たわったまま荒く息をするだけだ。 あんな小さい時のことをいまだに気にかけててくれたなんて。 確かに、あの頃大泣きするボクを必死でなぐさめてくれたのはお兄ちゃんだった。 ぬいぐるみでボクをあやしてくれたり、とっておきのお菓子をくれたり。 今のボクにとって、小学生の時の出来事なんてそんなことあったっけって感じなんだけど、それは確実にお兄ちゃんのおかげでもあったんだと思う。 お兄ちゃんにとって、今のボクも小学生の時のボクも同じ存在なんだ。 でも、純くんはいい人だ。純くんに泣かされるなんてありえない。 そのことをお兄ちゃんにどうにかして伝えたい。 「あ、あのっ」 ボクが口を開くより先に純くんの言葉が沈黙を破る。お兄ちゃんは顔だけ動かして純くんの方を見た。 「俺はまだ頼りなく見えるかもしれませんが……茜さんの事は絶対泣かせません! だから、」 こんな時なのに、純くんがボクの下の名前を呼んでそんな事を言ってくれたのが嬉しくてどきっとしてしまう。 「軽々しく俺の妹の名前を呼ぶな!」 なのにお兄ちゃんはそれが不満みたいで、純くんの言葉をさえぎって立ち上がる。 でも、やっぱり気力ではどうにもできないのか、またすぐにうずくまった。今叫んだのも結構体力を消耗しちゃったみたいで、ぜいぜい肩で息をしている。 こういう事情じゃなかったら痛々しい姿だ。 ボクはまだちょっと今日のことは許せてないんだけど、やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだから、心配になる。 「……一文字さん。まずはお兄さんの手当を」 驚いてボクは純くんの顔を見た。メガネ越しの純くんの目は怒っているとかボクを嫌っているとか、そういう感じはない。 むしろ、最近の険のある雰囲気が取れて3年生になる前の純くんに戻った感じだ。 「で、でも……」 戦いに勝ったとはいえ、純くんだって十分怪我をしている。 そもそも、ボクのお兄ちゃんが純くんをこんな目に合わせたのに、ボクが何もしないなんてできない。 悩んだまま立ち尽くしていると、後ろからボクたちをからかうような声がした。 「やあ、なんだか困ってるみたいだね」 「坂城くん!? それにみんなも……」 いつの間にそこにいたのだろうか。振り返ると、坂城くんと四天王が後ろに立っていた。 「ほら、茜ちゃん」 「ありがとう……」 坂城くんが持ってきてくれたボクのスニーカーを受け取って、履き替えた。 一生懸命走ってきたから、脱いだ上履きには結構泥が付いちゃっている。帰ったら洗わないと。 「茜ちゃんが急に走って行ったから絶対ここだと思ってさ。いや~いいもの見せてもらったよ。純もなかなかやるなぁ」 坂城くんの言葉に顔を赤くした純くんは、恨めしそうにつぶやいた。 「……見てたんならもっと早く声かけろよ……」 「本当は俺だってそうしたかったんだけど、この人たちに止められてさ。それでしかたなく成り行きを見守ってたんだ」 四天王を指さして、ひょうひょうとした調子で坂城くんが答える。 声をかけるのを止められてたのは本当かもしれないけど、仕方なくっていうのはたぶん嘘なんだろうな。 でも、そのことよりもボクは追及しないといけないことがある。 「みんな、今日のことずっと知ってたの?」 ボクは四天王の顔を見回す。 みんなお兄ちゃんを止められなかった後ろめたさがあるのか、気まずそうに眼をそらした。 にらんだつもりはなかったけど、なんでボクに一言言ってくれなかったんだろうっていう気持ちはある。100歩譲って、お兄ちゃんを止められなかったのはしょうがないにしても。 「すみません、姐さん……」 代表して木枯らし番長がボクに頭を下げる。謝ってくれるのはいいんだけど、純くんの前でその呼び方はやめてほしい。 「本来ならば、もっと早く姐さんに報告すべきだったんですが、姐さんは俺たちにとっても大事な姐さんです。穂刈がどれくらいの覚悟でいるのか、試しておきたかった……」 そこで言葉を区切って、木枯らし番長が純くんを見る。後輩を見守る優しい先輩の目だ。 「穂刈は十分信頼できる男です。俺の指導にもよく耐えてくれました」 「指導って、どういうこと?」 ボクの質問に木枯らし番長が答える前に、低い声でお兄ちゃんがうなった。 「裏切りやがったな、木枯らし番長!」 そして、ぎらぎらした目で木枯らし番長をにらみつける。 うずくまって立ち上がれないような状態なのに、木枯らし番長はお兄ちゃんの眼力に怯えて後ずさった。 「まあまあ、総番長。こんな所で立ち話もなんですし、穂刈少年も交えていったん家に帰りましょうや」 バイト番長がのんびりした口調で声をかける。お兄ちゃんの眼力はバイト番長には通用しない。 「こいつも一緒にうちに来る、だと……!」 「別にボクはお兄ちゃんをここに置いて帰ってもいいんだからね」 ボクがそう言うと、お兄ちゃんはあきらめたようだった。 筋肉番長と火の玉番長に支えられておとなしく立ち上がった。 「それじゃあ……いらっしゃい、純くん」 「お邪魔します」 こんな時なのにいつも通りの挨拶をするのがなんだかおかしな気がしたけど、純くんは素直に頭を下げて門をくぐった。 坂城くんもついてくるのかと思ってたんだけど、「俺がいるとゆっくり話せないだろうから、今日はやめとくよ。今度ゆっくり話を聞かせてくれたらいいからさ」と言って帰ってしまった。 でも、四天王に囲まれて居間の座布団に座る純くんは少し居心地が悪そうだ。坂城くんを引き止めた方がよかったのかも。 「じゃあ、救急箱持ってくるね、あ、でも、お茶も入れた方がいいのかな、」 ボクまでなんだか混乱してしまって、立ち上がったままおろおろしてしまう。 「オレがお茶の用意をします!」 火の玉番長が叫んで台所にドタドタと駆け込んでいった。 「ありがとう」 お茶は火の玉番長に任せて、ボクは救急箱を取って部屋に戻る。最近はそんなでもなかったけど、たまにお兄ちゃんとか四天王とか、手下の人が怪我をして家に来ることがあるから、包帯も消毒薬も豊富に入っている。 ボクは純くんの横にしゃがんだ。 「純くん、大丈夫? お兄ちゃんは起き上れなそうだし、先に手当てするね」 家に帰って気が抜けたのか、お兄ちゃんは並べた座布団の上に気を失ったように横たわっている。 純くんはああ言ってたけど、動けない人を手当てするのってやりづらいから、できたら先に純くんをやってしまいたい。 「いや……」 消毒液をしみこませた脱脂綿を頬の傷に当てようとすると、純くんは恥ずかしそうに首を振った。 「俺は自分でできるから、先にお兄さんを……」 「でも」 「姐さん、穂刈の手当ては俺がやりますから」 木枯らし番長の声がして、純くんがほっとしたような顔で「お願いします」と言った。 がさつなボクの手当てじゃ不満だってことだろうか。たぶんむっとした顔になっちゃってたんだと思う。 バイト番長がボクの耳元でささやいた。 「穂刈少年は照れ屋だから、茜ちゃんに触られるのが恥ずかしいのよん」 「え、そうなの?」 思わず純くんに向かって聞き返してしまう。 ただ手当てをするだけなのにそんなに意識されるなんて思ってなかった。 純くんにもちゃんとバイト番長の声は聞こえてたみたいで、耳まで赤くして、ボクの顔を直視できないといった様子でうつむいた。 「い、嫌とかじゃないんだが、シャツの下とかも傷になってると思うし……」 海にも行ったことあるし、別に純くんの上半身を見るのが初めてってわけじゃない。でも、確かに上半身裸の純くんの手当てをするのはボクも無理そうだ。 そのうえ、ボクも手当てをするためとはいえ、膝と膝がぶつかるくらいの至近距離に座ってしまっている。 みんなの前で大胆なことをしちゃった。慌てて離れた。 「おで、総番長の手当て、手伝います」 力のある筋肉番長が手伝ってくれると助かる。お礼を言ってお兄ちゃんの横に移動した。 一応純くんの方をあまり見てしまわないように、背中を向けて座る。 「じゃあ、とりあえずお兄ちゃんの学ラン脱がせちゃおうか」 筋肉番長にお兄ちゃんの体を支えてもらって服を脱がせる。立ち上がれないくらいのダメージを受けてるんだから当然だけど、結構な傷がついている。 「純くんがこんなにやったの?」 びっくりしてボクは声を上げた。インターハイに優勝したからってお兄ちゃんに勝てるくらい強くなれるもんなんだろうか。 そういえばさっき指導がどうとか言っていた。 「木枯らし番長、純くんに指導してたってどういうこと? いないことが多かったのは、剣道部のためだけじゃなかったってこと?」 ボクが質問すると、背中の方から純くんの声が返ってきた。 傷が痛むのかそれとも消毒液がしみるのか、ちょっと痛そうにしてるのが声だけでもわかる。 「実は、去年の秋くらいにこの人たちに呼び出されて戦ったんだ。もちろん4対1じゃなくて、月に1回、順番に一人ずつで」 そんなこと全然気づいてなかった。純くんも全然言ってくれないし。 「それはお兄ちゃんに頼まれたの?」 筋肉番長がお兄ちゃんの体を支えたまま、申し訳なさそうな顔をしてうなずく。 「それで、3番目に戦ったのが、神田さんだったんだ。あの時はびっくりした」 純くんは怒ったっていいと思うんだけど、懐かしい思い出を振り返るような口調だった。 「筋肉番長と火の玉番長は全然知らない人だから、事情もわからず戦ってたんだけど……神田さんと戦って、あの時はさすがに無理かと思ったが、何とか勝てたんだ」 「木枯らし番長に勝ったの?」 驚いて振り返ると、上半身裸の純くんとばっちり目が合ってしまった。慌ててお兄ちゃんの方に顔を戻す。 「あ、ああ……」 何回か深呼吸を繰り返すのが聞こえる。裸を見られたことで動揺してるんだろう。 バイト番長が火の玉番長からお茶を受け取りながら笑いをかみ殺している。 「勝てたには勝てたが、かなりギリギリだった。それで、神田さんにもし今後も戦う必要があるなら俺を鍛えてほしいって頼んだんだ」 「でも、なんで急に四天王に戦いを挑まれるんだろうって思わなかった? 戦うなんて嫌だ、とか」 そこらのチンピラならともかく、四天王は純くんが戦いを拒んだらきっとそれ以上は強要しなかったんじゃないかと思う。 なのにどうしてわざわざ毎回戦って、今日もお兄ちゃんの呼び出しを受けたんだろう。 純くんはそんなケンカが好きな人じゃないはずだ。 「最初は、とりあえず呼ばれたから行ってみようくらいの気持ちだったんだ。でも、3回も呼び出されたらさすがに事情が気になるだろ。だから、戦った後に神田さんに聞いたんだ」 「木枯らし番長はなんて言ったの? ボクが総番長の妹だってこととか?」 聞いてから、さっき純くんはボクが総番長を「お兄ちゃん」と呼んだ時に驚いた様子だったことを思い出す。 「…………」 純くんにはむにゃむにゃと口ごもった。代わりに木枯らし番長が答える。 「ある人に頼まれて、姐さんにふさわしい男かどうか試している。……そう答えました」 「ええっ!?」 お兄ちゃんの腕に包帯を巻いていたボクは、びっくりしすぎて手を離してしまう。 ちょっと痛そうな音を立てて床にお兄ちゃんの手がぶつかったけど目を覚ます様子はない。 ボクはお兄ちゃんのことはほっといて、今度は振り返ってそのまま純くんの方に詰め寄る。 「そ、それってどういう事!?」 「い、一文字さん……!」 純くんは慌てて傍に置いていたシャツを羽織って体を隠した。顔も真っ赤だ。 ボクもちょっと、あ、まずいって思ったんだけど、でも勢いが止められない。 「ねえねえ、ボクにふさわしいってどういう、」 「ストーップ!」 肩をつかんで揺さぶっていると、バイト番長の声が響いた。 「姐さん、あまり穂刈少年を追い詰めると傷が開いて死んじゃいますぜ。……筋肉番長!」 「失礼します」 筋肉番長にひょいとかつがれる。 傷が開いてってのはさすがに冗談だと思うんだけど、確かに純くんは口をパクパクさせて固まっている。 申し訳ないことをしてしまった。 「穂刈と総番長の手当ては俺たちでやっておきますから、姐さんもゆっくり休んでください……」 そう言われて、ボクは居間から追い出された。 しょうがないから庭先に出て上履きを洗ってると、バイト番長がボクを探しに来てくれた。 「姐さん、穂刈少年が帰りますぜ」 「あ、うん」 手を動かしてたらちょっと落ち着いたけど、まだ少し顔を合わせづらい。 玄関から出てきた穂刈くんも、恥ずかしそうな顔をしててボクと目を合わせてくれない。 ボクもどこを見たらいいのかわかんなくて地面ばかり見てしまう。 さっきの事はやっぱり気になっちゃうんだけど、追及できる雰囲気じゃなかった。 「せっかくだから、穂刈の事そこまで送ってってやったらどうですか?」 2人して黙っていると、木枯らし番長に無理やり押し出されるように門から出された。 とりあえず一緒に歩き始めてみたけど、そこまでって、どこまでだろう。どこまでついてっていいのかな。 ちらっと純くんの事を見上げると、向こうもボクの事を見てて目が合ってしまった。慌ててそらす。 「ご、ごめんね、純くん。お兄ちゃんも……ボクも迷惑かけて」 「いや……」 純くんも、さっきの木枯らし番長のボクにふさわしい男かどうかっていう発言が恥ずかしかったみたいで、困った顔をしながら考えてる様子だった。 「さ、さっきのは、別に変な意味じゃなくて、と、友達としてってことだから、気にしないでくれ」 「そ、そうだよねそうだよね! なのにごめんね、ボクったら慌てちゃって」 わかってたけど、純くんの口から改めて友達って言われると残念な気持ちだ。ボクはため息をつく。 でも、同じタイミングで隣からもため息が聞こえた気がするのはなんでなんだろう。 「……もう、秋の空だな」 またしばらく無言で歩いた後に、純くんがぼそっとつぶやいた。 確かに、日が沈み始めた空にうろこみたいな雲がたくさん浮かんでいる。 「い、一文字さん。来週誕生日だろ。よかったら、今度の日曜、ショッピング街に行かないか?」 「……うん!」 友達でもいい。純くんが、こんなボクとでも仲良くしてくれるのなら。 ボクは、足取りが弾むのを抑えられないまま歩き続けた。 3年目秋。ようやく総番長戦。 ここまでやっといて友達とか言い張るのは完全に告白を卒業式まで引き延ばしたいこっち側の都合です。 現実だったら普通に付き合ってる(総番長のいる現実とは……?)。 2016/11/24更新 BACK...TOP |