レイニー・レイニーデイ 「茜、ありがとうなー!」 ほむらが大きく手を振って、ゲームセンターの中へ消えていくのを見送る。もう片方の手にはおもちゃ屋さんの紙袋。 ボクがついさっき、ほむらへの誕生日プレゼントとしてあげたものだ。 まだ7月になったばかりだったし、今買うのは少し早いかなと思ったんだけど、テスト期間前にちょっと息抜きがしたいよねってなって、学校帰りにほむらと一緒におもちゃ屋さんに寄って買ってきた。 ほむらはまだ遊び足りないって言ってゲームセンターに行ってしまったけど、ボクはさすがにそこまでのお金はない。 おもちゃ屋さんで長居しすぎたせいか、学校を出たときはちょっと曇っている程度だった空が、今すぐ降り出しそうなくらいどんよりした灰色になっている。 夜は雨の予報です、って確かに今朝のテレビでは言ってたけど、まさかこんな時間から降るなんて思っていなかったから傘を持ってきていなかった。 急いで帰ろう、と思って早足で歩きだしたけどやっぱり遅かったみたいだ。 しばらくしたところで、大粒の雨が降り始めた。 ボクは慌てて走り、一番近くにあったコンビニに飛び込む。 ハンカチで体についた水滴をぬぐうけれど、髪も制服もずぶぬれだからなんだかあまり意味がない。 コンビニの中は冷房がきいていて、濡れた体がどんどん冷えて鳥肌が立ってくる。 だからと言って雨の中に戻る気になれなくてお店の中をうろうろしていると、同じように雨に濡れた人たちが入ってきては傘を買って出ていく。 でも、家に帰れば傘があるのはわかってるのに、いくら今必要だからってこんな所で傘を買うのってボクにとっては無駄遣いって感じがする。 ほむらの誕生日プレゼントも買っちゃったし、できれば今週くらいは節約したい。 急いで走って帰ればなんとかなるだろうか。どうせもう濡れちゃってるし、多少だったら雨の中走るのも我慢できるはずだ。 ボクは帰り道の道順を頭の中でシミュレートする。 「あ」 そういえば、このあたりに純くんの家があるはずだった。傘を貸してもらえたりしないだろうか。 急に純くんの家に行って、お母さんしかいなかったらどうしようとか、迷惑がられたらとか、不安な気持ちはある。でも。 「……くしゅん」 小さくくしゃみをして身震いした。純くんの迷惑以前に、このコンビニの店員さんの方が迷惑そうにこっちを見ている。 なにか買うわけでもないのにこれ以上ここに長居するわけにはいかないし、どうせ帰るんだったら、ちょっと純くんの家の前を通ったって同じだ。 ボクは覚悟を決めてコンビニを出た。 傘をさして歩く人の間をすり抜けながら走る。 できるだけ水たまりは踏まないようにしたかったんだけど、避けようがないくらい大きな水たまりがあって、足を突っ込んでしまう。 「うう……」 水がはねて、周りの人が顔をしかめたのがわかって、ボクは申し訳ない気分になった。 それに、靴から靴下に水がしみ込んでくるのって嫌な感触だ。着地のたびにじわっと水が染み出すのがわかる。 雨はなんだかどんどん強くなってくるような気がするし、結んでる髪の毛もべったり顔に張り付いてくるのがわかるし、なんだかみじめだ。 こんなみっともない格好で純くんの家に行こうなんて考えなきゃよかった。 すぐそこには純くんの家の看板が見えているけど、素通りしてまっすぐ家に帰ろう。 そう思ったんだけど、でもやっぱり気になってしまって、お花屋さんの前を通り過ぎる時にちょっとだけ中を見てしまう。 「一文字さん!?」 運がいいのか悪いのか、お店の中ではエプロンをつけた純くんが働いていて、しっかり目が合ってしまった。 「や、やあ」 鏡がないからわからないけど、今のボクはきっとひどい格好なはずだ。 ボクは鞄で体を隠すようにしながら挨拶する。 「どうしたんだ? とりあえず入ってくれ」 濡れたままの体でお店の中に入って本当に大丈夫なのか悩んだけど、純くんの心配そうな目に負けて、ボクは色とりどりのお花が置かれたお店の中にそっと足を踏み入れた。 優しそうなおばあちゃんが観葉植物の肥料のコーナーに立ってこっちを眺めているのに気付いた。迷惑そうっていうよりも、ただボクたちの状況を見守ってる感じだ。 そのお客さんに純くんが声をかける。 「すみません、すぐに戻るので少し席を外します」 おばあちゃんは純くんとボクを見て笑顔でうなずく。 「一文字さん、とりあえず服を乾かしたほうがいいと思うからいったん俺の部屋に来てくれ」 お店の奥からタオルを持ってくると、純くんが顔を赤くしてボクにささやいた。 ボクは傘だけ借りられればそれでいいつもりだったんだけど、もう靴もべしゃべしゃだしみっともないところも見られちゃったし、厚意に甘えることにした。 お店の奥の方に家につながる扉があるみたいだ。純くんに案内されて家の方に入る。 濡れた靴下で入るわけにいかないから入口で脱いで足を拭いていると、純くんが新聞紙を持ってきてくれた。 「ありがとう」 丸めた新聞紙を靴の中に詰める。どれくらい水を吸ってくれるかはわからないけど、少しはマシになるはずだ。 「ねえねえ、店番よかったの?」 純くんの後を歩きながら聞く。さっきの様子だと、他に店員さんがいるようには見えなかった。 「本当はよくないけど、あのお客さんは常連さんだし、選ぶのにもう少し時間がかかりそうだから」 そう答えて、純くんはドアを開けた。ここが純くんの部屋みたいだ。 ドキドキしながら入る。シンプルな薄い灰色のカーテンと紺色のベッドカバーが男の子の部屋って感じだ。 今はカーテンが閉まっているから外は見えないけれど、窓や屋根に雨が当たる音はずっと響いている。たぶんしばらくやまないんだろうな。 「今は父さんが配達に行ってて、もう少ししたら帰ってくるから。こんなのしかなくて悪いけど、これに着替えて待っててくれ」 ボクが部屋できょろきょろしてるうちに、洗面所にでも行っていたのか、純くんが部屋着みたいな紺色の服とドライヤーを出してきてくれた。 「ええっ、いいよいいよ、そんなの悪いよ」 純くんの部屋着を着るなんて、そんなの恥ずかしすぎる。 そう思ってボクは断ったんだけど、純くんは困ったようにボクの体をちらっと見て、またすぐに目をそらした。 「…………」 つられてボクも自分の体を見下ろすと、蛍光灯の明かりに照らされて、濡れた制服の上からでも下着の線とかがばっちりわかってしまう状態だった。 外は暗いから全然わからなかった。一気に顔が熱くなって慌てて腕で隠す。 「べ、別に、見るつもりじゃなかったんだ、本当にすまん……!」 ボクと同じくらい顔を真っ赤にした純くんが震えた声で言いながら頭を下げる。 「こ、こっちこそごめんね、じゃあ着替えて待ってるね、ボク」 ボクがそう言い終わるが早いか、純くんが大きな音を立ててドアを閉めて出て行った。 そのまま勢いよく走っていく音も聞こえる。 たぶん、怒らせちゃったとかではなくて、いつもみたいに恥ずかしさが限界に達したんだと思う。 ボクも恥ずかしかったけど。 とりあえず、言われたとおりに着替えることにする。 濡れた制服はどうしようか迷って、ちょうど壁にハンガーがかかってたのでいったんそれを借りることにした。 なんとなく緊張しながら純くんの部屋着を身に着ける。 やわらかいスウェット素材でできた長袖のトレーナーとズボンだった。 純くんのほうが背が高いから当然だけど、やっぱりボクが着るとぶかぶかだ。あんまり動き回ると裾を踏んで転んでしまいそうだ。 座った拍子にボクの家で使っているのとは別の洗剤の香りがした。 純くんに抱きしめられてもこんな香りがするんだろうか。 そんなことを考えてしまって、すごくドキドキする。ほんとに顔から火が出そうだ。 ボクは気を取り直して髪を乾かすことにした。ドライヤーを持ってきてくれたってことは、使ってもいいってことだろう。 結んでいた髪の毛をほどき、コンセントを探す。 たぶん棚の陰にもあると思うんだけど、すぐには見当たらなかったのでベッドの棚についているコンセントにプラグを差し込む。 そうすると床に座って乾かすにはコードの長さが足りなくて、ボクはためらいながらベッドのふちに腰を掛けた。 スプリングがぎし、と音を立てる。 普段はここで純くんが寝てるんだ。メガネはもちろん外すだろうし、髪の毛もおろしてるんだろうな。仰向けで寝るんだろうか、それとも横向きだろうか。 そんなことばかり考えていると、なんだか自分の心臓の動きがどんどん存在感を持っていく感じがする。 ぎこちなくドライヤーを操作すると、大きな音を立てて熱風が飛び出してきた。 髪の毛を充分に乾かし終えて、つぎは濡れた制服を乾かし始めたころに純くんが戻ってきた。 戻ってきたけど、ベッドに座るボクを見て気まずそうな顔をして入口で立ち尽くしている。 「ご、ごめん、そんなつもりじゃないんだよ、ボク」 さっきまで純くんの寝顔とかを想像してたのを見透かされてしまったみたいで気まずい。 慌てて座布団に座りなおそうと思って立ち上がると、案の定ズボンのすそを踏んでしまい、バランスを崩す。 「危ない!」 慌てて純くんが転びそうになったボクの体を抱きとめてくれた。 やっぱり、純くんの服からもボクが今着てる部屋着と同じ洗剤の香りがする。 「…………!」 しっかりとボクを抱き留めてくれたものの、純くんは壊れたロボットのようにその体勢のまま固まっている。 ボクはそっと純くんから離れた。 「ご、ごめんね、さっきからいろいろ」 「い、いや……一文字さん、別にそこに座ってて構わないから、ゆっくりしてってくれ」 そう言うと純くんはぎくしゃく歩いて、ボクから離れたところの床に座った。そこ、座布団もなにも置いてないけどいいのかな。 「も、もうすぐ乾かし終わるから」 そうは言ってみたけど、さっきは変なところを見られちゃったし、今もこんな格好だし、純くんがそこに座ってるのにもすごくどきどきして手に汗をかいてしまう。 「ねえねえ、さっきはほんとに大丈夫だった?」 「え?」 ドライヤーの音で聞こえないみたいだ。ボクは仕方なくドライヤーのスイッチを切った。 「ボクが来たとき、お店にお客さんいたでしょ。本当に怒られたりしなかった?」 さっきのおばあちゃんだったら温厚そうな感じだったからそんなに怒られないだろうけど、もしかしたら純くんがボクを部屋に連れてきてくれてる間に他のお客さんとかも来ちゃってたかもしれないし。 「いや……」 純くんは口ごもって顔を赤くした。その反応だと怒られたって感じじゃないけど、どうしたんだろう。 ボクが様子を見守っていると、沈黙に耐えられなくなったのか、純くんが白状した。 「……怒られたりはしていない……ただ、彼女と仲良くやりなさい、って言われただけで」 彼女。 客観的に見て、ボクってそう見えたんだ。恥ずかしくなって、手に持ったままの制服に顔をうずめる。 「…………」 雨の音に混じって、純くんが震える息を吐き出すのがやけに部屋に響く。 そうだ。今、ボクは本当に純くんと2人っきりなんだ。 今までだって2人で一緒に遊んだりしたことは何回もあったけど、こうやって誰もいない部屋で2人だけ、ってのは初めてかもしれない。 ボクは慌てて立ち上がった。 「も、もう制服も乾いたと思うしそろそろ帰らないと、ボク」 実際のところはまだ半乾きって感じだったけど、緊張しすぎてこれ以上この部屋でどうしたらいいのかわからない。 「……もう帰っちゃうのか?」 すごく残念そうな声色だった。純くん自身でも無意識だったみたいで、慌てたように付け足した。 「まだ、雨も強いみたいだし、もう少し雨宿りしていっても……」 天気予報では今日の夜から朝にかけて雨って言ってたし、この勢いだし、今日中にはもう弱まらないんじゃないかと思う。 でも、単純なもので、純くんがそう言ってくれたってだけで、もう少しここにいたい気持ちの方が強くなってしまった。 「じ、じゃあ、もうちょっとここにいようかな……」 純くんの方は見れなかったけど、ほっとした様子だったのが雰囲気でわかった。 「……そういえば、お茶も出してなかったな。今用意してくる」 そわそわしながら純くんが出て行って、ボクもゆっくりと息を吐いた。 「ど、どうぞ」 「ありがとう……」 ぎこちなく純くんが出してくれたお茶を、ボクもぎこちなく口にする。 熱い緑茶が心地よくボクの体を温めてくれる。 相変わらずボクたちの間には会話がなくて、雨の音とお茶請けに出してくれたおせんべいを食べる音が響くだけだ。 テレビとかがあればまた違うのかもしれないけど、あいにくこの部屋には置いてないみたいだ。 「オセロとかならあるんだが……」 ボクの気持ちを察したように、純くんが申し訳なさそうな顔をした。 「いいよいいよ、ごめんね、気を遣わせちゃって」 でも、やっぱりやることがないと落ち着かない。ボクは何かないか周りを見回した。 真面目な純くんらしく、本棚に参考書が並んでいる。 「そうだ、勉強教えてよ。テスト近いのに全然できてなくて、不安なんだ、ボク」 「え? 俺でいいのか?」 純くんはそう言いながらも、やることができて少し安心したように立ち上がった。 「教えるって言っても、最近は部活ばかりで勉強できてないし、自信持って教えられるわけじゃないけどな……」 それでも、ボクと比べれば全然いい成績だ。ボクなんて赤点ばかりだから。 「純くん、数学得意だったよね。今日の授業、よくわからなかったから教えてよ」 今日に限らず、ずっと数学はわかってなかったけど。 「あ、ああ……」 純くんに解説してもらいながら、なんとか練習問題を解く。 数学なんてまじめに勉強したことがないから全然わかんなくて、呆れられちゃわないか不安だったんだけど、純くんはそんな様子は見せないで丁寧に教えてくれた。 ボクはそれを嬉しく思いながら、純くんの顔をこっそり盗み見た。 3年生になってからどんどん純くんの顔はきりっと引き締まってきたような気がする。インターハイが近いからだろうか。 たまに思いつめたような表情で黙っていることもあって、少し心配だった。 木枯らし番長に聞いてみた感じでは、別に剣道部でなにかトラブルがあるってわけじゃないみたいだったけど。 「ねえねえ、純くん。純くんはもう進路って決めた?」 なにか悩んでることがあるのか、きっと聞いても答えてくれない気がしたから違う話題を振った。 純くんはボクの質問に少し考え込む様子を見せた。 「俺はあまり決めてなかったけど……やっぱり進学かな。一文字さんは?」 「全然決めてないんだ。お金もないし、このまま食堂に就職するのも悪くないかなって思ってるんだけど、おじさんはせっかくだからもうちょっと考えなさいって」 とはいっても、ボクは大学に進学するほど頭もよくないから、かなり進路は限られちゃうんだけど。 でも、そっか。卒業したら純くんとは今みたいに毎日会えなくなるんだ。 考えてみれば当たり前のことだったのに、今まで全然そんなの考えたことがなかったから、なんだか落ち込んでしまう。 「……ちゃんと真面目に勉強してればよかったのかな、ボク」 「一文字さん?」 でも、真面目に勉強したところで、学費もかかるから結局純くんと同じ進路を選べたとは限らないんだ。 「ううん、なんでもない」 そう言って無理やり笑うと、心配そうにボクを見ていた純くんもほっとしたみたいだった。 純くんはボクと別の進路になることにさみしいって思ってくれてないだろうか。でも、あまり後ろ向きな話題はしたくない。 「よし、どんどん勉強して赤点回避するぞー!」 わざと明るく宣言して、次の問題に取り掛かった。 やっぱり雨は弱まることはなかったんだけど、そろそろ夕飯の準備もしないといけないし、いつまでも純くんの部屋にいるわけにいかない。 「今日はありがとう、純くん」 ボクは着替えを終えて、廊下で待っててくれた純くんに声をかけた。 雨宿りもさせてもらったし、勉強も教えてもらったし、すごくお世話になっちゃった。 「送ってくよ」 純くんが傘を2本持ってきてくれた。ちょっと申し訳ないかなって思ったけど、もう少し一緒にいたかったから素直に甘えちゃうことにした。 「あれ、もう帰るのかい?」 お店につながる扉を開けると、純くんのお父さんらしき人が笑顔で話しかけてきた。ちょっと恥ずかしい。 「すみません、お邪魔しました」 「また遊びに来てよ」 そう言ってもらえてボクは嬉しかったけど、純くんは恥ずかしそうにさっさと入口まで行ってしまった。会釈をして慌てて追いかける。 「すまん」 純くん自身は本当にいたたまれないって顔だった。ボクのお兄ちゃんだったら絶対こんな風に歓迎してくれないと思うから、うらやましいんだけどな。 傘を開いて一歩出ると、雨粒をはじいてにぎやかな音がした。 「……また来て、って言われちゃった」 「そ、それ、は……」 雨の音が大きく響くせいか、一緒にいられる期間のことを意識したせいか、ちょっとだけ大胆な気持ちになった。 「ねえねえ、純くん。……また家に遊びに行ってもいいかい?」 純くんは耳まで赤くして、しっかりうなずいてくれた。 3年目夏。彼シャツ(シャツじゃない)、転びそうになって抱き留める、などあざといくらいに恋愛イベントをぶち込みました。 純の声をやっている野島健児さんはGS2で赤城一雪という、雨がきっかけで主人公と結ばれることになるキャラの声もやっています。 赤城のキャラソン聞いてたら純と茜ちゃんでも雨にまつわるエピソードを考えたいな……と思って書きました。 2016. 11. 17更新 BACK...TOP |