青葉の香る頃


 3年になってからのクラス替えで、ボクと純くんは別のクラスになってしまった。
 純くんはクラス替えの紙を見た後にわざわざ挨拶に来てくれて、それは嬉しかったんだけど、やっぱりクラスが違うのはがっかりだ。
 別のクラスだと気軽におしゃべりもできないし、体育祭とかも一緒に盛り上がれないし。
 ちなみに、純くんのクラスの担任は着任したばかりの麻生先生になったみたいだ。
 麻生先生はお兄ちゃんの元同級生で、ボクのお兄ちゃんが総番長やってるってことはきっと知ってるんだと思う。舞佳さんとも仲いいらしいし。
 去年の教育実習の時にも会ったことあるし、その時に別になにか言われたってわけじゃない。
 言いふらしたりはしないと思うけど、ボクはちょっと憂鬱だった。
 成績もよかったって言うし、お兄ちゃんの事どう思ってるんだろう。内心では軽蔑してたりするんだろうか。
 それに、同い年でも明るくてとっつきやすい舞佳さんに比べると麻生先生ってすごく大人っぽくて、どう接したらいいかわかんない。
 別に普通の先生と一緒でいいとは思うんだけど。
 そんな事考えながら学校への道を歩いてると、前の方に純くんがいるのが見えた。とりあえず考え事はやめて急いで駆け寄る。
「おはよう!」
「! お、おはよう」
 一瞬びくっとしてから、純くんも挨拶をしてくれた。
「新しいクラス、どう? もう慣れた?」
「クラスは別に普通だけど、部活がちょっとな……インターハイを目指してみんな頑張ってるから」
 部長って言う立場で3年生になって、ただでさえみんなをひっぱってかなきゃならない純くんにとってはちょっとプレッシャーみたいだ。
「でも、やる気があるのはいいことだよな」
 そう続けた純くんの表情は、責任があるせいかちょっとこわばってたけど、自分自身も頑張ろうっていう意思が感じられて、なんだかボクまで嬉しくなる。
「うんうん、そうだよね!」
 そのまましばらく剣道部のことだとかバイトのことだとかたわいない話を続けてたんだけど、ふと気が付いたら坂城くんがボクたちの少し後ろを、一定の距離を保って歩いていた。
「……えっと、おはよう?」
 声をかけると、坂城くんはぱっと見は邪気のない、いつもの笑顔を浮かべた。
「いやーせっかくラブラブだったから邪魔しちゃ悪いなーと思ってたんだけどさー、見つかっちゃったよ。悪いな、純」
「ラ、ラブラブ……」
 あ。まずい。と思ったと同時に真っ赤になった純くんは走り去っていった。せっかく一緒に登校できたと思ったのに。
 坂城くんは謝るんならボクの方にも謝って欲しいよ、もう。
「ごめんね?」
「う」
 ニヤニヤしながら言われても逆に恥ずかしい。ボクも走って逃げちゃえばよかった。
「……新しいクラス、どう?」
 純くんとも話したけど、他に話題が思いつかなくて同じ話を振る。
「うーん、別に俺はいつも通りって感じかなー。やっぱり最上級生になったから、今までみたいにかわいがってもらいづらくはなったけど」
 校内ではそうなのかもしれないけど、たぶん休みの日には卒業した先輩と連絡を取ったりもしてるんだろうな、となんとなく思った。
「ああ、そうそう、純は茜ちゃんと別のクラスになって寂しがってるみたいだから、たまにはうちのクラスにも遊びに来てやってよ」
「そ、そうなんだ」
 その情報は嬉しいけど、坂城くんの前で露骨に喜ぶわけにもいかない。できるだけ無表情を装って歩いてると、やっと学校に着いた。
 靴を履きかえて、坂城くんは自分の教室の方へ歩いていく。
「それじゃあ、頑張ってね、茜ちゃん」
 なにを?


 わかってたけど、去年に比べると、そのつもりで行動しないと純くんと会うことは難しい。
 せめて隣同士のクラスなら体育で一緒になる事もあっただろうけど、それも期待できないし、ホームルームの終わるタイミングも意外とバラバラで、帰る時間もなかなか一緒にはならないし。
 坂城くんにはああ言われたけど、やっぱりわざわざ男の子に会いに別のクラスに行くのって気を遣う。
 今日は一緒に登校できたからいいけど。
 学校から帰るついでに夕食の買い物を済ませ、ちょうど家に着いたとき、木枯らし番長が家から出てきた。
 今日は四天王のみんなはうちでご飯を食べるって聞いてたんだけど、竹刀を持っているからこのままどこかに行っちゃうみたいだ。
「どうしたの?」
「姐さん。……ちょっと剣道部の指導を頼まれまして」
「今から?」
 いつもなら部活が始まる頃に着くように行ってるから、こんな時間に出るのは珍しい。
「ええ。なので俺の分の夕食は結構です」
「そんなに遅くなるの?」
 別に、ボクはちょっとくらい遅くなっても、家に寄って夕食を食べてくれて構わないんだけど。
「熱心なやつがいましてね。……では」
 剣道部ってそんなに遅くまで練習してるんだ。体壊さなきゃいいんだけど。
 頭によぎったのはもちろん、といっては木枯らし番長に悪いけど純くんの事だった。
 木枯らし番長の言う熱心なやつって、名前は出さなかったからわからないけど、純くんの事じゃないかって勝手に予想している。
 たとえ居残り練習を言い出したのが他の部員だったとしても、ただでさえ部長になって気合の入っている純くんが一緒にやらないわけがない。
 ボクになにかできないかな。
 買ったものをいったん冷蔵庫にしまって、部屋着に着替えながら考える。
 ボクには料理くらいしか出来ないからお弁当作ってお花見とか。
 お花見は前から行きたいって思ってたのにまだ行けてなくて、そろそろ桜も完全に散ってしまいそうだ。
 今週の日曜日なら間に合うかなって思ってカレンダーを見たけど、第三日曜日だった。運動部の活動日だ。
 もちろん純くんとの予定を立てるときにも気にするし、そもそもお兄ちゃんが高校生だった頃は、いつも応援団の活動で出かけてたからボク自身は帰宅部だけどよく知っている。
 がっかりしながら視線を横にずらす。ゴールデンウィーク。こどもの日。
「あっ」
 なんで忘れてたんだろう。穂刈くんの誕生日がもうすぐだった。


 電話の呼び出し音を聞きながらボクは言うべき事を一生懸命シミュレーションしていた。
 台本を書けばよかったかな。どうやって切り出せばいいだろう。
 長い呼び出し音が鳴って、留守番電話に切り替わるか替わらないかくらいの頃、やっと受話器をとる音がした。
『もしもし、坂城ですけど』
「あ、あの、一文字です。えーと……」
 本人が出てくれたのはほっとしたけど、やっぱり落ち着かなくて深呼吸する。
「来月、純くんの誕生日でしょ。それでプレゼント買いたいんだけど、ボク何がいいかわかんないし、それで……」
 坂城くんなら純くんと仲がいいし、そうじゃなくてもいろいろ情報通だし、なにか参考にできないかと思ったのだ。
 先月のホワイトデーのこともあったし、本当は本人に聞いた方が確実なんだろうけど、でも、買い物の参考にするくらいならいいはずだ。
 でも、やっぱりこうして口に出して相談するのは恥ずかしい。坂城くんはいつもボクたちのことからかってくるし、既に純くんとボクはセットみたいに考えてるのかもしれないけど。
 水仕事で冷えた手で触れてみると、すっかり顔が熱くなっている。
『そっか』
 ボクが必死に説明したのに対して、坂城くんの返答はとてもあっさりしたものだった。なんだか自分が考えすぎでバカみたいに思えるくらい。
『じゃあさ、一緒にショッピング街行こうよ。実際にものを見てアドバイスする方が確実だしさ』
「いいのかい?」
 確かに、この場でアドバイスしてもらっても、結局お店に行ったらすごく迷ってしまう気がする。
『俺、かわいい女の子のためならいくらでも動けるから』
 そしてもう少し予定を詰めて、来週の日曜に駅前広場で待ち合わせという事になった。お金下ろしておかなきゃ。


 木枯らし番長は、日曜日の朝もうちに寄った後に部活に出かけていった。
「なんか今年は熱心だよね」
 今までも部活に指導に行く事はあったけど、最近やけに頻度が高い気がする。
「今年はインターハイに出れそうだから特に力を入れているらしいわよん」
 コンビニの夜勤バイトから帰ってきた舞佳さんは眠そうな様子も見せずに朝ごはんを食べている。
 今日は在宅の仕事があるとかで、それをやるついでにボクの代わりにお兄ちゃんの世話もしてくれる事になっていた。
 ボクは自分の食べた分の食器を洗いながら相槌を打つ。
「インターハイに出れたとして、応援団はもう廃部になっちゃってるからお兄ちゃん残念だろうなー」
 相撲部がなくなっちゃった筋肉番長と同じように、お兄ちゃんは今でも後輩の指導に出かける火の玉番長や木枯らし番長をうらやましがってるところがある。
 もし今も応援団があったらはりきって学校に行くんだろうな。今の木枯らし番長みたいに。
「そうねぇ。あ、そろそろ時間じゃない?」
 舞佳さんの言うとおり、もう出ないと遅刻してしまう。
 玄関まで見送ってもらって家を出た。今日は少し肌寒いけれど、雨の予報じゃなかったから出かける人も多いみたいだ。
 駅前広場も待ち合わせの人で賑わっている。
「茜ちゃん」
 人が多すぎてボクは坂城くんを全然見つけられなかったんだけど、坂城くんの方はすぐにボクの姿を見つけてやってきた。さすがだ。
「それじゃあ適当にぶらぶらしようか」
 とりあえず近くにあった雑貨屋に入る。
 このお店は雑貨屋といっても女の子向けの小物ばかりじゃなく、輸入物のお菓子やおしゃれなインテリアとか、男の子へのプレゼントになるようなものも売っていそうだった。
「お、この腕時計かっこいい」
 坂城くんが手にしたのは真っ赤なデジタル腕時計。一部に黄色がアクセントとして使われていて確かにおしゃれだけど。
「でも純くんはそんな感じじゃないって思うな、ボク」
 ボクの中のイメージだと黒か紺って感じだ。質実剛健って感じの。
「茜ちゃんがくれたんならあいつはなんだってつけるだろうけどね」
 坂城くんは笑ってるけど、そうだったら確かに嬉しいけど、それだとわざわざ相談した意味がない。
 次に坂城くんが手に取ったのはシンプルなロゴとラインの入ったスポーツタオルだった。
「これなんかは?」
「この前これの色違いの買ってた……」
 タオルだから何枚あっても構わないのかもしれないけど、さすがに一緒にいるときに買ったものをプレゼントするのは気が引ける。
「ふんふん。じゃあストラップは?」
「つけてるの見たことないし、あんまり好きじゃないみたいだよね」
 定期入れは電車通学じゃないと使わないだろうし、スポーツショップで剣道関係のものを買うってのも考えたけど、それこそ失敗しそうだ。
 店内を一周してもピンと来るものがなくて困っていると、坂城くんがニコニコしているのに気付いた。
「なに?」
 アドバイスを却下し続けているのに気を悪くした様子もないのはほっとするんだけど、笑顔で見つめられるのもどうしたんだろうって思う。
「いや? 楽しそうだなーと思ってさ」
「楽しい、かなぁ……」
 選んだもので喜んでくれるか不安で、手放しに楽しいなんてボクはとても言えない。
「でも、好きな相手の事考えながら買い物するのって、いいもんでしょ」
 さらっと坂城くんに言われて、ボクは恥ずかしくなる。
 別に口に出して純くんの事好きって言ったわけじゃないのに、既に坂城くんには気付かれてるんだ。
「一文字さんは純のこと、もう十分色々知ってるんだし、喜ぶもの渡せるって」
「そうかなぁ」
「絶対そうだよ」
 自信たっぷりに坂城くんが頷いた。


 ようやく迎えた誕生日当日、ボクは紙袋を持って純くんを待っていた。
 一緒に見たかった桜は散っちゃったけど、青葉が太陽の光を反射してきらきらして、これはこれできれいだった。
 さっきから腕時計を確認しているんだけど時間が進んでいる気がしない。その間ずっとボクはプレゼント気に入ってもらえるかどうか、不安な気持ちでそわそわしている。
 今日も部活があるらしくて、プレゼントを渡すだけだったからあんまり純くんが来るのが遅くなると、本当に渡すだけで終わってしまう。
 とはいっても、ボクが早めに来ちゃっただけでまだまだ時間はあるんだけど。
「あ、純くん!」
 向こうから歩いてきた純くんは、ボクの姿を見つけると走ってやってきた。
「あれ、私服なの?」
 まさか袴を着て部活に行くとは思ってないけど、普段は制服で部活に行ってるはずだし、今日は竹刀も持っていないみたいだ。
「ちょっと最近練習しすぎだから、怪我する前に休めって急に言われたんだ」
 だったら今日はボクとゆっくりできるって事だろうか。顔が緩むのを抑えられない。
「そうそう、せっかくのお誕生日だしたまには休まなきゃ」
「そうかな……」
 純くんはせっかく練習がお休みになったのに、なんだか落ち着かない様子でそわそわしている。やっぱり真面目なんだ。
 とりあえず、ボクは用意していた包みを手渡した。
「お誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとう……」
 もちろん誕生日プレゼントを渡したいからって言って呼び出してたんだけど、それでも嬉しそうに純くんは包みを受け取ってくれた。
「開けてもいいか?」
「うんうん! 気に入ってくれると嬉しいんだけどな、ボク」
 中身はジョギング用シューズと、今朝早めに起きて作ったマフィンだった。体作りのためにジョギングは欠かせないって前に言ってたし、いつもお世話になってるからこういう時くらいはって思って奮発して選んだ。
「サイズは坂城くんに聞いたんだけど、ちょっと履いてみてよ。お店の人もサイズが合わなかったら返品できるって言ってたからさ」
「匠に?」
 近くにあった車両止めに腰掛けながら純くんが聞き返す。
「うん。何がいいかわかんなくて坂城くんに相談したんだ。靴にするのはボクが決めたんだけど、サイズは坂城くんに教えてもらってさ」
 それを聞いて純くんががっくりと肩を落とした。
「そうか……一文字さんとデートしてきたってそういう事か……」
「え? え? デート?」
 なんのことかわかんなくて聞き返すと、ちょっと純くんはすねたような顔になった。
「匠が、この前わざわざ俺に言ってきたんだ。今度一文字さんとデートしてくるって。別に一文字さんが匠と遊ぶのを止める俺に権利はないが……誕生日プレゼントなら、俺に聞けばよかっただろ」
 もしかして、やきもちを焼いてくれたんだろうか。しばらく謝るのも忘れてぽかんとしてしまう。
「ご、ごめんね。ホワイトデーの時は偉そうなこと言ったのに、ボク……」
 我に返って謝ると、純くんも自分が言ったことに気付いたのか顔を赤くした。
「い、いや、別に……。それにどうせ匠もこうなるってわかってて仕組んだんだろうから」
 そして、お財布からなにかの紙切れを取り出した。
「匠が植物園のチケットを二枚くれたんだ。よかったら、これから一緒にいかないか?」
 純くんが立ち上がって数歩歩く。どうやら靴もぴったりみたいだ。
「うん!」
 そして今日一日ボクは純くんと色々見て回った。
 久々に一緒にいられて、充実した一日だった。




...




※この話は、2010. 5. 5に書いたものを2016. 11. 17に加筆修正しています。

 3年目春。
 前回の話でやったことと逆のことを茜ちゃんがやってるってのに、最初気付いてなくて後で慌てました。自分がポンコツ過ぎて……。
 でも、偉そうに言っといて後で自分が同じことやっちゃうってリアル人生でもよくありますよね。うん(開き直り)。


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