よろこびのきもち


 春先の空気は気持ちがよくて、それだけでなんだかわくわくする。
 でも、そんないい時期に学年末テストなんてものがあるとせっかくの気分も台無しだ。日曜日に自分の部屋で数学の教科書なんかと向き合ってればなおさら。
「もう全然わかんないよ~」
 誰もいない部屋で呟いて、勢いよく床に転がると窓際に置いてあるガーベラの鉢が目に入った。去年のホワイトデーに純くんに貰ったもので、なんとか枯らすことなく無事に根を張ってくれている。
 それを見て、もう一年経っちゃったんだなと懐かしく思った。
 テストが終わったらまたホワイトデーがやってくる。
『再来週の日曜日、遊びに行かないか?』
 緊張した様子で電話をかけてきた純くんはもうすぐホワイトデーだって覚えているだろうか。
 お返しが欲しくてあげてるわけじゃないんだけど、なんだかどきどきそわそわしてくる。
 どんなものをくれるんだろうとか、忘れてたらどうしようとか。
 律儀な純くんに限ってそんなことはないと信じたいけど、万が一ってこともあるかもしれない。
 ホワイトデーの事ばかり考えているうちにいつの間にかバイトに行かなきゃいけない時間になっていて、ボクは慌てて家を飛び出した。


 そんな風にバタバタ過ごしているうちにテストも無事に終わって、約束の日がやってきた。
 空は晴れてるけど、この時期にしては少し肌寒い。マフラーをしてきて正解だった。
 待ち合わせ場所の伊集院大橋前にはボクが先に着いちゃってたけど、純くんも時間に正確だからそんなに待つことにはならないだろう。
「純くん!」
 思った通り、時間にほぼぴったりなくらいのタイミングで、曲がり角の向こうから純くんがやってきた。
「ごめん、待ったか?」
「ううん」
 いつものように、純くんは少し緊張してるみたいな表情で近づいてくる。
 そろそろボクと遊ぶのに慣れたっていいんじゃないかとも思うけど、ボクはその顔を見るのが好きだなって事に最近気づいた。
 それだけ気合を入れてくれるんだと思うし、純くんほど態度には出てないと思うんだけど、ドキドキしてるのはボクも同じだったから。
「今日はどうするの?」
 いつもは、「中央公園に行かないか?」とかって場所をはっきりさせて誘われる事が多かったんだけど、今日は何も言われてなかった。
 純くんならボクの嫌いな所には連れてかないだろうって思ってるから別にいいんだけど。
「と、とりあえずひびきのタワーに登ってみないか? ……天気もいいし」
 確かに、この近くにはちょっと前にできたタワーがある。きっと上に登ったらすごく見晴らしがいいんだろうなっていうのは思う。
「でも、ちょっと塔に登るだけで600円かかるんでしょ?」
 ボクとしては、高いところは好きだけど今日はちょっとお財布の中身が心もとない。
 テスト勉強のせいで家事に手が回らなくて、お惣菜に頼る羽目になってしまったのがよくなかった。
「俺が出すから」
「え、でも……」
 ボクが何か言う前に、純くんがタワーのチケットを差し出してきた。もうすでに買ってあったみたいだ。
「行こうぜ」
「う、うん」
 純くんが歩き出してしまったし、チケットを買ってしまった以上断る理由もなくてタワーに入る。
 受付のお姉さんにチケットを渡すと、にこやかにほほ笑んでエレベーターに案内してくれた。
 このひびきのタワーは、出来た直後はエレベーターがぎゅうぎゅうづめになるくらい人がどっと押し寄せていたって聞いている。
 でも、さすがにオープンしてから数か月たった今は落ち着いていて、今エレベーターに乗ったのはボクと純くんの2人だけだ。
 ガラス張りの窓からはぐんぐんと地面が遠ざかっていくのが見える。
 タワーなんてって思ってたけど、やっぱり気持ちいい眺めだ。
 ボクが窓の外に夢中になってるのに対して、純くんは真顔でじっとエレベーターの階数を表すデジタル数字を見つめている。
 誘ってきたのは純くんなのに、あんまり楽しみじゃないのかな。声をかけようと思ったのと同時に、展望台のある階に着いた。
 思わずボクは窓の近くに駆け寄った。
「うわー、すごいすごい!」
 ひびきの市が一望できる。しかも観覧車よりももっと高い。
 つい大声ではしゃいでしまってからあたりを見回したけど、周りの人は気にした様子はなかったのでほっとした。
「ねえねえ、純くんもこっちおいでよ」
「あ、ああ……」
 エレベーターから降りた所でぼんやり立っていた純くんは、少しびくっとした後にこっちへやってきた。
 高いところが苦手ってわけじゃなかったと思うんだけど、どうしたんだろう。
 景色を純くんと眺めながら、展望台を一周する。天気がいいから遠くまで見えて爽快だ。
「双眼鏡、覗くか?」
 純くんが窓沿いに置かれた双眼鏡を指さす。小銭を入れたら数分間見れるものだ。
「もったいないからいいよ。それにこうやって肉眼で見た方が、広々見れて好きだな、ボク」
「そうか」
 あっちに見える建物は、ひびきの高校だろうか。という事は、あのへんが食堂で、あの辺りがボクの家で。
 しばらくそんな事を考えながら景色に夢中になっていたけど、ふと気が付いたら純くんがなにか言いたそうにじっとこっちを見ていた。
「どうかした?」
「いや……そろそろ移動するか? もうすぐ昼だし」
 言われてみると、たしかにそんな時間だった。
「うん、じゃあどっか行こっか」


 タワーから出た後もやっぱり純くんに案内されるままについて行って、到着したのはなんだかおしゃれな雰囲気の喫茶店だった。
 ボクには合わない雰囲気だ。それに、こう言ってしまうとなんだけど、純くんにも合わない雰囲気だと思う。
 どっちかというと、ここは坂城くん向けのお店じゃないだろうか。
 大きなガラス窓から中を見ると、かわいい感じの女の子同士が楽しそうにおしゃべりしているのが見える。接客してるのもかわいい制服の女の子ばかりだし。
 そのせいかどうかはわからないけれど、純くんも緊張したように固まっている。
「ねえねえ、違うお店にしようよ。いつもの食堂とか」
 前を向いたまま固まってしまったから服の裾を引っ張ってそう言ってみたんだけど、純くんは首を振った。
「いや……ここにしよう」
 ボクがそう言った事で逆に踏ん切りがついたのか、純くんはずんずんお店の中に入っていった。
 仕方がないのでボクもついていく。
「いらっしゃいませー。メニューをどうぞ」
 ウエイトレスさんに渡されたメニューを開く。
 お店の感じから予想はしてたけど、一番安くてもサンドイッチが800円とか、ボクの懐具合から考えるとちょっと高い。
 自分で作ったらずっと安くなるのに。
 そう思ったのが顔に出てしまったのか、純くんが言った。
「お、俺が……払う、から」
「えっ」
 さっきだってタワーの入場料払って貰ったのに。
 それに、純くんが唇をぎゅっと結んでいて、あまり楽しめている様子にも見えないからこっちもどうしたらいいのかわからない。
「そんなの悪いよ、いいよ」
「いや、いいんだ」
 今日の純くんはなんか変だ。
 ぎこちないのも、会話がスムーズじゃないのもいつもの事だけど、でもどこかいつもと違う。
「純くん、何かあった?」
「いや……別に」
 でも、普段の純くんならああいう風には振舞わない。それくらいの事がわかる程度には純くんと親しく付き合ってきたつもりだ。
 それでも、理由がわからないことにはどうしたらいいのがわからなくて、味気ない気持ちで純くんに注文してもらったサンドイッチを食べた。


 理由がわかったのは食後、トイレに行って戻ってきたときだった。
 純くんは周りの目線を気にするようにして体をかがめてなにかを熱心に見ている。
「何見てるの?」
「うわっ!」
 ボクが声をかけると、純くんは大きく体を震わせた。その調子に、今見ていたらしい紙切れがひらひらと床に落ちた。純くんに取られる前にボクが拾い上げる。
「『匠くん直伝、デート必勝法』……」
 確かにこれは坂城くんの字で、そして坂城くんが立てた計画だったら今日の行動もなんとなくわかった。
「……と、とりあえず出ようぜ」
 気まずそうな純くんに促され、お店を出る。もうお会計は済ませちゃってたみたいなんだけど、無理やりボクの分のお金を渡した。
 いくら払ってくれるって言われても、今日の純くんにそのまま払ってもらうのはなんだか抵抗があった。
「あの紙、どうしたの?」
 純くんはそのまま紙のことは忘れてほしかったんだろうけど、そうはいかない。
 歩きながら質問すると、純くんは言いづらそうにしていたけど、ボクがもう一度質問するとあきらめたみたいだった。
「……匠に相談して書いてもらったんだ」
「なんで?」
 坂城くんに書いてもらったのは紙を見ればわかる。でも、なんで今更そんなことするんだろう。
 これまでも2人で遊ぶ事はあったけど、その時は今日みたいな不自然な様子はなかった、と思う。
 初めて遊びに行くときならともかく、今日に限ってそんな紙を用意する理由がわからなかった。
「も、もうすぐホワイトデーだったから……お返し、どういうものがいいかと思って相談したんだ。そしたら、いつもと違った感じで遊ぶのがいいんじゃないかって言われて……」
 ほとんど消え入りそうな声で、純くんはボクから目線をそらしたままで言った。
 ホワイトデーは今週の水曜日だったから、まさか今日のデートがお返しのつもりだとは思ってなかった。
「……すまん」
 驚いて目を丸くしていると、謝罪の言葉まで付け足されてしまって、こっちまで慌ててしまう。
「べ、別に怒ってるわけじゃないから気にしないでよ」
 正直言えば、普段とは違って強引に行動する純くんになんで? っていうのは思っていたけど、別に責めるつもりはなかった。
 それがボクへのお返しのつもりだったって聞いてしまったらなおさらだ。
「でも、そんなに気を遣わなくてもよかったのに。わざわざ坂城くんに聞いたりしなくても、普段通りで」
 歩いているうちに中央公園の入り口付近まで来ていたので、中に入る。
 並木の桜ももう少ししたら見ごろだろうか。
 そういえば、去年は純くんと一緒に桜を見たんだった。
 雨が降ったせいで予定していたお花見じゃなかったけど、並んで桜を見たときの切ない、でも幸せな気持ちがよみがえってくる。
 今年もまた純くんとお花見をしたいなと思った。
「……慣れてない俺が考えるより、匠に相談した方がいいかって思ったんだ」
 ボクが並木を見上げて、視線が純くんから外れた事にほっとしたのだろうか。
 純くんの喋り方がさっきよりも落ち着いた感じがする。
「最初はもちろん自分で考えてたけど、ずっと考えてるとなにがいいのかよくわからなくなって……」
 考えれば考えるほど結論が出せなくなるのは、わかる気がする。
 でも、ボクはそういうのが苦手な純くんを好きになったんだから、無理しなくたっていいのに。
 ……なんて事はさすがに言えなくて、無難な言葉に言い換えた。
「ボクはいつも通りの方が楽しいよ」
 それを聞いた純くんは今日の事をちょっと思い返してるみたいだった。
「そうみたいだな」
「それに、純くんだってあまり楽しめなかったでしょ」
「そうだな……匠のアドバイス通りにやれてるかとか、そんな事ばかり気になってた」
 純くんはもう一度すまん、と言ってうつむいてしまった。
「ううん。……そうやって色々考えてくれるのはすごく嬉しいよ、ボク」
 純くんの袖をそっと引くと、救われたような顔になって純くんは顔を上げた。
「だから今度からは一緒に考えようよ」
 言ってからちょっと自分の台詞に恥ずかしくなってしまったけれど、純くんも本当に真っ赤になってしまったけれども、それでもちゃんとうなずいてくれた。
「一文字さん、この後はショッピング街に行かないか? なにが欲しいのか教えてくれ」
 生真面目な顔をして純くんが言うものだから笑ってしまう。でも、なんだかすごく幸せだ。
「うーん、今はあんまり欲しいものって思いつかないなあ、ボク。もしかしたら見るだけですごく時間がかかっちゃうかもしれないけど、それでもいいかい?」
「ああ」
 そして、ボクたちはショッピング街に向けて歩き出す。
 足取りが弾んでいるのが自分でもわかった。



...




※この話は2010年以前に書いたものを2016. 11. 16に加筆修正しています。

 純が茜ちゃんを楽しませようとして空回るさまを書こうと思ったんですがなんだかとてもいたたまれないです。


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