愛のお祭りII


 年が明けて新しい年にもようやく慣れてきた頃、それは訪れる。
 色々な陰謀が渦巻く一大イベント、愛のお祭りが。


「うーん……」
 思えば、本命チョコを作るというのは生まれて初めてかもしれない。
 学校帰りに立ち寄った本屋さんで、ボクはひとりで途方に暮れていた。
 今はまだ1月だけど、料理本コーナーにはいろいろなチョコレート菓子の本が並んでいて、かわいいハートのポップで彩られている。
 いかにもバレンタインの準備ならまかせてくださいって感じだ。
 ボクは、小さい頃ならお兄ちゃん含めた周りの人全員に「本命チョコ」だと言ってチョコを配っていた覚えはあるけど、それを除いたら、本来の意味での本命チョコを男の子にあげたことなんて一度もない。
 だから、純くんへの気持ちを自覚してから初めて迎えるこのバレンタインには異常に気合が入ってしまう。
 お菓子作りは慣れてるし、本だってもちろん家にあるんだけど、今まで通りのレシピでいいのか自信が持てない。流行とかもあるかもしれないし。
 でも、こうやってたくさんのお菓子作りの本が並んでいる前に立つと、いったいどれがいいのかよくわからなくなってきた。
 何回も同じ本を手に取っては戻したり、見比べてみたりはするんだけど。
「あららー? 茜ちゃん、どうしたの? こんな所で」
 本に集中していたところに聞きなれた声がして、心臓が止まりそうになった。
「ま、舞佳さん……」
 舞佳さんは今日は本屋でバイトだったみたいだ。振り返ると制服らしいエプロン姿でにこにこ、というかにやにや寄りの笑顔を浮かべながら立っていた。
「それ、バレンタインの本でしょ? 誰にあげるの? やっぱ、穂刈くんかしらん?」
 そんなに家で純くんの話題を出してるわけじゃないと思うんだけど、なんでばれちゃってるんだろう。
 見られてしまったのが気まずくて慌てて本を戻す。
「そ、そういうわけじゃなくて……純くんにあげなくもないけど……、どんなのがあるのかちょっと見てみようと思っただけです!」
「やっぱりあげるのね?」
 坂城くんに走り出す純くんの気持ちがいま少しわかった。
「いやー、1か月も前から用意するなんて気合入ってるわねー。青春青春」
 ボク以外にも今からバレンタインの本を買っている女の子はちらほらいるし、別に特別ボクだけが気合が入ってるわけじゃないと思うんだけど、やっぱりそう言われると恥ずかしい。
「別にいいじゃないですかそんな事……。それより舞佳さん、仕事はしなくていいんですか?」
 追及されたくないあまり、ちょっと突き放すような言い方になっちゃったかなと思ったけど、舞佳さんは気にしてないみたいだった。
「ああ、そうね。じゃ、名残惜しいけどまたね、茜ちゃん」
 そう言うと舞佳さんは店の奥の方へ駆けていった。
 さすがにもうこれ以上ここで本を見る気にはならなくて、そのままボクは店を出た。


 あれからも色々な本を読んでみたけれど、何を作ればいいのか決まらない。
 そもそも、義理と本命で別のものを作るべきかどうかもわからない。
 別に今すぐ告白したいってわけじゃないから、別のものにしたらあからさますぎるかなっていう気もするし、でも、お兄ちゃんにあげるお菓子と純くんにあげるお菓子が同じなのって、なんかいまいちだ。
 どうしようどうしよう、バレンタインはもう明日だ。
 休み時間中も、いつもみたいに他の人とおしゃべりする気分になれなくて、席に座って頭を抱えた。
「純、明日はなんの日か知ってるか?」
 斜め上から坂城くんの声が聞こえてきた。
 気になる名前と話題に、ついそっちの方を向いてしまい、坂城くんと目が合う。
 恥ずかしい。でも、ちょっと助かった。
 坂城くんはボクの心境を知っているのかいないのか、顔は純くんの方を向いていたけど、あからさまにボクに聞こえるような声で言った。
「バレンタインのチョコレート、欲しいよなあ。茜ちゃんはくれないのかなあ?」
 ボクの名前を出してくれたおかげで、話題に加わる勇気が出た。
「じゃ、じゃあどういうのが欲しいのか教えてよ。参考にするから」
「愛のこもった手作りならなんでも。だよな、純?」
「えっ!?」
 話題を振られて、純くんは真っ赤になってうろたえだす。
 あんまり追及するとまた逃げられちゃうかもしれないけど、ボクもここはぜひきっちり純くんの希望を聞いておきたい。
「純くんは?」
「お、俺にもくれるのか?」
 去年だって義理だけどあげたんだから、まさかあげるかどうかから確認されるとは思わなかった。
「もちろんだよ。純くん、どんなのが好き?」
「どんなのでも……」
「ダメダメ、それじゃ参考にならないよ。もっと具体的なリクエストが知りたいんだ。例えばパウンドケーキとかさ」
「そ、それじゃあパウンドケーキ」
 なんか、誘導したみたいになっちゃった。本当はもっとトリュフとか、ガトーショコラとか、いろいろな選択肢があったはずなのに。
 でも、きっとこれが純くんの限界なんだろう。
 ボクは精いっぱい自然に見えるように笑顔を作った。
「ありがとう。参考にするよ。楽しみにしてて」
「ああ」
 純くんが嬉しそうに微笑んでくれたから、ボクも嬉しかった。
 帰りはスーパーに行って材料を買ってこよう。確か卵も残り一個しかなかったし、買わなきゃならないはずだ。それにラッピングもまだ用意していない。
 そんな事を考えていたら、あっという間に授業が終わっていた。


「茜ー! 俺は許さんぞー!」
 お兄ちゃんが居間で叫んでいる。
 でも、怒鳴るだけで台所には乱入してこない。去年邪魔されたときにさんざん言っておいたから、へたしたら自分の分がなくなるって事をよくわかっているのだ。
 安心してパウンドケーキを作ることができる。
 それにしても、チョコレートなんて毎年作ってるのに、なんで今年に限ってこんなに暴れるんだろう。
 結局義理も本命も同じものを作ることに決めたんだけど、それでも今年は違うんだって態度に出ちゃってたのかな。
「おで、生チョコがいい」
「フッ……俺はクッキーの方が……」
「俺はガトーショコラが食べたいぜ!」
「バイト中にも気軽に食べれるものがいいわよねん」
 みんなが口々に言いながら台所を覗きに来るからボクは苦笑した。
「もう作り始めちゃってるんだから、いまさら言われても困るよー」
 そうは言ってみたけど、前もって言われてても今年はみんなのリクエストに対応できなかったはずだ。
 去年まではお兄ちゃんや四天王の好みを考慮に入れて作ってたけど、今年は家族でもない男の子のリクエストを元に作るのだ。
 それはすこし罪悪感がある反面、なんだか幸せだった。
「茜ちゃん、手伝おうか?」
「えっ、だ、大丈夫です」
 つい断ってしまって、舞佳さんににやにや笑われる。
 そういえば、舞佳さんは事情を知っているはずだった。
 ボクはからかわれたことに気付いて、表情を見られないように不自然なくらいボウルの中を覗き込んだ。
「そうよねえー、自分ひとりだけで作りたいわよね。茜ちゃんもお年頃だしねぇ」
「そ、それはどういう意味だ!」
 後ろから机をたたいて立ち上がる音が聞こえてくる。でもまだどうにか立ったところでこらえてる様子だ。
「どう解釈してもいいわよん」
「舞佳さん……」
 あまりお兄ちゃんを煽らないでほしい。
 舞佳さんがいろいろ言うものだから、お兄ちゃんはさっきまで元気に暴れていたのが嘘みたいに苦しげな様子になった。
「茜……やはりお前は本命チョコをあげる相手が……」
「いないって!」
 ボクの気持ちはどうあれ、一応、純くんにも義理チョコとして渡す予定だ。
 だからお兄ちゃんに100%嘘をついているわけではない。
「本当か?」
「……本当だよ」
 即答したかったのに、ちょっとうろたえてしまった。その心の隙をつくように、さらにお兄ちゃんが聞いてくる。
「じゃあ茜は気になる男もいないというのか」
 今日のお兄ちゃんは妙にしつこい。いつもは否定したらわりとすぐに納得してくれてたのに。。
「そんな事聞いてどうするの?」
 こんな風に聞いて、逆に怪しまれるだろうか。でも、質問ばかりされっぱなしで変に口を滑らせるのは避けたい。
「妹を心配しているだけだ! や、やましい所なんてないぞ!」
 いちいちそんな事を言っているあたりがやっぱり怪しいんだけど、隠し事があるのはボクも同じだ。
 お兄ちゃんの言うことは無視してボウルの中身を混ぜ合わせる。
「気になる男がいない方が困るんじゃないんですか? 総番長……」
 木枯らし番長がなにか小声でお兄ちゃんに言っているみたいだ。
 河川敷で、とか、放課後に呼び出して、とか断片的に聞こえてきたけどなんのことなんだろう。
「……そ、そんなわけがないだろう!」
 木枯し番長の台詞にお兄ちゃんが一瞬口ごもった後に否定した。
 普段だったらすぐに否定するはずなのに。それに、ボクに気になる男の子がいない方が困る、なんてことあるわけないのに、木枯らし番長はなんでそんなこと言うんだろう。
「茜に近づく男は俺が許さーん!」
 なにか隠し事をされている気がする、という直感もお兄ちゃんの叫び声で吹き飛んでしまった。


 パウンドケーキは冷蔵庫に入れて、「今夜一緒に食べようね」とお兄ちゃんに言っておいてから家を出た。
 お兄ちゃんには悪いけど、一番最初に食べるのは純くんであって欲しかった。
 なんでだろうか、そういう風に思ってしまって、ボクは今回味見もしていないのだ。
 パウンドケーキに決まっちゃったときはちょっと簡単すぎる気がしてがっかりしたけど、逆に作りなれたものでよかったかもしれない。
 いつ食べるかは純くんの意思も関わってくるからどうしようもないけど、せめて一番最初に渡すくらいはしたかった。
 白い息を吐きながら通学路を歩く。
 体が熱いから、冷たい空気が逆に気持ちいい。
 いつもの通学路を見渡しても、純くんはいない。学校に着いたらもういるだろうか。
 気が急いて前へ前へと意識が飛んでしまう。
「茜ちゃん」
「!」
 びくっとして振り返ると坂城くんがいた。純くんはいない。がっかりする。
「どうしたの? そんなに驚いて」
「ちょっと、考え事してたからさ、ボク」
 坂城くんがボクの手に持っている紙袋に目をやった。
「で、その紙袋の中はチョコレート? 俺の分は?」
「あるけど……」
 どう答えたらいいだろう。
 もちろん、坂城くんにはお世話になっているから渡すのは全く構わないんだけど、ここで坂城くんに渡したらわざわざお兄ちゃんに夜まで食べないように言った意味がなくなってしまう。
「渡すの、教室についてからでいい?」
「ん、いいよ」
 もらえるってことがわかればそれでいいのか、坂城くんは理由を聞かなかった。
 形が崩れてないからちゃんとチェックしてから、とか、いろいろ言い訳を考えていたボクはほっとした。
 学校まで歩いている間にも、通り過ぎていく女の子たちがチョコを坂城くんに渡していく。
 ボクがいる前で軽い感じで渡していくから、たぶん本命ではないんだろうけど、もらうたびに坂城くんは満面の笑みになる。
「いやー、チョコがこんなにたくさんあるなんて嬉しいね」
 坂城くんはもらったチョコを全部紙袋に入れて、重さを確かめるように持ち上げたりしている。
 でも、そんなにあっても食べきれないんじゃないだろうか。
 食べきれないで腐らせたらもったいないだけだ。
「女の子の気持ちが嬉しいんだよね」
 チョコレートの重さが、女の子の思いの重さだとでも言うように坂城くんが大事そうに紙袋を抱えた。
「やっぱり、ボクにはよくわかんないな」
「それが男心ってやつだよ」
 純くんはどうなのだろう。
 たぶん口ではそんなこと絶対言わないと思うけど、内心では、量を貰えば貰えただけ嬉しいと思っているんだろうか。
「…………」
 ボク以外に純くんにチョコを渡しそうな人、と考えて去年の光景が思い浮かぶ。
 踊り場で純くんにチョコレートを渡した女の子。
 純くんはホワイトデーの時に断ったって言ってたし、あの子は別のクラスになっちゃったみたいで、その後純くんと会話してるところを見ていないけど。
「どうしたの? 茜ちゃん。ため息なんてついちゃって」
 ああ、なんだか緊張してきた。


 坂城くんと並んで下駄箱で靴を履き替えていると、3年生っぽい女の人がこちらにやってきた。
 ボクの方には一瞬だけ鋭い視線を向けたけど、坂城くんには思いつめたように緊張した様子で、ちょっと自分についてきてほしい、と言っている。
 まあ、そういうことなんだろう。
「またねー、茜ちゃん」
 場違いなくらい明るく言って、坂城くんが手を振った。
 坂城くんは女の子の事は好きだけど、その愛情は広く浅く。
 きっとあの先輩の想いは坂城くんの心には届かないんじゃないだろうか。
 先輩に呼び出されて、迷惑そうな様子ではなかったけれど、義理チョコをもらっていた時と比べて特に表情の違いはなかった。
 その先輩とは初対面だし、失恋したからって同情する義理もないんだけど、届かない思いもあるという事を考えると他人事じゃないから、ボクの胸まで痛くなった。
 それに、純くんだって去年は女の子に対して断りの返事をしている。
 ……別にボクは本命チョコだといって渡すわけじゃないから関係ない。
 そう自分に言い聞かせながら教室へ向かう。
 教室には、既に純くんが座っていた。よかった。これで純くんに一番に渡すことができる。
 心臓が痛いくらいドキドキしてきた。
「純くん!」
 後ろから声をかけると、純くんは椅子から飛び上がりそうなくらいびくっとしてから、ぎこちなく振り返った。
「よ、よう」
 純くんの顔はすでにメガネが曇っちゃうくらい赤いけど、たぶんこっちも同じなんだろうな。
「はい、約束のパウンドケーキ。ちゃんとこれは義理だから、安心してね」
 もっと気の利いたことを言って渡したかったのに、義理だから安心して、なんて変なこと言っちゃった。純くんが複雑そうな顔に見えるのはボクの願望だろうか。
「あ、ああ……ありがとう」
 ほとんど声がかすれてしまってたけど、お礼を言ってくれたのはわかった。
 それは嬉しかったんだけど、その一方でボクはつい机の横にかかっている純くんの鞄を見てしまう。
 不自然に膨らんでいる、という事はないけど、1個か2個程度じゃ外からじゃわからないだろう。
 どうなんだろう。純くんは他の女の子にもチョコをもらってしまったんだろうか。
 聞いてみたかったけど、でも、仮に今はまだもらってなかったとしても、帰るまでにもらってしまうのかもしれない。監視してない限りボクには把握しようがない。
「……い、一文字さん?」
 ボクがなかなか立ち去ろうとしないせいで、純くんが照れたままうろたえてるのに気付いた。
「あ、ご、ごめんごめん、別に用事はそれだけなんだ」
 そう言って1歩後ずさる。このまま同じ教室にいたら、純くんの反応ばかり気になって死んでしまいそうだった。
「……じゃ、じゃあ、ボク他の人たちにも渡してくるから」
 早足で教室を出たところで、そっと振り返る。純くんは今渡したばかりの包みを、壊れ物でも扱うように丁寧な手つきで開いていた。
 ボクは小さくガッツポーズした。




...




※この話は2010年以前に書いたものを2017. 1. 15に加筆修正しています。

 2年目のバレンタインです。
 当時販売していたアイシャドウの色名で、「魔法の粉」「魔法の粉II」というのがあって、それをこの話のタイトルの参考(?)にしてました。


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