I realize 夏休みが終わると、修学旅行だ。 行き先は北海道。 旅行なんてめったに行く機会がないからすごく楽しみで、いつも以上に授業に身が入らない。 でも、修学旅行となると、一週間近くお兄ちゃんを置いて出かける事になる。ボクはそれがちょっと心配だった。 「舞佳さん、すみませんけどよろしくお願いします」 結局、旅行中は四天王のみんなにお兄ちゃんの面倒を見てもらうようお願いすることにした。 お兄ちゃんだって家事がまったく出来ないわけではないけど、いつもはボクがほとんどやっちゃうから、いない間ちゃんとやっていけるのか不安だ。 おなかがすいて困るくらいならともかく、予算を使いすぎちゃったりとかされたら困るのはボクだ。 「いいって。茜ちゃんたちにはいつもお世話になってるんだし。楽しんできてねん」 そう言って、舞佳さんがウィンクをした。 「姐さん、おみやげ、よろしく」 頬に擦り傷を作った筋肉番長がたどたどしく言う。 どこかで転んだりでもしたんだろうか。でも、顔なんてめったに転んでぶつけるような場所じゃない。 傷の原因について聞いてみたけど、筋肉番長には珍しく言葉を濁されてしまった。 むやみに喧嘩をするような性格じゃないから、誰かと争ったってことはないと思うんだけど。 「俺も楽しみにしてるぜ! バターサンド!」 「フッ……北海道なら、俺は熊カレーが気になりますね」 「わかったわかった、ちゃんと買ってくるから!」 ボクがそう言ったからなのか、一通り主張して満足したのか、みんなは大人しくなった。 みんなはボクより年上なのに、たまにボクより子供みたいだ。 なんて呆れてしまうけど、やっぱりボク自身も修学旅行のことがずっと頭から離れなくて、暇さえあればガイドブックを見たりなんかしてしまう。 修学旅行って、やっぱり学校生活最大のイベントだ。 そして、ようやく北海道に出発する日がやってきた。 飛行機の時間の関係で、いつもより一時間も早く登校しなければならない。 眠い目をこすりつつ歩いていたら、少し前をほむらが歩いているのを見つけて、ボクは腰が抜けるくらい驚いた。 「ほむら!」 「んあ?」 振り向いたほむらの顔は、明らかに寝不足って感じだ。 「……もしかして徹夜した?」 「当たり前じゃねーか。一回寝ちまったらこんな時間に起きれねーよ。ふわぁ……」 そして大あくび。 まあ、自分の性格をよく理解した判断だと思う。 生徒会長が修学旅行に寝坊で欠席、なんて事態になったら前代未聞だし。 「バスに乗ったらゆっくり寝れるからそれまで我慢しなよ」 ボクはそう励ますんだけど、信号待ちで止まるたびにほむらは立ったまま寝ようとしている。 「……ぐう」 「…………」 しかたないので、ほむらの手を引きながら登校する事にした。 そのまましばらく歩いていると後ろから声が聞こえた。 「よう、純」 振り返ると、確かに穂刈くんがいた。そして坂城くんも。 穂刈くんが後ろにいたなんて全然気づかなかった。 「あ、茜ちゃんもおはよう。赤井さんは……起きてる?」 「おはよう。穂刈くん、声かけてくれても良かったのに。水臭いなあ」 坂城くんはともかく穂刈くんは、家の位置からするとしばらく前からボクたちの後ろを歩いてたはずだ。 「そ、それは……」 「どうせ純の事だからバカみたいに色々考えてたんだろ? なあ?」 「バカみたいにって……」 ちょっと不満そうな顔をしたけど、それでも穂刈くんは否定はしなかった。その『色々』って何を考えてたんだろう。 「別に無視しようと思ったわけじゃなかったんだが……すまん」 謝られてしまうとなんとなく追求できなくなる。 「いいよいいよ。でも今度からは見かけたら声かけてくれたら嬉しいな、ボク」 「わかった」 そのまま3人で話しながら歩いていると、学校の前に大型バスが何台も止まっているのが見えてきた。 きっとあれに乗って空港に向かうんだろう。 バスの席は事前に決めてなくて、学校に来た順に好きな場所に座れることになっていた。 「茜ちゃん、俺の隣の席に乗りなよ。あ、純はどっか別の場所に乗ってろよ」 たぶん穂刈くんは坂城くんの隣に座るつもりでいたんだろう。ムッとした顔になった。 「なんだよそれ……」 「ああ、やっぱり純は茜ちゃんの隣に座りたいのか? しょうがないな、譲ってやるよ」 ボクの意思を聞かないで勝手に決めるのはやめてほしい。穂刈くんの隣の席が嫌とかじゃなくて、からかわれて真っ赤になった穂刈くんにあてられてこっちまで照れちゃいそうだった。 それに、なんで坂城くんはボクと穂刈くんを隣同士にさせたがるんだろう。ここにいるのが他の子でも同じようなことをしたんだろうか。 ただからかいたいだけなのかそれとも別の意図があるのか、ボクは悩んでしまう。 「た、匠。俺の隣に座ろうぜ」 助けを求めるような穂刈くんの言葉を、坂城くんは露骨に嫌な顔をして拒絶した。 「嫌だよ純の隣なんて。俺は女の子の隣に座りたいの」 あまり軟派な人ってボクはあまり好きじゃないんだけど、坂城くんみたいにあけっぴろげに言われるとむしろ尊敬してしまう。 「なあ純。茜ちゃんの隣で楽しく座ってろよ。そして北海道着くまで、いや、修学旅行終わって帰ってからもずっと一緒にいれば?」 「…………」 しばらく穂刈くんは無言になった後、「ぬおおおお……!」と叫びながらどこかへ消えてしまった。出発時間になるまでに戻ってこれるんだろうか。 「あはは、純な奴ー」 坂城くんは笑っていたけど、ボクはそういう穂刈くんを見て落ち着かない気持ちになってきている。 穂刈くんは、他の女の子の事もボクと同じくらい意識してしまうんだろうか。 坂城くんは空港に着いた後も、乗り物や食堂などの席に乗る機会があれば毎回、ボクと穂刈くんが隣同士で座れるように頑張っていた。 口では「純はもっと女の子に慣れた方がいいんだって!」とか言っているけど、建前だろう。 ガチガチになりながらボクの隣で座ってる穂刈くんの姿は、少しかわいそうだ。 「穂刈くん、他の人と場所変わってきたら?」 「いや、いい……」 それでも席を移動しないのは何でなんだろう。本当、自意識過剰になってきそうだ。 1日目は移動するだけでかなりの時間がかかって、ホテルに着いたのはもう夕方近かった。 夕食までの間は自由時間って事にはなっていたけど、あんまり遠くに行かないように言われていた。 迷子になっても嫌だから出かけるつもりはなかったんだけど、部屋の中でじっとしていても退屈だったから、ホテルの中のおみやげ屋さんでも見てこようと思った。 エレベーターに乗ってロビーへ行くと、みんな考えることは同じなのか、お土産屋さんには既にひびきの校生がいっぱいたむろしていた。 そしてその中には、穂刈くんもいる。 声をかけようかと思って一歩踏み出したけど、ふと朝のやり取りを思い出してとどまった。 仕返しってわけじゃないけど、なんとなく穂刈くんから話しかけられたい。 ボクは穂刈くんがいたのに気付かなかったふりをして、手近な所にあったポストカードを眺め始めた。 普段はポストカードなんて買わないんだけど、北海道の風景の写真がきれいだから思い出にいいんじゃないかと思った。 でも、いざポストカードを手に取ってみると、穂刈くんの動きが気になって気になって、絵柄が全然頭に入ってこない。 穂刈くんのいる方向だけ妙に体がこわばる気がする。 向こうもボクの存在に気付いたのか、ちらちらとこっちに視線を送ってきているのがわかる。 今度からは気付いたら声かけてねって言ったのに。こうなったら我慢比べだ。 一通りポストカードを手に取り終わっても声をかけてこないから、別の売り場へ行こうと思って体の向きを変える。 そしたらやっと、ボクが部屋に戻ると思ったのか、慌てたように穂刈くんがやってきた。 「よ、よう。偶然だな」 今初めてボクがいるのに気付いた、という風な挨拶だった。ボクも全然気づいてなかったふりをして手を挙げた。 「やあ。穂刈くんも来てたんだね。おみやげ買うの?」 穂刈くんが重そうなビン入りのジュースを手に持ったままなのを見て、ボクは言った。 単純に慌てて持ったままこっちに来ちゃっただけみたいで、あたふたと穂刈くんは売り場にジュースを戻した。 「いや……北海道土産ってどういうものがあるのか、見るだけのつもりだったんだ」 「そうなんだ。でも、ここでこれいいなって思っても、また別のお土産屋さんに行ったら別のものが欲しくなっちゃいそうだよね」 「そうだな」 それでもレジの方を見ると、修学旅行で気分が盛り上がっているのか、かさばりそうなお菓子だとかガラス細工なんかを持ってレジに並んでいる子がちらほらいる。 ボクたちももう少しお店の中を見て回ることにする。 適当に目についたキーホルダーなんかを手に取っていると、そのたびに穂刈くんが鋭い目つきでボクの手元に視線を注ぐ。 「……い、一文字さん」 「なんだい?」 声をかけてくれたことに少しほっとした。無言で手元を注目されるのはなんだか怖かったから。 「何か欲しい物ないか?」 「欲しい物?」 どうしてそんなことを聞くんだろう。急な発言に戸惑って、穂刈くんの顔を見つめる。穂刈くんは顔を真っ赤にして続けた。 「た、誕生日……の」 「ああ! そっか」 そういえば先週はボクの誕生日だった。ボクだって穂刈くんにプレゼントを上げたんだし、お返しをもらってもおかしくない。 「でも、よく覚えてたね」 「匠が教えてくれたんだ」 普段の情報収集は伊達じゃないって事みたいだ。 「それで、せっかくだから北海道でしか買えない方がいいかなと思って」 誕生日当日には少し遅くなってしまうけど、たしかにこの方が修学旅行の記念と誕生日祝いで一石二鳥って感じだ。ボクは嬉しくなってお土産屋さんの店内を見回した。 「うーん……」 ボクは立ったままお店の中を見回した。ガラスで出来たリスの置物とか、かわいい物は多いけど実用性には欠ける。 出来れば日常的に使える物が欲しいけど、急にリクエストを聞かれるとなかなか決められないものだ。 「穂刈くんにまかせるよ。楽しみにしてるからさ」 店内を一周したけど決められなかったから、穂刈くんのセンスに任せることにした。 「え、でも……」 穂刈くんは不安そうな顔になった。 「いいからいいから。それにボクだって穂刈くんの好み聞かないで選んじゃったんだし」 「それはそうだけど」 「別に文句なんて言わないからさ。それになにがもらえるのかわからない方が楽しみだし」 そう言うと今度は難しい顔。何を買うか考えているんだろう。 「……わかった」 そして難しい顔のまま穂刈くんは頷いた。もうちょっと気楽に考えてくれていいんだけどな。 2日目は小樽市内観光。残暑が残るひびきの市にくらべると十分涼しくて、さすが北海道って感じだ。 運河沿いにぶらぶら歩きながらお店なんかを見て回る。 「せっかくの修学旅行なのに、クラス単位で行動なんて間違ってるよね? もっと生徒たちの自主性に任せてほしいよね」 ナンパをしたいのに担任の目があるせいでできなくて、坂城くんはとても不満そうだ。穂刈くんが冷静に指摘する。 「でも4日目は自由行動だろ」 「今は小樽の女の子と仲良くしたいの」 そんな会話が聞こえてきたから、つい笑ってしまった。 ボクの笑い声を聞きつけた坂城くんがこっちを向く。完全にすねた表情だった。 「茜ちゃんもそう思わない? 両方とも完全自由行動がいいよね」 「ボクはどっちでもいいかな」 そもそも北海道に来れただけでありがたいし、クラスのみんなで観光するってのも楽しいもんだった。 「そう?」 坂城くんはボクに話しかけときながら、女の人とすれ違うたびにそっちばかり見ている。 「匠、みっともないぞ」 「はあ……ま、いっか」 穂刈くんにたしなめられて、さすがにあきらめたみたいだ。一つため息をついた後、坂城くんは目の前にあったお土産屋さんに向かって歩き出す。 「小樽で自由行動で湿原で団体行動、よりはマシだよな。俺みたいな都会っ子には自然の割合が多い場所は合わないし、楽しみは後に残しておかないと」 その理屈はよくわからなかったけど、坂城くん自身もそう思ってるっていうよりはそうやって自分を無理やり納得させているみたいだ。 それでもあまり気は晴れなかったみたいで、坂城くんは何かを思いついたというように穂刈くんの方に向き直る。 「やっぱり、せっかくの自由行動は女の子と一緒に過ごしたいよな。それも好きな子とさ。なあ純?」 穂刈くんをストレス解消の道具にすることにしたみたいだ。 相手にしなきゃいいのに、穂刈くんは素直にうろたえてしまう。そういうのがいい所でもあるんだけど。 「えっ?」 「そうそう、俺もその気持ちわかるよ」 運河の写真を撮っていた陽ノ下さんの幼馴染も加わって、2人で穂刈くんをからかい始める。 「修学旅行で好きな女の子と2人っきり……ラブラブ一直線って感じだな!」 「ラ、ラブラブ……」 女の子と2人で歩いている光景を想像したんだろうか。穂刈くんの顔が真っ赤になった。 「ぬおぉぉぉ……!」 そしてやっぱり穂刈くんはどこか遠くへ走り出していった。慌てたように担任の先生が追いかける。 穂刈くんは、誰とのラブラブな光景を想像したんだろう。 気になって胸が苦しくなった。 そして3日目はまた移動日だ。 修学旅行の日程を見たときはがっかりしたんだけど、いざ3日目を迎えてみると結構疲れが溜まっている。ただ電車に乗って長時間揺られているだけでも体力を消費させられるんだから観光の予定がなくてよかったのかもしれない。 夜になってお風呂に入ったら、広いお風呂があまりにも気持ち良くてそのまま眠りそうになった。慌てた様子のクラスの子に起こされたけど、その子も眠たそうにしている。 もう早く寝ちゃおうと思ってふらふらしながら脱衣所に戻り、浴衣を着る。 そして部屋へ戻る途中、穂刈くんの後ろ姿を見つけた。 「穂刈くん!」 「よ、よう」 振り返った穂刈くんの近くに駆け寄った。穂刈くんも旅館の備え付けの浴衣を着ている。 浴衣姿かっこいいな、と思って、そんなことを思った自分にびっくりした。 「穂刈くんも部屋に戻るところ?」 髪がまだ少し濡れているから、きっとお風呂はもう済ませたんだろう。男の子って髪の毛が短いからドライヤーとかあまり使わないのかな。 「ああ」 穂刈くんも同じような日程で過ごしたはずなのにボクよりも若干余裕がありそうに見える。 体力の違いだろうか。 「…………」 「…………」 なんとなく会話が途切れてしまった。 「ええっと……」 話題を探したけどなかなか思いつかない。そもそも、今日だって坂城くんの計らいでほとんど穂刈くんと一緒に過ごしたんだった。 今更何を話したらいいだろうか。 「あ、ねえねえ、穂刈くん。明日の自由行動、ボクと一緒に行かないかい?」 ボクは思い切って穂刈くんを自由行動に誘うことにした。 最初はほむらでも誘うつもりでいたけど、湿原なんてあまりほむら向きじゃないかなって思ったし、はしゃいだらはしゃいだで抑えるのに苦労しそうだし。 じゃあ他に誰と一緒に過ごしたいかって考えたら、穂刈くんしかいなかったのだ。でも、やっぱり自分から誘うのって緊張する。 ボクは知らず知らずのうちに胸の前で手を握りしめた。 「……い、いいぜ」 震える声で穂刈くんが返事をする。 「本当? よかったあ」 ほっとして笑みがこぼれたのもつかの間、曲がり角の向こうから校長先生の怒鳴り声が聞こえた。 「もう自由時間は過ぎとるぞー! まだ部屋に戻っとらん奴は明日の自由行動はなしじゃ!」 そんな時間になってるなんて全然気づかなかった。思わず穂刈くんの腕を引っ張る。穂刈くんがびくっと体を震わせたけど、気にしてる余裕はなかった。 せっかくの修学旅行なのに自由行動なしにされるなんて絶対に嫌だ。 「隠れなきゃ! ……早く早く!」 近くにあった空き部屋に駆け込んでドアを閉めた。 たぶん校長先生には気付かれてはいなかった……と思う。 その証拠に、ドア越しに歩き回る足音と校長先生の声は聞こえたけれど、ドアを開けて入ってくる気配はなかった。 足音が遠ざかってからも、しばらくボクはそのまま動けないでいた。 「……もう行ったかな」 「そ、そうみたいだな」 妙に上ずった声だと思って穂刈くんの顔を見上げる。顔が思ったより近い。 気が付くと、ボクは穂刈くんの体を壁に押し付けるようにして密着していたみたいだった。 「ご、ごめんね!」 慌てて離れると、穂刈くんは長い息を吐いてその場にへたり込んでしまった。相当緊張させてしまったんだろう。 ボクも、なんだか体に穂刈くんのぬくもりが残っているみたいで、校長先生に見つかっちゃうかもって思ったさっきよりもずっとどきどきしている。 「じゃ、こっそり出てこっそり部屋に帰ろ」 それを誤魔化すようにして、空き部屋のドアをそっと開けた。うん、やっぱり誰もいない。 「また明日ね、穂刈くん。気を付けてね。おやすみ」 「ああ」 同じ屋根の下で穂刈くんも眠っているのだ。 いまさらそんなことを意識してしまって、その夜はなかなか寝付けなかった。 そして、4日目。 湿原は人が少なくて落ち着いた雰囲気だった。やっぱりほむらを誘わなくてよかった。 「他のみんなはどうしてるの?」 「匠は若い女の子をナンパしに行く! とか言ってたな」 じゃあきっとこの辺にはいないんだろう。見渡してみてもひび高生すらあまり見ないし。 穂刈くんと2人でゆっくり歩く。 「もう、明日には帰っちゃうんだね。なんか寂しいな、ボク」 いっぱい楽しい思い出はできたけど、その分終わってしまうのが悲しい。 隣を見上げると、穂刈くんも同じ気持ちみたいだった。 「そうだな」 なんだかしんみりしちゃって、黙ったまま歩いていく。帰ってからもたくさん思い出せるように景色を目に焼き付けておきたい。 と、その時、視界の端で何かが動いた。立ち入り禁止の茂みの方に何かがいる気がして、よく目を凝らす。 「く、熊!?」 確かに『クマ注意』なんて看板は見たけど、まさか本当に出るなんて。 熊に遭った時はどうすればよかったんだろう? 死んだ振り? でも、地面がぬかるんでいるし……と色々パニックになっている間に、穂刈くんが熊からボクを守るように前に立った。 「俺が時間を稼ぐから、その内に逃げろ!」 いつのまに拾ったのか、手には太い枝を握りしめている。いくら剣道部だからってそんなの無茶だ。 「で、でも……」 「早く!」 大声で怒鳴られて、反射的に走り出してしまう。いつもの穂刈くんとは違う、すごい気迫だった。 去年見た練習試合の時よりももっと怖い。 それで、思わず逃げ出してしまったけど、しばらく走ったあたりでボクも冷静になってきた。 大きく呼吸して息を整える。熊に会った衝撃と、ここまで必死に走ってきたせいで心臓が痛い。 ボクだって総番長の妹だ。他の女の子よりはちゃんと戦えるはずなのに、いくらああ言われたからって穂刈くん1人にまかせてしまうなんて。 自分が情けなかった。 急いでさっきの場所に戻ってみると、穂刈くんが膝をついていて苦しそうにしていた。熊は見当たらない。 「穂刈くん!」 慌てて駆け寄って体を支える。いつもだったら逃げちゃうところだと思うんだけど、抵抗する体力もないのか、穂刈くんはおとなしくボクの体につかまって立ち上がった。 剣道で鍛えてるせいかがっしりしてちょっと重い。ボクはこの体に守ってもらったんだ。穂刈くんを支える体に力を込めた。 「熊は?」 まさか穂刈くんが倒したんだろうか。 そう思ったんだけど、穂刈くんはぐったりしたまま首を横に振った。 「偶然、猟師の人が通りかかって……」 精いっぱい戦って、ボクに手を貸してもらえないと立てないくらいボロボロになった穂刈くん。 その猟師の人がいなかったら、穂刈くんは今頃どうなっていたんだろう。 ボクは悔しさと恐怖で身震いした。 その日の夜、ボクは廊下で穂刈くんを待ち伏せした。 たぶんここで待ってればお風呂帰りの穂刈くんを捕まえることができると思ったから。 「やあ。ちょっといい?」 「あ、ああ……」 頬には痛そうなあざがあって、ボクは目をそらした。 穂刈くんは洗面道具を置いてくるというからそれを待って、2人でこっそり旅館を出て裏に回る。 旅館の裏まではあまり明かりがついてなくて、星が綺麗に見えた。 空気は少しひんやりしていたけど、それも気持ちいいくらいだ。 「一文字さん」 ボクが用件を話す前に、穂刈くんは丹前の中に隠すようにして持っていた紙袋を渡してくれた。 「誕生日おめでとう」 洗面道具なんてそんなたいした量じゃないのに、なんでわざわざ部屋に戻るんだろうって思ってたけど、このためだったんだ。ボクは感激した。 「うわあ、ありがとう。開けてもいい?」 頷いたのを確認してから包みを開ける。中身は何種類かのハンドクリームだった。ラベンダーの香りとか、白樺成分配合とか、いかにも北海道って感じでわくわくする。 「一文字さんにはそういうものがいいと思って……」 穂刈くんはボクがプレゼントを気に入ったのかどうか、心配するように言った。 確かに、ボクは家事もあるし、バイトでも水仕事をすることが多い。今使っているのもちょうどなくなりそうで、新しいものをそろそろ買おうと思っていたところだった。 「ありがとう。嬉しいな、ボク」 ボクがお礼を言うと、穂刈くんは恥ずかしそうに首に手をやった。胸元にも青紫色の痣や擦り傷が見える。 たまらなくなってボクは穂刈くんの腕に自分の手を添えた。浴衣越しにぬくもりが伝わる。 「穂刈くん、傷、大丈夫? ボクのせいでごめんね」 「あ、いや……。ああいうことがあったら、守るのは当然だろ」 穂刈くんはそう言ってくれたけど、言われるがままに逃げてしまったことに対する後ろめたさは消えない。 それに、心のどこかにはそうやって体を張って守ってくれたことに対して喜んでいる自分もいる。 「ボクのせいでこんなに傷ができちゃったんでしょ」 「……今日出来たわけじゃない傷も混じってるから。部活、とか」 恥ずかしさからなのか、目はこちらに向けないで穂刈くんが言う。 「部活でこんなに?」 剣道部って防具をつけて戦う競技じゃなかったんだろうか。 「ああ……」 心ここにあらずといった感じで返事をした後、穂刈くんはちょっと難しい顔で何かを考えている。 「穂刈くん?」 「……なんでもない」 穂刈くんは穏やかな顔に戻って首を振った。 「怪我については一文字さんはあまり気にしなくていいぜ。俺が好きでやった事だから」 いくらフォローしてもらっても、やっぱりボクの胸には罪悪感があった。 だって、穂刈くんの体にはたくさんの傷や痣があるのがわかる。 外に出ている範囲でこれなら、服に隠れている部分はどうなっているんだろう。 危険を冒してボクを守ってくれた穂刈くんに、申し訳ない気持ち、嬉しい気持ち、そして、もっと違う気持ちがこみあげてきた。 その気持ちがなんなのか、意識するより前に胸の鼓動が早くなる。 「あ、あのね、穂刈くん、……っ」 好き、って言葉が口をついて出そうになって、慌てて口をつぐんだ。 自分でもそんなこと言うつもりじゃなかったのに。 でも、確かにこうやってボクのことを気遣ってくれる穂刈くんと一緒にいると、胸のあたりに幸せな気持ちが広がる。 そういえば、ここのところずっとそうだった。 「……ふふっ」 思わず笑ってしまう。 穂刈くんに好かれているかも、なんて感じていたのは実は逆で、ボクが穂刈くんの事を好きだったんだ。この修学旅行よりずっと前から。 だから本当はたいしたことのない行動でも好かれているように思ったんだ、きっと。 「一文字さん?」 だって、穂刈くんが優しいのも、女の子に対して緊張してしまうのも元からなんだから。 「もう戻ろっか。……純くん」 純くんは驚いたように目を丸くした後、照れくさそうに微笑んだ。 ※この話は2007年以前に書いたものを2016. 11. 12に加筆修正しています。 最初は「find out about...(yahoo辞書では、真相を知るとか…の存在に気づくとか)」というタイトルにしてたんですが、今見るとそんなに茜ちゃんが自分の気持ちに気付くニュアンスじゃないかなと思ったのでタイトル変えてみました。 でもそんなに英語の細かいニュアンスわからないからまだ変なのかも。 BACK...TOP |