オブラート 高校に入ってから二度目の夏休みが始まろうとしている。 このまえ陽ノ下さんたちと遊園地で遊んだ時は、穂刈くんとの関係も変わりそうな気がしていたんだけど、その後も今まで通りだった。 ボクのバイトや穂刈くんの部活のない時は一緒に帰ったりとか、たまに寄り道したりはあるけど、その程度で。 結局、ボクたちはただの友達として毎日過ごしている。 夏休みの前半はバイトで忙しかった。 試験前に休みをもらった分、後半にたくさん働かせてもらうことになってて、7月中は殆ど休みがなかったくらいだ。 だから全然遊びに行ったりできなくて大変だったんだけど、穂刈くんは剣道部帰りに時々食事に来てくれていた。 さすがに毎日ではなかったし、忙しい時間にかち合っちゃうことが多くてゆっくり喋ったりはできなかったんだけど、それでも友達が来てくれるのは嬉しい。 そんな感じでなんとか忙しい7月を乗り切る事が出来た。 そして8月に入って数日経った日の夕方、穂刈くんが珍しく坂城くんと陽ノ下さんの幼馴染の彼と一緒にお店に来た。 「やあ」 「いらっしゃいませー」 広めのテーブルの席に案内する。みんな私服だったから、遊んできた帰りなんだろうか。 メニューを見ながら3人で楽しそうに話しているのがなんだかうらやましい。まだ夏らしいことが全然できてないから、ボクもそろそろ遊びに行ったりしたい。 「茜ちゃーん」 注文が決まったのか、坂城くんがボクの方を見て片手を振った。 「ご注文は?」 「茜ちゃん1つ」 「…………」 ボク自身は怒るというよりも呆れちゃったんだけど、穂刈くんは眉間の皺をますます深くして坂城くんを睨みつけた。 それでも坂城くんはけろっとしている。 「冗談冗談。でも、茜ちゃんに来てほしいのは本当だよ。今、俺たちで遊ぶ計画立ててたんだ」 「遊びってどこに行くの?」 「海行こうと思ってたるだけど、どう? 俺たち3人と、赤井さんとかも誘ってさ」 「海?」 砂浜の賑わいとか、潮風の香りを思い出してボクはわくわくした。 海は大好きだし、ちょうど夏っぽいことがしたいと思ってたところだった。 「でも、ボク水着なんて持ってないよ。学校のしか」 遊びに行く用の水着も持ってなくはないんだけど、もう小さいかもしれないし着ていくのは恥ずかしかった。 「それはそれでマニアごのみ……あいたっ」 「匠、変な事言うな」 顔を赤くした穂刈くんに頭をはたかれ、坂城くんはつまんなそうな顔をした。 「ちぇ。なんだよ。どうせお前だって茜ちゃんの水着姿見たいん……むぐっ」 「お前はもう喋るな」 更に顔を赤くした穂刈くんに口をふさがれて坂城くんは苦しそうにうめいた。 そんな2人の様子に笑いながら、幼馴染の彼が人懐っこくボクに話しかける。 「それで、一文字さん、どうする?」 「海は行きたいけど、いつなんだい?」 坂城くんがさっそく手帳を取り出してくれたけど、候補の日は何個かあったのに全部ボクのバイトがある日だった。 「ごめん、バイトだから行けないや、ボク……」 「そうか……」 穂刈くんが表情を暗くしてうつむいた。一緒に海に行きたいって思ってくれてたのかな。 ボクが悪いんじゃないんだけど、なんだか罪悪感があってボクもうつむいたまま黙っていると、おじさんがにこにこしながら近寄ってきた。 「あ、おしゃべりしててごめんなさい」 「大丈夫だよ、今は暇だから。それより、遊びの計画?」 「そうなんです!」 勢いよく坂城くんが頷く。 「せっかくの夏休みだから、僕たち、茜ちゃんを誘って海に行きたかったんですけど、バイトみたいで。いや~、残念だな~」 わざとらしく残念そうな顔を作って言うもんだからボクは慌てた。ボクの雇い主に変なことを言わないでほしい。 「いいよいいよ、ボクは。別に海なんて、来年もあるし」 「高2の夏は今しかないんだよ!」 力強く坂城くんに言い切られて、ボクは助けを求めておじさんの方を見た。 ボクの視線をどう解釈したのか、おじさんは意味ありげに笑う。 「茜ちゃん、休みが欲しいんなら遠慮なく言ってよ」 「そ、そんな……」 まさかそんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったから、ボクは戸惑った。 「学生時代の休みなんて貴重なんだからさ。社会人になったらもうそんな休みないよ?」 「そうそう。まあ無理強いはしないけど」 あれだけ力説しておきながら、坂城くんはクールに言った。 まるでボクが行きたがってるのを見抜いてるみたいで、ちょっとしゃくだった。 「……言ってもお邪魔じゃないかな、ボク」 穂刈くんに声をかけてみた。 黙ったまま、じっとボクを見ていた穂刈くんは急に話題を振られて慌てた顔になった。 「え!? いや、そりゃ来ないよりは来た方が……」 言うのも照れくさいみたいで、言葉の終わりの方はごにょごにょと口の中で消えて聞こえなかった。 でも、来てほしいって思ってくれてるのは伝わる。 穂刈くんの熱が伝わって、ボクの顔もちょっと熱くなってしまう。みんなの前でなんだか恥ずかしい。 「……じゃあ、ボクも行こうかな」 そう言うと、坂城くんと陽ノ下さんの幼馴染の彼は歓声を上げた。 あの後もしばらく相談して候補日を絞り込み、海に行くのは剣道部の合宿が終わった後と言う事になった。 ボクは夕食後、家でくつろいでいた木枯らし番長に話しかける。 「ねえねえ、そういえば、木枯し番長は今年も剣道部の合宿を見に行くの?」 「ええ、まあ」 食後のお茶を飲んでいた木枯し番長が曖昧に頷く。 「…………。姐さん。また穂刈の事を見てきて欲しいんですか?」 穂刈くんの名前を出され、どきっとする。 「そ、そんなんじゃ……」 ない、と否定する前にテレビを見ていたはずの舞佳さんが割り込んできた。 「ん? 穂刈ってだれだれだれ~? 茜ちゃんの彼氏?」 にやにやと笑みを浮かべる舞佳さんの後ろで、茶碗が割れる音。 そして、食器洗いを頼んでいたはずのお兄ちゃんがこちらに駆け込んでくる。 「何ぃ! 茜に彼氏だと!」 「総番長! 落ち着いてください!」 暴れ出しそうになるお兄ちゃんを火の玉番長と筋肉番長が2人掛かりで押さえ込む。 お兄ちゃんはそれでも無理やり動こうとしているから大変そうだ。 「これが落ち着いていられるかー!」 「もう、お兄ちゃん、大人しくしてよ! それに、穂刈くんはただのクラスメイトだしそんなんじゃないよ!」 そう怒鳴るとやっとお兄ちゃんは大人しくなったけど、表情は明らかに不機嫌だ。 「でも穂刈くん? って人とは本当に何もないの?」 舞佳さんはお兄ちゃんの様子にかまわず更に突っ込んでくる。 もともと穂刈くんとは何でもないし、これ以上暴れられては困るから、ボクはできるだけきっぱりと否定した。 「何もないよ! ただの友達だよ」 この前の遊園地の時のことを思い出して、もしかしたら向こうから見たらそうじゃないのかもしれない、という考えが一瞬浮かんだけど、もちろん口に出さない。 きっとそれは気のせいだし、こんな自意識過剰な事は忘れた方がいい。 「なーんだ、残念」 つまんなそうに呟く舞佳さんの後ろで、木枯し番長は二杯目のお茶をすすっていた。 そして、約束の日。抜けるような青空が広がっていて、絶好の海水浴日和だ。 ボクは駅に行く前にほむらを迎えに行くことにした。 そうしないと絶対遅刻するってもう十分わかってるし、ボクだけならともかく他のみんなに迷惑をかけるわけにいかない。 「茜、テレビくらい見させろよー」 ほむらはそう言って抵抗していたけど、無理やり準備をさせる。 無理やりって言っても、海に行く荷物自体はすでにまとめてあったから着替えさせるだけですんだのはよかったけど。 出かける直前まで寝間着でだらだらしていても、遊ぶ準備はばっちり済ませているのがほむららしい。 「ほらほら、早く行くよ」 ほむらのために出来るだけぎりぎりの時間に待ち合わせることにしたんだから急いで欲しい。 ほとんど引きずるようにして家から出ると、さすがに諦めたのかほむらは真面目に歩き出した。 「今日は誰が来るんだ? 坂城たちに誘われたらしいけど、それ以外で」 「んーっと、陽ノ下さんは来るって言ってた。あと水無月さんも誘ったらしいよ」 「陽ノ下? 水無月?」 ちょっとほむらは考えた後、「あーあいつらか」と呟く。 「ま、海で遊ぶんなら誰が来てもどーでもいいか」 自分で聞いておいてそんなことを言う。ほむららしい勝手さだ。 「おー、もうあいつら来てるよ。早いなー」 ボクたちがギリギリだったんだから当たり前だ。 結局、水無月さんも来る事に決めたらしく、陽ノ下さんの隣でつまらなさそうな顔をして立っていた。 「やあ!」 「おはよう」 そっけない感じの声で挨拶をされる。人懐こい陽ノ下さんとは反対に、冷静な感じだ。 「それじゃあ、ホームに行こうか」 坂城くんに言われて7人でぞろぞろ移動し、やってきた電車に乗り込む。 さすがに7人分座れる席は空いてなかったから、並んで立つことにした。 動き出す電車と、流れる景色。なんだか昔家族で旅行したときのことを思い出す、のどかな光景だった。 夏休みの海は思った通り混んでいる。早速場所取りをして、水着に着替えてから再びそこに集まった。 「交代で荷物見張ってたほうが良いと思うんだけど、誰が最初に見張る?」 「私はずっと見張りでいいわ」 そう言いながら水無月さんはさっさとパラソルの下に座ろうとする。 「え~! 琴子も泳ごうよ~」 陽ノ下さんに腕を引っ張られて水無月さんはまんざらでもない顔だったんだけど、海に視線を走らせた時は一瞬だけ憂鬱そうな顔になった。もしかしてあまり泳ぐの得意じゃないんじゃないのかな。 「ボクも……見張りがいいかな」 砂浜には普通の、可愛い水着の女の子が多くて、今さらながらに気後れして呟く。 学校指定の水着着て来てる子なんてボク以外、1人もいない。もちろん陽ノ下さんも水無月さんも、ほむらでさえも、普通の水着だ。 ちょっとくらい小さくても、ちゃんとした水着で来たらよかった。急にパラソルの下で隠れていたくなった。 「じゃあ水無月と茜で決まりだな! 早く泳ごうぜ!」 「ちょっと待った!」 海に向かって走り出そうとするほむらを、陽ノ下さんの幼馴染の彼が呼び止める。 ほむらは邪魔するな、と言いたそうな顔で振り返った。 「何分で交代するかとか、次は誰とか決めなきゃなんないだろ?」 もっともなことを言う幼馴染の彼に坂城くんが言葉を続ける。 「そうそう、それにこんなかわいい女の子2人だけで座ってたらナンパされちゃうよ。ボディガードがいた方がいいんだって。なあ純?」 「……そう、なのか?」 別にボクはナンパなんて来たって撃退できる自信があったし、ほむらだって大丈夫だと思うんだけど、水無月さんとか陽ノ下さんだったらたしかに危ないかもしれない。 「そうだよ。だからまず、茜ちゃんと純に見張りを頼もうよ」 「ちょっと待ってよ、私は?」 「せっかく海に来たんだし、水無月さんも泳ごうよ。泳げないんだったら砂遊びでもいいけど」 陽ノ下さんの幼馴染に挑発されて、水無月さんはむっとしたように眉毛を釣り上げた。 「お、泳げるわよ! 失礼ね」 「泳げなくても、波打ち際で足をつけるだけでも楽しいよ」 「だ・か・ら! 泳げるって言ってるでしょ!?」 朝の感じから勝手にクールっぽいイメージを抱いてたけど、水無月さんって結構怒りっぽいところもあるみたいだ。 「じゃあ、水無月さんは先に泳ぐってことで。一文字さん、悪いけどいい?」 「う、うん」 妙にどぎまぎしながら答える。穂刈くんと2人きりなんだ。 そうなるように仕向けられている気がするのは、気のせいだろうか、そうではないんだろうか。 「何分で交代にする? 30分?」 「ボクはそれでいいよ」 海に来た事を後悔し始めていたボクは素直に頷く。 それで、次の見張りを決めようとしたら、既にほむらはボクたちの目を盗んで既に海に行ってしまったみたいだった。しょうがないから陽ノ下さんたち3人が次の見張りをすることになった。 たぶんほむらはこのまま見張りをしないで遊ぶつもりなんだろうな。 「じゃあ、行ってくるね。頼んだよ」 「ごめんね、一文字さん、穂刈くん」 口々に感謝の言葉を残して、みんなは海の方へ向かっていく。 「……じゃ、じゃあ、とりあえず座ろうぜ」 7人分の荷物を置いたせいで狭くなってしまったビニールシートに腰を下ろす。そういえば、この前の遊園地に行ったときに乗ったバスも狭かったなと思い出した。 大丈夫かなと思って穂刈くんの様子をうかがうと、背筋を伸ばして、浜辺に場違いなくらいかしこまって正座している。 「…………」 こうやって黙って座っていると、穂刈くんがボクの事を好きなのではという疑いがまたよみがえってくる。 ただでさえ、水着姿で二人並んで座っているのだ。 それだけでもなんだか緊張してしまうのに、そんなことを考えるとなんだかどきどきして、ボクまで姿勢を正したくなってくる。 でも、水着って言ったって、ボクなんてこんなスクール水着だ。 穂刈くんは、ボクの水着についてどう思ってるんだろう。 坂城くんはそれはそれでマニア好みだ、なんて言ってたけど、別に穂刈くんはそういうマニアじゃないだろうし。 やっぱり、そこにいる子みたいなピンクのビキニとか、そういうかわいいのの方がいいんだろうな。 そんな風に思いながらちらっと横を見ると、こっちを見ていた穂刈くんとちょうど目が合う。 「ど、どうかした?」 そういえば、最近こういう事が多い。授業中とかに、ふっと顔を横に向けると目が合うのだ。 穂刈くんは目をそらして、口ごもりながら返事をした。 「いや……別に」 いつもこんな感じだけど、穂刈くんに嫌われてない、むしろ好かれてるっていうのはわかってる。 なんでもないように装っている視線の底になにか温かいものが隠されているのは、わかる。 でもそれがどういう種類のものかははっきりとわからない。 穂刈くんは女の子が極端に苦手だ。だからすぐ真っ赤になったりするのも、よく目が合うのも、慣れてないだけなんじゃないだろうか。 みんながさりげなさを装って、ボクたちを一緒にさせようと気を回してるように感じるのも、きっと勘違いなんじゃないだろうか。 「ねえねえ、お茶でも飲むかい?」 こんなこともあろうかと、家から大きめの水筒と紙コップを持ってきていた。 穂刈くんの分のお茶をついで渡す。 「サンキュ」 とりあえず、飲んでる間は無言でいてもおかしくない。 ボクも自分のぶんの紙コップに口をつけた。外で飲む麦茶って、行楽って感じがする。 浜辺の方では、陽ノ下さんと、彼女の幼馴染と、水無月さんが3人で水を掛け合いながら遊んでいる。 なんだかんだ言って、水無月さんも楽しんでいるようだ。 ぼうっとそれを眺めているのがうらやましそうに見えたのかもしれない。穂刈くんが心配そうに口を開いた。 「やっぱり、一文字さんも泳ぎに行った方がよかったか?」 「え? そんな事ないよ」 「ここに俺といたって退屈だろ。俺はここで見てるから、泳いできていいぜ」 卑屈なようにも聞こえるセリフだけど、穂刈くんの口調は純粋にボクに気を遣ってくれてる感じだ。 「ううん、いいんだ」 つまらないことで黙ってうじうじ落ち込んでる自分が情けないと思ったけど、ボクを見つめる穂刈くんの視線に負けて、つい打ち明けてしまう。 「ボク、こんな水着だから。なんだかあの中で遊ぶのが気が引けちゃうんだ」 そう言うと、穂刈くんは不思議そうな顔になった。 「でも、一文字さんも最初からその水着で来るつもりだったんだろ」 それは確かにその通りで、バイト先の大衆食堂で話してた時はボクもそんなこと全然気にしてなかった。 なんでだろう。 穂刈くんと仲良くなればなるほど、ボクは自分の境遇と他の女の子を比べてはみじめになってしまう。 きっと去年のボクだったら、こんな水着でもみんなと一緒に平気ではしゃげたはずだった。 ボクは飲み終わった紙コップをつぶしてため息をつく。 なんだか、どんどん自分が知らない自分になっていくような気がした。 穂刈くんはじっと海を睨みつけたまま考えていた様子だったけど、しばらくしてから決心したように口を開いた。 「べ、別に、俺は一文字さんの水着を見るために誘ったわけじゃないし、海なんて、楽しく遊べればなんだっていいだろ」 怒ったようにも見える表情。でもそれは、ボクを励まそうとするあまり緊張してしまっているんだろう。 その気持ちが痛いくらいにボクの胸にしみ込んでいく。 「うん、そうだよね。ごめんね」 ボクはもう一度海の方を見た。ざぶんと打ち寄せる白い波が、ボクを誘ってるみたいだ。 引け目を感じる気持ちがなくなったわけじゃないけど、穂刈くんの優しさには報いたいと思った。 「ねえねえ、一緒に砂の山作ろうよ。それくらいだったら荷物見張りながらできるしさ」 「俺に気を遣わないで泳いできていいぜ」 「ううん。一緒に穂刈くんと遊びたいんだ、ボク。泳ぐのはほかのみんなが来てからだって構わないんだしさ」 「あ、ああ……」 穂刈くんは恥ずかしそうにうつむいちゃったけど、その口元が幸せそうに緩んでいるのが見えた。 どういう種類のものでもいい。 穂刈くんに好かれてるのは、ボクもうれしい。 「じゃあボク、お水汲んでくるね。すぐ戻ってくるから待ってて」 そしてボクは、キラキラした波に向かって駆け出した。 ※この話は、2007年以前に書いたものを2016. 11. 11に加筆修正しています。 次回からDISK3の内容です。 ときメモ2って、修学旅行あたりを境に女の子があからさまにときめきだすので、ついに私の純茜もここまで来たか……と感慨深いです。 BACK...TOP |