キーホルダー 「ほんとごめんね、遠回りでしょ?」 「いや、大丈夫だ」 夜の街灯に照らされた穂刈くんの表情は、いつも通り眉間にしわを寄せたものではあるけど、特に迷惑そうな様子ではない。 どういうわけか穂刈くんに家まで送ってもらう事になってしまった。 もう11月にもなってしまうと、夜はすごく寒い。 冷たい風が吹いて、コートの襟をきつく合わせた。ボクは寒さには強いほうだけど、やっぱりバイトが遅くなる日はコートを着ておいて正解だった。 誰もいない静かな住宅街をボクたちはゆっくり歩いていた。 「一文字さんって一体何時頃までバイトやってるんだ?」 きっかけは、唐突に投げかけられた穂刈くんからの質問だった。 穂刈くんは今日も剣道部の帰りにお店に食事をしに来てくれてて、それは来月にまた練習試合があるせいで普段より遅い時間で、そんな時間を過ぎてからも働いているボクを見ているうちに疑問を持ったみたいだ。 「今日はあと一時間くらいかなあ……」 もちろんここでバイトするってなった時には何時から何時までっていうのは言われていたけど、日によって込み具合が違うから、長引いたり、逆に早めに帰してもらう事も少なくなかった。 だから今ではこれくらいの客の入りなら大体どれくらいかかるか、という予想ができるようになっていた。 もちろんもうすぐ帰れる、と思った後にどっとお客さんがやってくる事もあるけど。 「一時間? そんなに遅くまで大丈夫なのか?」 「うん、大丈夫大丈夫、慣れてるから」 眉をひそめる穂刈くんに、ボクは明るく返事をした。 確かに、暗くなってから帰るのは、特に人通りが少ない道を歩くときなんかはちょっとドキドキするけど、いざとなれば自分でなんとかできる自信もあった。 ボクだって総番長の妹だ。 多少の痴漢なんかはやっつけられる。 「でも、最近物騒だろ」 「そうは言ったって、ボクだってバイトしないとやっていけないんだよ」 穂刈くんが心配してくれているのはわかるけど、ボクはついイライラした口調で言い返してしまった。 「……そうだな、すまん」 「…………」 素直に謝られて、ボクの胸に罪悪感のようなもやもやした気持ちが広がる。 バイトを簡単にやめるわけにはいかないのにそんな風に言われて、イライラしたのは確かだ。 でも、それをそのまま表に出してしまうのはボクの悪いところだ。 気まずい気持ちになったけどどうしたらいいかわからなくて、穂刈くんのテーブルの傍で立ったままでいると、急に後ろから声がかかった。 「茜ちゃん、今日は彼に送っていってもらったらどうだい?」 驚いて振り返るとそこにはおじさんがにこにこと笑って立っていた。どこから聞いていたのだろう。 「で、でもまだボクバイト中だし……」 「いいって。これぐらいのお客さんだったら一人でも十分だからさ」 確かに、穂刈くんが食べ終わるのにもう少し時間がかかることを考えれば、それ以降の時間帯はおじさん一人でもなんとかなるだろうけど。 「でも……」 さっきのことがあるから、どうしていいかわからなくて穂刈くんの様子をうかがう。 「俺は別に構わないぜ」 迷惑がられたらどうしようって心配だったけど、穂刈くんは特に嫌そうな顔もせずに答えてくれた。ボクはほっとする。 「じゃあ、お願いしていいかな」 頷いたのを確認してから、くるりと後ろを向いた。 帰るまでにできるだけ仕事を片付けていかないといけないし、食器を洗うくらいの時間はありそうだった。 でも一番の理由は妙に火照った顔を見られたくないからだった。 「お待たせー!」 「一文字さん、ここ」 「あ」 お店の前で待っていた穂刈くんの前に現れると、コートの襟がちょっと変な風に折れていたのを指摘された。 意外と食器洗いに時間がかかっちゃって、慌てて着替えたから気付かなかった。鏡くらい見ておけばよかったなと思いながら襟を直す。 「これでいい? もう他に変な所ないかな?」 「ああ」 そして夜道を歩き出す。 ボクより背が高い穂刈くんは、歩くのもやっぱりボクより少し早いけれど、時々気が付いたみたいにこっちの様子を見てペースを調整してくれる。 「ありがとう、穂刈くん」 「いや……、俺、姉貴がいるから、勝手にどんどん行くなってよく言われるんだ」 「そうなんだ」 穂刈くんのお姉さんってどんな人なんだろう。でもそれを聞いたらボクのお兄ちゃんのことも言わないといけないのかな。それは嫌だな。 何を話したらいいのかわからなくて、ボクは歩きなれた道を見回す。 等間隔で立てられた街灯のおかげで真っ暗ではないけれど、白い光が普段の道を寂しげに見せている。 そのせいか、さっきよりも素直な気持ちで穂刈くんに謝ることができた。 「さっきはごめんね」 「いや……俺こそ、無神経だった」 穂刈くんはボクの家の事情をどれくらい知っているんだろう。 もう11月になっても夏服のままでいるんだから、そんなにお金を自由に使えないということはわかっているんだろうけど。 「それにしても、寒いよね。もう嫌になっちゃうよ」 「そうだな」 静かな穂刈くんの声を聴いて、なんか引っかかるようなものを感じる。デジャブって言うんだろうか。 でもその正体がわからなくてもやもやする。 「なんか、こういうのってどこかで聞いたような気がしない?」 尋ねると、穂刈くんは少し考えてから答えた。 「俵万智の短歌か? 中学の時に国語の授業でやった」 「ああ! そういえば読んだことあるかも!」 思わず大声を出してしまい、慌てて口を閉じる。幸い、周りの家から怒鳴られたりすることはなかった。 「うんうん、でも今なら俵万智の気持ちがわかる気がするな、ボク」 いつも1人で帰るのに慣れたからなんとも思ってなかったけど、こうやって誰かと一緒に帰って、会話をできるっていうのはやっぱりうれしい。 「穂刈くんと帰れてよかったよ」 「あっ……ああ」 あっという間に顔を赤くする様子を見て、またいつかみたいに走ってっちゃうんじゃないかと思ったけど、さすがにそれはないみたいだった。 それからもぽつぽつと会話を交わすボクたちの後ろから、ゆっくりと車が通り過ぎていく。 車のライトを反射したのか、少し先の地面で何かが光った。 「あれ、なんだろう?」 腰をかがめてそれを拾い上げる。 キーホルダーだ。 鍵をつける輪っかの部分はちぎれてしまったのかついてなくて、金属の鐘の形をした飾りの部分だけが落ちていた。 揺らしても音は鳴らないけれどデザインは結構かわいい。 どうしようか迷ったけど、鍵がついているわけではなかったし、持ち主の人が探しに来るかもしれないのでそのまま地面に戻すことにした。 「なんだったんだ?」 少し離れたところで一部始終を見てた穂刈くんがボクに尋ねてくる。 「キーホルダーみたい。鐘の形してた」 「鐘……」 穂刈くんはなにか考えている様子だった。キーホルダーの持ち主に心当たりがあるんだろうか。 「どうかした?」 「いや、学校に鐘があるだろ? あれが鳴った所、まだ一度も見た事がないからさ」 壊れているのかな、と穂刈くんは呟く。 「どうなんだろね」 そう言われてみて、ボクも中庭の鐘のことを思い浮かべる。 穂刈くんが知っているのかどうかはわからないけれど、あの鐘には伝説がある。 卒業式の日に告白して、鐘の音に祝福されたカップルは永遠に幸せになれるというものだ。 でも、あの鐘はお兄ちゃん達が高校に通っていた当時は壊れていた。壊した張本人がけろっとした顔で言っていたから確実だ。 もしかしたら、あれからもう何年か経っているし、さすがにもう直された後かもしれないけど、それを確かめる方法はない。 ……伝説を成就させるくらいしか。 「案外、単なる飾りだったりしてね」 浮かんだ考えがあまりにもバカらしいものだったので、それを振り払うようにボクは言った。 そりゃそんな事があればすごくステキだろうけど、ボクには相手もいないしバイトで忙しいから探す暇もない。夢のまた夢ってやつだ。 「そうかもな。……もし本物なら、一度くらいは鳴ったところを聞いてみたいよな」 そう呟く穂刈くんは伝説について知っているんだろうか。 聞いてみたかったけれど、今度こそ逃げられてしまってはかなわない。 真面目そうな横顔から何かわからないか見上げてみたけど、何を考えているのかは全然読めなかった。 河川敷公園のあたりまで来たら、ボクの家はもうすぐだ。 土手のほうを見て、ふと思い出したように穂刈くんが口を開く。 「そういえば、匠がさ」 「坂城くんがどうかした?」 穂刈くんが坂城くんの話題を出すのは結構珍しい気がした。 仲はいいみたいだったけど、坂城くんが穂刈くんをからかっている場面が多いせいなのか、あまりボクとの会話では話題に出ない。 「この前、女の子と……その、出かけた時に、柄の悪い連中に絡まれたらしいんだよ」 デートと言う言葉を口に出せずに顔を赤くする穂刈くんは微笑ましかったけれど、ボクにはそれ以上に気になる単語があった。 「……柄の悪い連中?」 心臓がどきどき言い始めているのがわかる。もしかしたら顔も少し青ざめていたかもしれない。 その話を聞いた時の怒りを思い出したみたいに穂刈くんは険しい顔をしている。 「ああ。ちょっとぶつかっただけなのに絡まれて、それでそいつらとケンカしたって言ってた。どうしてそんな事するんだろうな……」 穂刈くんの口調が心底腹立たしそうで、ボクはいたたまれない気分だった。 「そ、それで、坂城くんは無事だった?」 「ああ、一応な」 「一応……」 無傷ではなかったのだろう。 さすがに大怪我だったらボクのクラスにも噂が流れただろうから、入院するほどではなかったと思うんだけど。 きっと黙り込んだボクは深刻な顔をしていたのだろう。穂刈くんが「すまん」と低く呟いた。 「え?」 「いや、変な話しちゃってさ」 ケンカの話を聞いて、ボクが怖がっていると思ったのだろうか。ごめんね、全然そんなんじゃないんだ。 「ううん……」 こっちこそごめんね、と心の中で呟いた。 きっと坂城くんとケンカした柄の悪い人たちって言うのはお兄ちゃんの手下の人たちだろう。 お兄ちゃんは隣町もこの町も仕切っているせいか手下が多く、手が回りきらない事も良くある。 基本的には、一般の人に迷惑をかけないように言っているはずだった。 だから四天王とかのお兄ちゃんに近い人になればなるほどその傾向が強いんだけど、遠くなればなるほど変な因縁つけて普通の人に絡む人が多くなる。 でもいくら遠くたって身内は身内だ。 身内が知り合いに迷惑をかけたなんて、とても申し訳なかった。そしてそういう人がいる限りボクは秘密を抱えながら生活しなければならない。 忘れかけてたけれど、久々にそれを実感した。 「穂刈くん。もうこのへんでいいよ。近くだから」 そう言ったのは自分の家を見られたくなかったからだ。 すでに家がもう見えるほど近くまで来ていたが、坂城くんの話を聞いていなかったら家の前まで送ってもらっていたかもしれない。 「いや、でも……」 案の定、穂刈くんが何か言おうとするが手を振ってそれを遮る。 「いいからいいから。穂刈くんだって遅くなったらお家の人、心配するでしょ?」 そして家に向かって駆け出す。さすがにそこまでしているのに追いかけてくる人はそうそういないだろう。 「それじゃあねー!」 しばらく走った後で振り返ると、穂刈くんはまだ別れた場所に立ったままでこっちを見ていた。 家の門をくぐって、大きく息をつく。 明かりがついている様子はないので、きっとお兄ちゃんは家にいないんだろう。 今はお兄ちゃんに会いたくない気分だったけど、いなければいないで何をしてるんだろうと思ってイライラする。 ボクはひとつ呼吸をしてから家の鍵をポケットから取り出す。 キーホルダーについてた鈴がちゃらっと軽い音を立てて、ボクはさっきの鐘を思い出した。 穂刈くんは鐘の伝説の事を知ってるんだろうか。 今は知らなかったとしても、卒業までに知る機会はあるだろう。 いつか、穂刈くんも好きな女の子ができて伝説が成就することを願う日は来るんだろうか。 夜の寒さで手が冷えてしまったのか、なかなか鍵が開けられない。 なんとか家の中に入ると、ボクはその場でしゃがみこんでしまう。 誰もいない家の中はひんやりしていて、しばらく動けそうになかった。 ※この話は2007年以前に書いたものを2016. 12. 23に加筆修正しています。 一年目秋。 鐘の話に触れておいたほうがいいかと思っての話でした。 一文字さんの家庭の事情は、深く突っ込むと両親もお兄ちゃんもひどくない??? ってなってしまって、どこまで触れるべきなのか悩みますね……。 本人はまあそんなもんかと思ってるにしても、純が詳しい事情を知って「そうなんだ」で流したら冷血っぽくなってしまうし。 かといって純に何かできることがあるわけでもないし……。 BACK...TOP |