残暑 夏休みが終わってもまだ暑い。 夕食を食べ終わって、本当は食器を洗わないといけないのになんだか動く気になれなくて、畳の上に寝そべる。 行儀は悪いけれど、今日はお兄ちゃんも出かけているし気にするような相手もいない。 畳の上は、少しだけひんやりしているけれど、結局肌と接しているところは熱くなってくる。 寝そべったまま手を伸ばし、その辺に放り投げてあったうちわを拾ってパタパタあおぐ。 それでもあんまり涼しくならなかったので、ボクはもうあきらめて立ち上がった。 食器なんてすぐに洗い終わってしまったけれど、特に見たいテレビもなかったし、やらないといけない宿題もなかったので早いけどもう寝ることにした。 手早くお風呂に入って髪を乾かす。ボクは髪の毛の量が多いのに長くしているからなかなか乾かない。 洗面台でドライヤー持つ手を動かしながら明日の予定を考える。 明日は第三日曜日で、運動部では練習試合をやるらしい。 らしい、というか確実にそうなのだ。先週うちに来た時に木枯らし番長が言っていた。 合宿の間中ずっと剣道部を指導していたんだから結果を見届ける責任があるんだ、と絶対に見に行くつもりでいるらしい。 やっぱり暇人なんじゃないか、と彼以外の四天王は言っていた。 でも。 『姐さんも見に行きますか?』 あの時の木枯らし番長の表情を思い出すたびに、もしかしたらボクに気を遣ってくれたのかなあ、って思えてしょうがない。 この前、と言ってももう二ヶ月前だけど、ボクが剣道部……というか穂刈くんにちょっと興味を持ったような発言をしたから。 自分も行くから一緒に行かないか、というつもりで声をかけてくれたのかもしれない。一緒にとはいっても現地では別行動になってしまうんだけど。 どっちにしても、これまでも剣道部を指導していたのは確かだし、ボクの事がなくても木枯らし番長は練習試合を見に行っていたとは思う。 「……どうしようかな」 見に行こうか、見に行くまいか。 あの日、図書室から急に走って行ってしまった日の翌日、穂刈くんは申し訳なさそうな顔をしてボクのクラスに謝りに来てくれた。 坂城くんがボクにしたのと同じような説明をして、それでも、別にボクのことを嫌いなわけじゃないし普通に同級生として仲よくしようと言ってくれた。 その気持ちはすごく嬉しかった。 でも、ボクたちはクラスも違うし、一緒に出掛けるような用事もないし、夏休みが終わっても、やっぱり会えば挨拶をするくらいの仲のままだった。 穂刈くんとはそんな関係のままで、他に剣道部に仲がいい子がいるわけでもないのに応援に行って変に思われないだろうか。 木枯らし番長との関係だってみんなにも内緒にしているのに。 でも、幸か不幸か明日はバイトもお休みだ。そしてスポーツ観戦も嫌いじゃない。 髪も十分乾いたのでボクは部屋に戻り、目覚し時計を普段通りの時間にセットして夏用の薄い掛け布団にもぐりこんだ。 早く寝たんだから自然ともっと早い時間に目が覚めるんじゃないかと思ってたけど、結局アラームが鳴るまでぐっすり寝てしまった。 ボクは手を伸ばしてアラームを止めた。 カーテンを開けて外を見ると、少し雲があるもののきれいな青空が広がっていた。 室内競技だから別に雨でも風でも見るのに支障はないけど、やっぱり天気はいい方が気持ちいい。試合する人たちもきっとそう思ってるんじゃないかな。 学校に行くのに私服ってわけにもいかないから白いセーラー服に袖を通す。 制服を着ると日曜日なのにそうじゃないみたいで、なんだか不思議な感じだった。 居間に行っても誰もいない。いつものことだけどお兄ちゃんはまだ寝ているんだろう。 お兄ちゃんの分はどうしようかちょっと迷ったけど、どうせしばらく起きてこないだろうから自分一人分の朝ごはんを用意する。 トーストと、お味噌汁と、昨日の残りの肉じゃが。ご飯にしたほうがいいかなと思ったけど、さっくり焼けた食パンはやっぱりおいしかった。 「行ってきまーす」 一応、家を出る前にお兄ちゃんの部屋に向かって声をかけておいた。 どうせお兄ちゃんはぐっすり寝ていて聞いてないだろうけれど、念のため。 外に出ると、やっぱりまだ気温が高い気がする。 日陰を選んで歩いていると、向こうからよく知っている人が来るのに気付いた。 「あれ、茜、制服なんか着てどうしたんだ?」 「ほむら」 お兄ちゃんと同じで、ほむらも日曜日の朝はぐっすり寝ているタイプだ。それがこんな時間から出かけているなんて。 不思議に思ったのが顔に出たのか、ほむらに軽くはたかれた。 「なんだよ、あたしが朝から出かけちゃ悪いかよ!?」 「悪くないけど……」 でも意外だ。 「で、ほむらはどこに行くの?」 「あたし? あたしはあれだ、この前生徒会に入ったあいつがゲーセンに行きたいって言うから付き合ってやるんだよ」 「二人で?」 「ああ」 それってデートと言うものなんだろうか。 あんまりそういう女の子っぽい単語と目の前のほむらが結びつかなかったので、ボクは無難に返事をする。 「楽しそうだね。いいなあ」 でも、ボクは遊びに行くなら出来ればお金のかからない所がいいなと思う。 ゲームをするのは楽しいのかもしれないけど、やっぱり無駄遣いって感じがしちゃうし、気分転換なら中央公園でのんびりするだけでも十分だって思ってしまう。 「だろ? 一緒に行くか?」 ほむらはそう誘ってくるけど、デートなんだとしたら、それは相手がかなり気の毒だ。 「ううん、いいや。ボク、剣道部の練習試合見に行く所なんだ」 「へえー」 ほむらは興味のなさそうな顔をしている。 見るよりやる方が好きなほむらにとってはスポーツ観戦なんて退屈極まりない趣味なんだろう。 特に剣道なんて絶対竹刀持って暴れ回るほうが好きなはずだ。 「もうすぐ始まる時間だから行くね」 そう言って歩き出すと、後ろから「遅刻なんて気にすんなよ、あたしだって30分も遅れてるんだぜ!」とか何とか聞こえてきた。 きっと幻聴だろう。 そう思う事にした。 ほむらと別れてからしばらく歩くとひびきの高校に着いた。 対戦相手の学校だと思うんだけど、違う学校の制服がちらほらと目立つのがいつもと違う感じがしてなんだか楽しい。 グラウンドのほうへ向かって歩いていく人たちもいるから、たぶん他の部活も今日は練習試合なんだろうな。 剣道部の試合は体育館でやるって聞いてるから、下駄箱へ行って靴を履き替えているとちょうど坂城くんが通りかかった。 「やあ。茜ちゃんも剣道部の応援に来たの?」 「うん、そうだよ。坂城くんも?」 「まあね」 自然と一緒に体育館へと向かう形になる。休みの日の学校は、全然人がいなくてやっぱりいつもと違う感じだ。 「純がすごい張り切ってたから邪魔してやろうと思って」 「…………」 この二人って仲がいいのか悪いのかわかんない。 ボクはどう反応すればいいのか迷っているうちに道場についてしまった。 「おーい、純!」 坂城くんが入り口から大声で叫ぶと、穂刈くんはこっちを向いた。 人の影になっていてよく見えなかったけど、誰かと話していたみたいだ。 一度礼をしてからこちらにやってきた。 「匠……に一文字さん。どうして?」 坂城くんとボク、両方の顔を見ながら言っていたけど、多分「どうして?」はボクに向けられたセリフだろう。 やっぱりボクが応援に来るの変だったかな。 ちょっとだけ気恥ずかしい気持ちになりながら答える。 「たまには剣道の試合を見てみるのもいいかなって思ってさ」 そう言いながら何気なくさっきまで穂刈くんが立っていた位置に目をやると、木枯らし番長と目が合った。 いるのは最初からわかってたはずなのに、まさかそこにいるとは予想してなかった。 思わず固まってしまう。 そんな様子を見て、坂城くんが朗らかにボクに声をかけた。 「茜ちゃん、どうかした?」 「あ、うん。あの人、誰? 顧問の先生じゃないよね?」 ボクは木枯らし番長を見ていたことを変に思われないように穂刈くんに質問した。 木枯らし番長は年齢よりも落ち着いて見えるので、選手の近くに立つ姿は貫禄のあるコーチって感じがする。 「神田さん。剣道部のOBなんだけど合宿の時に指導してくれていたんだ」 うん、知ってる。 なんて事はもちろん言えないので、「へえ、そうなんだ」とだけ返した。 木枯らし番長が先に視線をそらしたのでボクも穂刈くんたちの方に顔を戻す。 「それにしても純はいいよなあ」 「どうしてだ?」 「茜ちゃんみたいなかわいい女の子が応援に来てくれるからさ」 「そ、それは……」 そして坂城くんの狙い通り、真っ赤になる穂刈くん。 ここまで純な人って本当に珍しいんじゃないかと思う。だからこそ坂城くんのからかいの対象になるんだろうけど。 でも、試合前に動揺して大丈夫なんだろうか。 「ほら、もうそろそろだろ。頑張ってこいよ」 「あ、ああ……」 坂城くんに背中を押されて、穂刈くんがふらふらと歩きだした。 「穂刈くんって強いの?」 試合を眺めながら、ボクは隣に立っている木枯らし番長にこっそり質問した。 坂城くんはなぜか試合が始まってから、「そろそろテニス部の応援に行かなきゃ」と出て行ってしまった。 もしかしたら穂刈くんの応援に来てたんじゃなくて、テニスの試合までの時間つぶしだったのかもしれない。 「もっと鍛えればいい所までいきそうですが」 木枯らし番長は打ち合う二人に視線を向けたままで答えた。 いい所ってどれくらいなんだろう。ひびきの市で一番とか、それよりもっと上とか。 そっと木枯らし番長の顔を覗き込むと、穂刈くんに期待しているような目つきだった。 ボクも試合を見る。 今のところは穂刈くんも相手の人も、竹刀を向け合ったままじりじり動いている。 剣道の試合って初めて見たけど、もっと始まった瞬間からどんどん打ち合っていくものだと思っていたから意外と静かでボクはびっくりした。 それに、声を出して応援をしてはいけないというのもスポーツとしては独特だ。 竹刀のぶつかる音が剣道場に響いて、こっちまでドキドキしてくる。 ただ向き合っているだけのようにも見えるのに、あっと思った時には掛け声と共に攻撃を仕掛けている。 たぶんあの場にいないとわからない何かがあるんだろう。 この時点で穂刈くんは相手の学校の人に一本取られていて、大丈夫だろうかとボクは少し心配になっていた。 「相手の高校って強いの?」 そう聞き終わるか終わらないかのうちにわあっと歓声が上がった。 穂刈くんが一本取り返したのだ。 次に一本取った方が勝ちだ。 スポーツ漫画のような展開に知らず知らずの内に身を乗り出してしまう。 坂城くんもいればよかったのに。こんなどきどきする展開、めったにない。 また竹刀の先を合わせたまま、穂刈くんも対戦相手もお互いの隙を探している。 「あっ」 対戦相手が打った、と思ったけど今のは大丈夫だったみたいだ。ボクはふうっと息を吐く。 大声で叫んで応援したいのを、ぐっと握り拳を作ってこらえた。 ただ、穂刈くんの動きをじっと見るだけだ。 二人とも、相手の隙を探すように、向き合ったままゆっくりと円を描くように動いている。 ちょうど穂刈くんがこちらを向くような角度になる。 距離のせいもあって、面の中でどういう顔をしているのかはまったくわからない。ボクはただ頑張れって心の中で念じるしかない。 「!」 今、面の向こうの穂刈くんと目が合った、と思った瞬間、穂刈くんは見事に面を決めた。 一瞬遅れて場内は拍手で包まれた。 試合の余韻で、まだ胸がどきどきしている。 木枯らし番長は試合の反省があるとかでまだ残るといっていた。今頃はどんなことを話しているんだろうか。 穂刈くん以外の部員も無事に相手に勝って、今日の試合はひびきの高校の完全勝利だった。 なんだかまだふわふわした気持ちで、まっすぐ家に帰るのがもったいないような気持ちでボクは中央公園に寄り道した。 日曜日の公園はジョギングをしている人とか、買い物帰りらしい女の子たちとかが歩いていてにぎやかだ。 ボクはそんな公園の中をゆっくり一周してから、ちょうど噴水前のベンチが空いていたのでそこに座る。 座ってみると、まだ高い位置にある太陽が結構強く照りつけてくることに気付いたけれどボクは気にせずそのまま目を閉じた。 『真面目で、練習熱心で、いい奴でしたよ』 合宿から帰ってきたときの木枯らし番長の言葉を思い出す。 真面目なのも、練習熱心なのも、いい人なのもボクはこの数か月で十分知っていた。 でも、剣道の試合をしている姿があんなにかっこいいなんて知らなかった。 きっとそれは、日ごろから誠実に剣道に取り組んでいる努力によってできたんだろう。 さっきから、何回も試合の様子を繰り返し思い出してしまう。 勝つ寸前の、穂刈くんと目が合ったと思った瞬間のこと。 そしてその後、防具を外したときの誇らしげな穂刈くんの表情。 勝手に顔がほてってくるのはきっと、夏が終わったのにしつこく続く残暑のせいだ。 だってもう九月なのに、こんなに暑い。 顔に飛んでくる水しぶきが気持ちよかった。 ※これは2007年以前に書いたものを2016/12/4に加筆修正しています。 一年目秋。……別に一つの季節に一本ずつで進めようとしてるわけではないんですが。 デートしてないのに着々とときめき度を上げる純はすごい。 この話を書いた当時は剣道のことが全く分からなくて(今も詳しくない)、思い切り声を出して応援する様子を書いてたんですが、剣道って声を出して応援しちゃダメなんですね。 もの知らずでお恥ずかしいです。 BACK...TOP |