守りたいもの


 テストが近付くにつれ、みんな唐突に勉強熱心になる。
 ほむらほど神経の図太くない自分もその一人で、ここ数日、バイトのない日の放課後は図書室に通い詰めている。
 全くテストの点が気にならないほむらがうらやましいけど、生まれ持った性格はどうしようもない。
 辞書が入っているせいで重たい鞄を持ち直し、図書室へと向かう。
 みんな家の方が落ち着くのか、放課後の図書室はあまり人がいない。でも、入口から数歩進めば、本棚の陰の席に見覚えのある人が座っている。
 穂刈くんだ。
 いつも通りまじめな様子でノートになにやら書き込んでいる。
 彼はあれからも時々お店に来てご飯を食べ、学校でも挨拶くらいは話すようにはなったけれど、それだけの関係だ。
 あまり広くもない学校の図書室で、変に離れた場所に座るのもよそよそしいし、かといって急に近くの席に座るのも馴れ馴れしいかもしれない。
 ボクが悩んだまま突っ立っていると、穂刈くんが気配に気づいたのか顔を上げた。
「やあ。テスト勉強?」
「一文字さん」
 小声であいさつを交わす。
「ここ、座っていいかな」
「ああ」
 少し離れた斜め向かいの席に鞄を置き、本棚から参考書を出す。
 舞佳さんのお下がりのもので、本自体も傷んでいるしちょっと内容が違うところはあるけど、気にせずそのまま使っている。
 ボクが勉強するのって、テスト前の数日間だけだし。
 何をやったらいいかわからないけど、とりあえず今日授業でやった所の復習をしてみようかな。
「一文字さんもテスト勉強か?」
「うん。穂刈くんもここでやってるの?」
 穂刈くんの前に積まれた教科書を見る。数学、化学。今日は理系の日みたいだ。
「家だと落ち着いてできないからな」
「ボクと同じだね」
 落ち着いてできない原因を思い浮かべて苦笑する。
 お兄ちゃんは今朝、今日は家で四天王達と宴会をする、とか言っていた。
 その料理は誰が用意すると思っているんだろうか。
 でも、なんだかんだで四天王のみんなには家事の手伝いしてもらっちゃって助かってるんだけど。
「そういえば、今日はバイトないのか?」
 手を動かしながら穂刈くんがボクに聞いてくる。
「うん、テスト近いから休んでいいって」
 本当は休むつもりはなかったんだけど、補習受ける羽目になって急に休まれるほうが困るから、とおじさんに笑って言われたのでそのご厚意に甘えさせてもらった。
「だからテスト終わったら倍頑張らなくっちゃね」
「そうだな。俺も頑張らなきゃいけないな」
「部活?」
「ああ、夏休み中に合宿もあるし、休み明けには練習試合もあるし」
 静かな口調だったけど、練習試合には絶対勝ちたいという強い意志が感じられた。
「そっか。大変なんだね」
「いや……好きでやっている事だから、そんなには」
「そうなんだ。今日は剣道部は休みなんだっけ?」
「テスト前だからな。道場に鍵がかけられてる」
 そう言って苦笑する穂刈くんの横には、いつも持ち歩いている竹刀袋が置かれている。
 もし鍵がかかってなかったら今日も練習するつもりだったのかもしれない。
 放課後、一人で練習しようと道場に向かってそこで鍵がかけられてる事に気付く穂刈くんの姿を想像したらちょっと笑えてしまった。失礼だけど。
 でも、そうやって毎日練習を積み重ねているのは、なんだかすごいイメージどおりって感じだ。
 と、その時急に自習室のドアが開いて童顔の男の子が顔を出した。
「純! ……と、茜ちゃん」
 穂刈くんの事を、話したこともないのになんとなくでも覚えていたのはこの人のせいだ。
 坂城匠くん。
 入学して間もない頃、急に名前と電話番号、身長体重にスリーサイズを聞いてきた人なんてこの人くらいだ。
 女の子みたいな顔立ちとのギャップが印象的で、自然と坂城くんの近くにいる穂刈くん達の事まで覚えてしまったのだ。
「どうした? 匠。何か用事か?」
「いや、たまたま本を返しに来たらお前がいたからさ。それより……」
 にやりと坂城くんが笑う。
 ボクのプロフィールを聞き出そうとした時と同じ笑いだ。
「なんだ?」
「純もなかなかやるな、と思ってさ。放課後に女の子と二人っきり、なんて」
「ふ、二人っきり……」
 司書さんもいるし、坂城くんみたいに本を返しに来る人もいるから正確には二人っきりではないんだけど、穂刈くんの顔はまたたく間に真っ赤になった。
 ボクは急な変化にちょっと驚いてしまう。
 そして更に追い打ちをかけるように坂城くんが言った。
「いやー、まさかお前がそんなに女の子と仲良くなるなんてな。これからの高校生活、女の子とラブラブに過ごせそうだな?」
「ラ、ラブラブ……」
 しばらく穂刈くんは絶句した後、「ぬおおおおお……!」なんて言いながら駆け出していった。
 怪訝な顔をしながらも、入口近くに座っていた司書さんが開けっ放しのドアを閉める。
「…………?」
 今の会話のどこに走り出したくなるようなことがあったんだろうか。
「アハハ、純な奴」
 ボクにはよくわからないけど、この穂刈くんの行動も坂城くんにとってはおなじみの物らしく、楽しそうに笑っている。
「ねえねえ、どういう事なの?」
「ん? ああ、あれ?」
 くすくすと思い出したように坂城くんが笑う。
「まあ、言っておいた方が妙な誤解がなくていいかな……あいつさ、本当に純なんだよ。ずっと剣道一筋で女の子慣れしてなくてさ」
「そうなの? ボクとは普通に会話してたけど」
 女の子に見られてないんだろうか。
 少しショックを受けているボクをフォローするように坂城くんが口を開いた。
「あいつもお姉さんがいるから普通の会話くらいはできるんだと思うよ。でも、ちょっとでも恋愛方面の方に話が向くとさ」
 そこで言葉を切って、また笑う。女の子の扱いに慣れていそうな彼からしたら楽しくて仕方がないんだろう。
「……別に純情だっていいと思うけどな」
 いないところで好き放題言われているのがかわいそうで、穂刈くんをかばうような言葉が口をついて出た。
 すかさず坂城くんが目を輝かせてシステム手帳を取り出す。プロフィールを聞かれた時にも同じ物を持っていた覚えがある。
「お、一文字さんの好みは純みたいな奴?」
「違うよ!」
 純みたいな、と言われても、そもそもそんなに穂刈くんの事を良く知らない。
 でも外見とか、これまで話してきたイメージで言うなら、穂刈くんは真面目そうだし根性もありそうなので、仲良くしたいとは思う。
 もちろん変な意味じゃないし、坂城くんに言ったらややこしくなるだろうから絶対言わないけど。
「なーんだ」
 残念そうに坂城くんはシステム手帳をしまった。パンパンに膨らんだ中にはどれくらいのデータがあるんだろう。想像も付かない。
「でもまあ、そういうわけだから」
「なにが?」
「純の話。もしあいつが一文字さんと話してて急に逃げていっても、別に気分を悪くしたとかそういうわけじゃなくて単に慣れてないだけだから。だからもし今度そういう事があっても誤解しないでやって欲しいんだ」
 確かに、普通に話していてさっきのような事になったら、嫌な気分になっていたと思う。
 変なこと言ってないはずなのに、なんで急に逃げ出すんだろうって。
 ボクはまじまじと坂城くんの男の子にしては丸い目を見つめた。
「坂城くんって意外と友達思いなんだね?」
 そう言うと、坂城くんはちょっと不満そうに口をとがらせる。そんな仕草も坂城くんがするとかわいらしく見える。
「意外とって……まあいいや。それより茜ちゃん、時間大丈夫?」
 その言葉に時計を見ると、もう夕方の六時を大幅に過ぎていた。
 慌てて参考書を鞄に詰めて立ち上がる。
「ボクそろそろ帰んなきゃ! またね、坂城くん」
 図書室を出た時、今日はほとんど勉強できてなかった事に気がついた。


 家に帰ると既に四天王たちが家に来ているみたいで、三和土には四人分の靴が置いてあった。
「お帰りなさい、茜ちゃん」
 靴を脱いでいると、わざわざ舞佳さんが出迎えに来てくれた。
 今日は学ランじゃなくて、パーカーにジーンズといったラフな格好だ。きっと今は「九段下舞佳」モードなのだろう。もっとも、舞佳さんがバイト番長モードでいるって事はあまりないけど。
「ただいまー」
 四天王たちが来ているんなら早く夕食の用意を始めないといけない。
「お兄ちゃんは机の上片付けといてね」
 リビングでテレビを見ていたお兄ちゃんに声をかけて、お台所に入る。
 ボクの後から四天王の四人もぞろぞろとついてきた。
「姐さん、おで、なにか手伝いたい」
「ありがとう、筋肉番長」
 何をしてもらったらいいだろう。
 ボクは少し考えてから、大根の皮をするするとむいて、千切りにできるスライサーと一緒に筋肉番長に渡す。
 細く切ったのを塩もみしてツナとマヨネーズと和えれば大根サラダだ。
「これで切ってくれる?」
「わかった」
「怪我しないようにね」
 一応注意してから、ボクは冷蔵庫から鶏肉を出す。メインはから揚げにすればいいだろう。
「あ、ご飯炊いてなかった……舞佳さん、お米磨いでもらってもいいですか?」
 早炊きモードで炊いたらなんとかおかずが出来上がるまでには間に合うだろう。
「オッケーオッケー。……ところで茜ちゃん、テスト勉強大丈夫?」
 ボクに話しかけながら舞佳さんは米びつから手際よくお米を出す。どこに何が入っているのかを完全に把握しきっているのでいちいち何がどこにあるのかを聞くこともない。
「うーん……」
 テスト勉強は全くやっていないわけではないけど、自信を持って大丈夫、なんて言える状態ではない。
 ボクが困っていると、その様子で大体分かったようだった。
「テスト終わったら夏休みだし、補習で潰されないようにしないとね」
「夏休みといえば、みんなの予定は?」
「フッ……俺は剣道部の夏合宿にいくぞ……」
 冷蔵庫から作り置きの煮物を出しながら木枯らし番長が言う。
「剣道部って、ひびきの高校のだよね?」
 木枯らし番長は剣道部のOBだったらしいけど、だからといって高校の合宿に出なきゃならないわけではないと思う。
 でも、言われてみれば木枯らし番長は去年やおととしも何度かひびきの高校の剣道部の指導に行ってたような気がする。単純にボクが中学生だからあまり気にしてなかっただけだ。
「後輩達の指導をしなきゃならなりませんから」
「卒業してから何年も経ってるのにねえ」
「……悪いか」
 からかうように言われ、木枯らし番長が舞佳さんをにらむ。
「ま、悪くないけどねん」
 でも後輩からしてみれば窮屈よね、とお米をとぐ水をかえながら舞佳さんは明るい調子で言った。
「でも、木枯らし番長、指導できる相手がいるから羨ましい」
 大根の千切りを終えた筋肉番長が会話に参加する。
「あーそうよね」
 筋肉番長の所属していた相撲部は既に廃部になっていたはずだ。そういうのってやっぱり寂しいんだろうな。
「火の玉番長は行くの?」
 野球部はまだひびきの高校にあるんだし、火の玉番長も指導しに行くのかもしれない、と思った。しかし。
「俺は忙しくてそんな事してる暇がないぜ!」
「そんな事……」
 あっさりと言われて木枯らし番長がちょっと複雑そうな顔をした。
「あらら、それじゃまるで木枯らし番長が暇人みたいじゃない」
 くすくすと笑いながら、舞佳さん。
「フッ……さっきの発言を訂正してもらおうじゃないか……」
「で、でも俺は本当に毎日忙しいんだぜ!」
 詰め寄る木枯らし番長から必死で火の玉番長が逃げ惑う。狭い台所で暴れるのは危ないからやめてほしい。
「こらこら、あんたたち遊んでないで手伝いなさいって」
 お米を炊飯器にセットしてしまって暇になった舞佳さんはそうやって楽しそうに茶々を入れる。
「フッ……そうだな……」
「よーし、頑張るぜ!」
 そして再び夕食の準備を再開する二人。さっきまで喧嘩していたのに切り替えが早い。
 もうそろそろから揚げも出来上がりそうだった。


 食事が終わると、途端に静かになる。
 お兄ちゃんはお風呂に入っちゃうしみんなは帰っちゃうし。
 今日は木枯らし番長だけが残って片付けの手伝いをしてくれているけど、それだってそんなに時間がかかる作業ではないだろう。
 テレビはつけたままにしてあって、バラエティ番組のにぎやかな話し声は流れているけれど、それが逆になんだかさみしい感じがした。
「ねえ、木枯らし番長」
 ボクはそのさみしさを無視するように木枯らし番長に声をかけた。
「なんでしょう?」
「木枯らし番長、剣道部の指導って今年に入ってから行った?」
「俺も暇人じゃないし、今年は夏合宿が初めてです。それがどうかしましたか?」
 わざわざ「暇じゃない」と断る辺り、さっきの火の玉番長との会話を気にしているみたいでおかしかった。
「ん、ちょっと剣道部に知り合いが出来てさ」
 普通に剣道一筋のまじめな頑張り屋さんだと思っていたら、驚くほど純情で。今日の出来事は、最初はびっくりしたけれど思い返すとなんだか楽しい。
「それは男子部員ですか?」
「うん、そうだよ」
「……恋人ですか?」
 それはボクからしたらあまりにも突拍子のない言葉で、思わず笑ってしまった。
「ううん、そういうわけじゃないよ。けど」
「けど?」
 ボクのことが心配なのか、鋭い口調で木枯らし番長が聞き返してくる。
「仲良くなりたいとは思ってる、かな、もちろん変な意味じゃなくて」
 でもそれは普通の事だと思う。
 よっぽど性格の合わない人でない限り、もっと仲良くなりたいと思うのは。
「そうですか……じゃあ俺も合宿中はそいつを注意して見てみるとします……名前は?」
「穂刈純一郎。黒髪の、メガネかけた人だよ。でも……」
 少し口ごもってしまうボクを見て、木枯らし番長が苦笑した。
「フッ……わかってます……姐さんの名前は絶対、出しません」
「……ごめんね」
 ボクが総番長の妹だって事を知られたくないばかりに、こうやってこそこそして、四天王の人たちも内心では嫌な思いをしているんだろう。
 それでも、お兄ちゃんが総番長やってるって事を知った途端に友達だと思ってた子に距離を置かれるって事が今までに何度もあったから、今では総番長の妹だとか四天王と付き合いがあるなんてことは絶対に知られないようにしている。
 お兄ちゃんは好きだけど、大嫌いだ。
 そんな事を考えているボクがあまりにもしょんぼりしていたのか、木枯らし番長がわざと明るく声をかけた。
「それじゃあ、テスト頑張ってくださいね」
 こう言っては何だけど、木枯らし番長に「明るい」という言葉は似合わない。
 相当無理して声を出しているのがわかって、ボクは思わず吹き出した。
 でも、こうやって励ましてくれるっていうのは大事に思われているからなんだろう。
 多分それは坂城くんが穂刈くんを大事に思っているのと同じ気持ちで。
「じゃあ……俺ももうそろそろ失礼します」
 自分でも先ほどの口調が恥ずかしかったようで、視線をそらして木枯らし番長が言う。
「うん、ありがとね」
 そしていつものように玄関先まで見送る。玄関までならきっと大丈夫だろう。
「バイバイ」
 門を出て行く木枯らし番長を見送りながら、ボクが総番長の妹でも気にせずに付き合ってくれる人ばかりなら嬉しいのに、と思う。本当は隠し事なしに付き合うのが一番だって思うから。
 穂刈くんはどうだろうか。やっぱりダメなのかな。
 七夕も近い事だし願ってみようか。
 短冊を用意しようと部屋に向かったボクの頭の中からはやっぱりテスト勉強という文字が抜け落ちていた。


...





※この話は2007年以前に書いたものを2016. 11. 24に加筆修正しています。

一年目夏の純茜。
出会いイベントの勉強を教えるやつをやりたかったんですが、結局勉強するというところしか共通点がない。

四天王はゲーム本編での出番があれだけなのでどう喋らせたらいいのかよくわかってません。
お正月イベントでは一緒におせちを食べてたので、普段もしょっちゅう夕食食べたりしてるんだと脳内保管してましたが、実際どんな生活してるんでしょうね?


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