見えない糸


 運命の出会い。見えない赤い糸。
 そういう相手ってどこにいるんだろう。
 よく、芸能人の結婚会見や周りの人の話を聞いたりするけど、「一目見てすぐに運命の人だとわかった」って人もいれば、「時間をかけてゆっくり仲良くなっていった」とか、人によって全然違う。
 ボクにも運命の人がいるんだろうか。
 この小指の先に、誰かいてくれるんだろうか。


 穏やかな空気を吸い込みながら、足早に歩く。
 桜はとっくに散ってしまっていたけれど、民家の庭先や道路沿いには色とりどりのチューリップが咲いていて、春だなあという感じがする。
 ボクはバイト先のお店のおじさんに頼まれていたお使いを終えて帰る所だった。
 本当は走ってしまいたかったけれど、そんな事をしたらせっかく着付けたお店の制服が乱れてしまう。
 いつもの私服ならそんな心配はしなくてもいいのに。ボクはため息をつく。
 最初はこの着物形式の制服に慣れずに走り回ってしまい、すぐにぐちゃぐちゃになってしまっていたけれど、いつの間にか立ち居振る舞いが以前よりはおとなしくなっていた。
 おかげでお店の忙しい時間に更衣室にこもりきり、なんて事はなくなったけど、そのせいで信号が点滅しているのに走ることもできず、ボクは足を止めた。
 今頃お店混んでるんじゃないかな。そもそも、急に集団のお客さんが来たからこうやって食材を買うはめになっているのにもっと急がなくて大丈夫だろうか。
 やきもきしながらも信号待ちの集団の中に混じる。
 なんとなく周りを眺めていると、見覚えのある人がいるのに気付いた。
 同じ学年の穂刈くんだ。
 クラスも違うし会話した事はないけれど、それでもなんとなく顔と名前だけは知っている。
 たまに竹刀を持っているところを見かけるから、彼はきっと剣道部なのだろう。
 剣道部は木枯らし番長が高校生の時にいた部活だったから、それで印象に残っていたんだと思う。
 メガネをかけた穂刈くんの横顔はきりっと引き締まっていて、まじめそうな雰囲気がある。
 そんな事を考えながら信号機に視線を戻すと、ちょうど青に変わったので横断歩道を渡ろうと足を上げた、その時。
「あっ」
 急いでいたらしいおじさんに後ろからぶつかられ、その弾みでビニール袋を地面に落としてしまった。
 おじさんはボクの方をちらっと見たけれど、そのまま足を止めずに去って行った。
 別に弁償してほしいとかいうつもりはないけれど、なんとなくムッとした気持ちになる。
 今日は卵は入っていなかったけれど、野菜だって固いコンクリートにぶつかったら無傷ではないだろう。
 中身の状態を確認するのが怖くて少しだけ拾うのに躊躇していると、脇からすっと手が伸びた。
「ほら」
 もうとっくに横断歩道を渡りきっているはずの穂刈くんがなぜか目の前に立っていて、ボクに向けてビニール袋を差し出していた。
 慌ててそれを受けとる。
 邪魔にならない場所によけて中身を見てみるが、野菜に目立った傷はなさそうでほっとする。
「ありがとう……穂刈くん」
「えっ」
 うっかり名前を呼んでしまったけれど、そもそもボクたちは初対面だ。案の定穂刈くんは面食らった顔をした。
「あ、ボクはひびきの高校一年の一文字茜。よろしくね」
 とりあえず自己紹介。
 きっとこの調子じゃ向こうはボクの事は全く記憶にないのだろう。
 手も差し出したかったけれど両手がふさがっていたのでやめておいた。
「あ、俺も同じ学校の一年。の、穂刈純一郎だ」
 既に名前を知ってる事はわかってるはずなのに穂刈くんはボクと同じように自己紹介をした。律儀なんだなと思った。
「ところで、その格好は……?」
 お店の制服である着物の上にエプロンをつけた姿はやっぱり街中で見るには珍しいものであったらしい。
 怪訝な顔をされてしまった。
「バイト中なの。食堂のお手伝いなんだけど、材料が足りなくなってきちゃってさ」
 そう言って、手に持っていた袋を少し持ち上げる。
 買い物リストにお米が入っていなかっただけマシだけど、キャベツやジャガイモなどの重い野菜ばかり入っているビニール袋はやはり辛い。
 と、そんな気持ちを見透かしたかのように穂刈くんが言った。
「持とうか?」
「え、いいよいいよこのくらい」
 確かに重たいなと思ったのは事実だったけど、好意に甘えるほどでもない。
 それに、学校のみんなには内緒だけどボクのお兄ちゃんは総番長をしていて、強制されてるでもないけれどボクもなんとなく鍛えるのが習慣になっている。
 これもトレーニングの一環といえなくもない。
「だからって女子に持たせて放っておくわけにもいかないだろ」
「あ、ありがとう」
 きっと穂刈くんはどれだけ断っても引き下がらないだろう。手を差し出しているのに断り続けるのも失礼かもしれない。
 女の子扱いされたことに少し落ち着かない気持ちになりながら、大人しく荷物を渡す。
「で、これはどこまで持っていけばいいんだ?」
「えっとね」
 大まかな店への道順と特徴を伝えたら穂刈くんにもわかったようだ。
「その店、部活……剣道部の先輩がたまに行ってるって」
「ホントに?」
「ああ。料理もおいしいって言ってた」
 お店の人間としては嬉しい事この上ない言葉だ。
 自然と頬が緩んでしまう。
「嬉しいな。今度来たら大盛りサービスしますって言っといて」
 この前ほむらがお店に来た時も、おじさんはその食べっぷりに驚きながらも快くおかずをサービスしてくれたから、きっとお世話になった穂刈くんにサービスするのも許してくれるだろう。
 もちろんその分ボクもバリバリ働いてお店に貢献するつもりだけど。
「いいぜ。その時は俺も一緒に行ってもいいか?」
 見上げた穂刈くんの横顔は、何となくだけど社交辞令とかそういうのがあまり似合いそうには見えなかった。
 だから、こっちも心の底から返す事が出来た。
「もちろんだよ! 期待しててね!」
 そうやってなにげない会話をしているうちに、通りの向こうにお店が見えてきていた。
「どうもありがとう。そこがボクのバイトしてるお店だよ」
 お店の前の横断歩道を渡って、荷物を返してもらう。
 ついさっきまで平気で持っていたはずのそれが返してもらうとやけに重く感じる。
 持ってもらって正解だったかも。
 お礼にお茶とかお菓子くらいは出せないかと思って顔をあげたけど、穂刈くんは既に振り返って横断歩道を渡ろうとしている所だった。
「穂刈くん!」
 不思議そうな顔をしながら穂刈くんは振り返った。
「お茶出すけど、飲んでいかない? 手伝ってもらっちゃったんだしさ」
「いや、いいよ。悪いしさ」
「そう?」
 なんだか悪いような気がしたけれど、無理に引き止めるのも迷惑かもしれないし、ここは引き下がる事にする。
「それじゃ、また」
「うん、バイバイ!」
 穂刈くんが横断歩道を渡り終えたのを見送ってからボクもお店の中に入った。


 それから2、3日経った日の夕方。
 ボクはいつも通りバイトをしていて、夕食時を迎えてお店は混み始めていた。
 さりげなく窓から外を見ると、会社や部活帰りなのか、様々な年代の人が疲れた様子で歩いているのが見える。
 遅くまで頑張っているその人たち一人一人にお疲れ様って言ってご飯を振る舞ってあげたいな。
 なんて事をこの時間帯によく思う。
 このバイトを始めたのは、家でも家事をしているから全く知らないことをやるわけじゃないという安心感と、料理のコツが学べるかもしれないという単純な理由だった。
 でも、最近では疲れた顔をしてお店に入ってきた人がご飯を食べてほっとした顔をするのを見るとうれしく感じるようになってきた。
 そうやって明日も一生懸命頑張ってるんだろうし、そういう姿って本当にいいと思う。
 何が目標にしてもさ。
「いらっしゃい!」
 そんなことを考えてぼんやりしていたせいで、店長の声がするまでお客さんが入ってきたことに気付かなかった。
 慌てて「いらっしゃいませ」と言いながらドアの方を振り返る。
「……穂刈くん!」
 一緒にいるのはこの前言っていた剣道部の先輩だろう。体つきも強そうだし、なんとなく貫禄のある顔をしている。
 校内でも二、三度すれ違ったことくらいはあるかもしれない。
「うわー、本当に来てくれたんだね! 嬉しいよボク」
 メニューとおしぼり、それにお茶を入れた湯飲みを二人に渡す。
「一応約束したから」
 手を温めるように湯飲みを両手で持って穂刈くんが言う。
 愛想がいいというわけではないけどそっけないともまた違う素朴な口調で、穂刈くんのまじめな性格を表しているようで好ましいと思った。
「それじゃ、ご注文が決まりましたら呼んでください」
 ほかのお客さんもいるのにいつまでもお喋りしているわけにもいかないので、メニューを残してその場を離れる。
「あのメガネの子、茜ちゃんの友達かい?」
 お茶の入れ物が空になりそうだったので、補充しようと調理場に入るとお店のおじさんが話しかけてきた。
 見ると食器を洗っている。調理は今ひと段落しているとはいえ、本来ならボクがやるべき仕事だ。
「あ、長々お喋りしちゃってスミマセン」
 補充したポットを戻し、食器洗いを代わろうと袖をまくると「いいって」と止められた。
 何もしないわけにはいかないのでボクは洗い終えた食器を棚に戻す。
「それより、あのメガネの子とは友達?」
 穂刈くんとボクの関係が気になるのだろうか。興味津々といった様子だ。
「ただの同級生ですよ」
 簡潔に答えてから、慌てて付け足した。
「あ、でも料理は大盛りにしてもいいですか? こないだ話した荷物持ちを手伝ってもらったの、あの人なんです。……その時が初対面だったから、友達ってほどでもないですけど」
「そうかい? ……でもまあ、高校生活も長いしね」
 そう言っておじさんはにやりと含み笑いを洩らした。
「?」
 どういう意味か聞く前に、客席のほうからボクを呼ぶ声がする。
「すみませーん、注文おねがいしまーす」
 どうやら注文が決まったらしい。伝票を持ってテーブルへ行く。
「チキンカツ定食と豚肉の生姜焼き定食ですね」
 注文をしっかり書きとめて、メニューも回収して。
 ボクは接客の仕事も任されているが元々は調理の手伝いと言う事で雇ってもらっていて、お店の込み具合や注文された料理によってはボクがメインで作らせてもらうこともある。
 普段から家で料理をしているおかげで、ボクの料理もそこそこ評判がいいらしい。嬉しい事だ。
「茜ちゃん、調理おねがいね」
「はい!」
 エプロンを結びなおし、調理場に立つ。付け合せのキャベツなんかはもう用意してあるから、あとはメインのおかずを作るだけだ。
 できるだけ手際よく料理を作り終えて、お皿に盛る。
「おまちどうさま」
 よっぽどお腹がすいていたのか、料理を置くと穂刈くんはちょっとだけ嬉しそうな顔になった。
 いつも穂刈くんは真剣な顔をしているから、それだけでもなんだかほっとする。
 味付けは口にあっただろうか、大盛りにしたつもりだけど足りなくなかっただろうかと思いながらご飯を食べてる穂刈くんをそのまま眺めていたら、気持ちを読まれたようにこっちを向かれてちょっとどきっとした。
 でも穂刈くんはボクが動揺したことにはちっとも気付かないみたいだ。
「本当にうまいな、ここの料理」
 少し微笑んでそれだけ言うと、穂刈くんはまた食事にとりかかる。
 それだけなのに、ほめられたことがうれしすぎて、ボクは頬が緩むのを抑えられなかった。
「えへへ」
 不思議なものだな、と思った。
 一週間前にはこうやって穂刈くんがここの食堂に食べにきて、ボクと友達のように会話するなんて全く思ってもみなかったのに。
 穂刈くんとはきっとすごく仲良くなれる予感がする。
 ボクは無意識のうちに小指を押さえていた。







※この話は2007年以前に書いたものを最終的に2016. 11. 13に加筆修正しています。

 1年目春。真・バイトのお手伝い。
 頑張る人を応援したい、というと佐倉さんっぽさがある。


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