愛のお祭り 明日はバレンタインデーだ。 お菓子メーカーが商品を売るために盛り上げてるんだってよく言われているけど、ボクもいい機会だから毎年たくさんのチョコを用意する。 もちろん本来の目的ではなくて、お世話になっている人に配るためだ。お歳暮みたいなもんだね。 お菓子作りはもともと嫌いじゃないから、バレンタインじゃなくてもしょっちゅうするし、ここ数年はそんじょそこらのお店にも負けない出来のものができていると思う。 もちろん今年もたくさんの材料を用意した。ボクは手を洗い、気合を入れてエプロンの紐を締め直す。 「茜ちゃん、頼まれてたラム酒ここに置いとくわよ」 舞佳さんがボウルの横にラム酒のビンを置いた。 本当は製菓用の小さいものを買おうと思ってたんだけど、なんだか割高な気がしたから舞佳さんに頼んで普通のラム酒を買ってきてもらったのだ。 別に私服で買いに行ったって止められないのかもしれないけど、お兄ちゃんがお兄ちゃんだからできるだけ変な疑いを持たれないように行動したい。 「ありがとうございます」 今日はいつものように四天王の人たちが家に来ていた。 みんなで夕食を食べて、そしてその後はなぜか誰も帰ろうとせずに、居間で普段は見ないような恋愛ドラマなんかを見ちゃってる。 「みんな、茜ちゃんの作るチョコレートが気になるのよ」 そう言いながら舞佳さんが買い物袋から全部材料を出して並べてくれた。 舞佳さんはボクの手伝いはしても自分の分のチョコレートを作ろうとはしない。 道具だってちゃんとあるからいくらだって貸すのに。 「私は明日適当に買って配っちゃうつもりなのよねん」 茜ちゃんみたいにうまく作れないし、と言って舞佳さんは笑った。 ボクは製菓用チョコレートを袋からだし、既定の量を刻み始める。今年はブラウニーにするつもりだった。 「茜ちゃんはマメよねー。それ、みんなに配るんでしょ?」 「ええ、まあ」 興味津々、と言った顔で舞佳さんがボクに訪ねる。 「その中に本命とかはないの?」 舞佳さんが言い終わるか終わらないかのうちに、お兄ちゃんの叫び声と、居間から物が壊れる音が聞こえてきた。 昨夜は散々だった。 誰かに本命チョコをあげる、なんてボクが言ったわけでもないのにお兄ちゃんは急に暴れ出すし。 筋肉番長たちが止めてくれなかったら台所に乱入されてお皿の二、三枚は割れていただろう。 そういうわけでちょっとごたごたしちゃったけど、日付が変わる前にはチョコレートもどうにか無事に作り上げ、安物の包装紙だったけどできるだけきれいに見えるようにラッピングした。 お兄ちゃんや四天王にはもちろん昨日渡したし、手下の人の分も預けておいた。 次は学校関係の人だ。 授業が始まる前にチョコを配ってしまおうと思って廊下を歩き回る。 考えることはみんな同じみたいで、廊下のあちこちでチョコのやりとりが行われている。 ひびきの高校が自由な校風でよかった。そうでなかったらほむらなんて絶対に生徒会に入らなかっただろうけど。 そのほむらは、寝坊なのか見当たらなかったので後回しにすることにした。穂刈くんたちのクラスにも行く。 「茜ちゃん、チョコレート? 俺にくれるの?」 顔を見るなりそんな事を言う坂城くんはちょっと図々しい。 もちろんクリスマスの事もあるからちゃんと坂城くんの分だって用意してあったけど。 「でもこんなに食べれるの?」 坂城くんの机の横には紙袋が置かれていて、既に中はもうチョコレートでパンパンになってしまっていた。 授業前でこうなら、帰るころにはどうなっちゃうんだろう。 「そりゃ一日では食べきれないけどさ」 「それなのに欲しいの?」 「もちろん」 やっぱりこういうのって人気のバロメーターだしさ、とあっけらかんと言って坂城くんが手を差し出してきた。 ボクにはあまり理解できなかったけれど、本人がいいのならいいのだろう。チョコレートの包みを渡す。 「どうもねー」 にっこり笑って坂城くんは袋の中、というよりはすでに山みたいに積まれたチョコの上に受けとったばかりの包みを置いた。 崩れたりしないといいけど。 「あ、そういえば穂刈くんの分も用意してきたんだけど、どこにいるのか知らない? まだ来てないのかな」 「え? でも鞄はあるよ」 坂城くんはそう言って机から穂刈くんの鞄を持ち上げた。 「どこにいるのかは知らないけど、朝練でもないだろうしどうせその辺にいるんじゃない?」 「そりゃそうだね。ありがとう、坂城くん」 まだ授業まで時間があったのでもう少し探してみることにした。 教室を出て、とりあえず右へ行く。特に理由はなかったけど、今日は勘がさえてたみたいだ。 階段のあたりに差し掛かると、踊り場に穂刈くんが立っているのが見えた。 ここの階段は建物の端の方だし玄関から遠いから朝はあまり人がいない。暖房の熱ももこの辺まではこないみたいで、夏服のボクにとっては結構肌寒い。 穂刈くん、と声を掛けようとして、その向かいに女の子が立っていることに気が付いた。 小柄なかわいい感じの女の子で、いかにも緊張した雰囲気で立っている。 ボクの場所からでも、手に持っている青い包みがとてもきれいに、丁寧にラッピングされているのがわかった。 義理なんかじゃないんだろうなっていうのはすぐにわかった。 穂刈くんもそれを察しているみたいで、耳まで真っ赤になってしまっていた。 「こ、これ……バレンタインだから……」 女の子が、ぎしぎしと音がしそうなほどぎこちない動きで包みを差し出す。 ボクまで女の子や穂刈くんの緊張が伝わってくるみたいで、思わず紙袋を握りしめてしまう。 今ので少し中身が崩れちゃったかもしれないと思ってボクは慌てた。 だいたい、こんなところを勝手に盗み見するのはよくないってわかってるのに、なんで見てるんだろう。 踊り場にいる穂刈くんたちはなんだか遠い別世界にいるような感じがした。 「あ、ありがとう。それじゃ……」 穂刈くんはたどたどしく礼を言うと、すごい勢いで走り去っていった。 ボクがいるのとは逆の方向に走って行ったのはラッキーだった。こっちだったら見つかっちゃうから。 「穂刈くん、ちょっと……」 呼び止めようとする彼女の声も、きっと穂刈くんには届いていなかったんだろう。 残されたその子はしばらく呆然としていたので、ボクは気付かれないうちに慌ててその場を離れた。 もうそろそろホームルームが始まりそうだった。 教室の中は暖房ががんがんに効いていて、せっかくのチョコレートが溶けてしまいそうなくらいだ。 クラスの人たちもそれが気になるのか、そわそわしながら鞄の中とかをちらちら見ている。 ブラウニーだからボクは大丈夫だと思ったけど、ボクもなんとなく机の横にかけていた紙袋を暖房から遠い方へ移し替えた。 紙袋の側面を軽く撫でて、教壇に視線を戻した。 このクラスの担任の先生が、おちついた口調で委員会の連絡事項なんかを話している。 教壇に立っている姿しか見ていないから忘れそうになるけど、ボクのクラスの担任も若い女の人だった。 先生も誰かにチョコを渡す予定だったり、またはすでに渡してしまったりしているのだろうか。 だって今日はそういう日だから。一年に一度の愛のお祭りだ。 だから、さっきの彼女も穂刈くんにチョコを渡した。 ボクはさっき見た光景を思い出す。 チョコを差し出す小さくてかわいい女の子。真っ赤になって受け取る穂刈くん。 まるで少女マンガみたいに絵になる光景だった。 でも、彼女がチョコレートを渡した相手はあの穂刈くんだ。 「ラブラブ」という単語を耳にしただけで真っ赤になり、チョコレートを受け取っただけでうろたえて逃げ出すような。 「…………」 結局、今日の穂刈くんはチョコを受け取るだけで逃げちゃったけど、そのうちあの子と付き合ったりするんだろうか。 あの子、かわいかったな。 女の子と付き合うようになったら、きっとさすがの穂刈くんだって今みたいに純なままじゃなくなって、普通に女の子の話とかをできるようになるんだろう。 そんな穂刈くんを想像すると、なんだか胸がもやもやする。 ボクだって普通の女の子みたいに、あんなふうに本命チョコを渡したりしてみたい。 今から女の子らしくするのは無理かもしれないけど、もしかしたらそんなボクでもいいって言ってくれる人はいるのかもしれない。 でも、ボクにはお兄ちゃんもいるしバイトもたくさんしなきゃいけない。 勉強だって、あんまりやりたくないけど留年にならない程度にはやらなきゃいけない。 みんなみたいに自由に遊んだりできないのに、みんなみたいに恋愛することなんてできるわけがない。 手元の紙にボールペンで線を引いたり、ぐるぐると円を書いたり、適当に手を動かす。 ボクの気持ちもぐちゃぐちゃだった。 一時間目が終わった瞬間に、普段は教室でおしゃべりしたり寝ていたりする人もそそくさと教室を出て行った。 ボクもできるだけ早く配り終えてしまいたかったから、それに混ざって廊下に出た。 するとちょうどほむらが向こうからやってくるところだった。 ほむらは結局遅刻だったんだろうか。 「やあ」 挨拶すると、ほむらはボクの手元の紙袋を見て、にやりと笑った。 「それ、チョコレートだろ?」 素晴らしい嗅覚だ。感心する間もなく持っていた紙袋をひったくられる。 「だ、駄目だよ! 人にあげる分もあるんだから!」 慌てて取り返すほむらは拗ねた表情になった。 「なんだよー。親友のあたしに用意しないで別のやつのぶんはあるのかよ」 ボクは思わず吹き出してしまった。紙袋をさぐってほむらの分の包みを取り出した。 「何言ってんのさ。ちゃんとほむらの分もあるよ。多めに詰めといたから」 それを聞いた瞬間、ぱっとほむらの表情が輝く。 端っことかの形が崩れたのもほむらの分に入れてあるんだけど、味は同じだからほむらはきっと気にしないで食べるだろう。 「ホントか? これ、あたしが食べていいんだな?」 「いいよ」 って、返事する前に開け始めてるし。 おなかすいてるのかな。ほむらだしいつもこんなものかな。 「よっしゃー!」 そう言って大喜びするほむらは、きっと今年は誰にもチョコをあげなかったのだろう。 ボクもほむらも、色気のないバレンタインだ。 「あ、純に用事?」 穂刈くんのクラスを覗き込んだら、また坂城くんに声をかけられた。 朝のうちに渡せなかったのを見透かしているような口調だったから、穂刈くんがあの女の子からチョコレートを貰ったのもたぶん知っているんだろう。 あんな真っ赤な顔して立派な包みを持っていれば当然だろうけど。 「待っててね、すぐ呼ぶから」 「うん、ありがとう」 坂城くんは穂刈くんの友達だから、普通に相談に乗ったりとかもするのかもしれない。 穂刈くんはどんな風にあのチョコのことを話したんだろうな。 「…………」 教室なんてそんなに広いスペースではないから、坂城くんが穂刈くんと会話しているのがここからでもちゃんと見える。 さすがに細かい内容まではわからないけど、いつもみたいにからかってるみたいだ。 ちょっと顔を赤くして穂刈くんが現れた。 「はいこれ、義理チョコだけど」 「あ、ありがとう」 義理だと言ってしまったのがよかったのか、逃げようとする様子も見せずに包みを受けとる。 「本命の方が良かった?」 なんとなく意地悪な気持ちになってそんなことを言ってしまう。 あんまりボクも坂城くんのことを責められないや。 「!? そ、それは……」 「ごめんごめん、気にしないで」 でも、否定はしないみたいだ。 恥ずかしかろうがなんだろうが、穂刈くんにとってあの丁寧な包みはきっと嬉しかったんだろう。 たった今渡したばかりの、お世辞にも丁寧といえない包みが急に恥ずかしくなってきた。 義理と本命を比べてもどうしようもないんだけど。 でも、穂刈くんの手に渡った包みを見ると、さっきまでは気にならなかったはずのリボンの歪みだとか包装のしわが気になってしまう。 「……味は、そんじょそこらのチョコに負けないんだよ」 言い訳がましく呟いてしまう。 「え?」 「ううん、なんでもない」 ボクは慌てて手を振ってごまかした。 なんでだろう、今の発言はなんだかすごい卑屈な感じがして、他の人には聞かれたくなかった。 自分でも自分のお菓子作りの腕には自信があるのは確かなのに。 「それじゃ、お返し期待してるからね!」 冗談っぽくそう言うと、穂刈くんもほっとしたようにうなずいた。 今日はバイトは休みだったけど、チョコだけお店に配ってから家に帰った。 誰もいない居間の机の上に二つの包みが置いてある。 メッセージカードには、舞佳さんからのチョコだってことと、ボクとお兄ちゃん用だって書いてある。 さっそく黄色い包みを開けると大きなハート型のチョコが出てきた。 たぶんこれ、舞佳さんの働いてるスーパーにたくさん売ってたやつだ。ボクも見たことある。 ボクは立ったままパッケージを開けて中身にかじりついた。ほろ苦い甘さが口の中に広がる。 絶対こんなチョコよりもボクが作ったものの方がおいしい自信があるけど、やっぱり人からもらえるチョコはうれしい。 いくら味がよくても、心がこもっていなければ意味がない。 ほむらじゃあるまいし、おいしければとかたくさん入ってればとかそういうんじゃないんだ。 今頃穂刈くんはあの子のチョコを食べているのかな。どんな顔して食べているんだろう。 ボクはただひたすらチョコをかじり続けた。 ※この話は2007年以前に書いたものを2016. 11. 6に加筆修正しています。 一年目冬のバレンタイン。 あれだけうろたえてるんだからたぶん本命ですよね。 BACK...TOP |