不可解な感情


本日の戦闘訓練、これにて終了。
いつもの様に壁に寄りかかって肩で息をしているであろう彼女を目で探す。
「大丈夫?」
そしてこれまたいつもの様に冷たい水を手渡す。
「……うん、平気……」
どう見ても平気とは思えないような調子でヒーラーは返事をし、私の差し出した水を受け取って、一気に飲み干す。
「お疲れ様」
「うん、メイカーもね」
少しは人心地がついたのか、にっこり笑ってヒーラーが答えた。
初対面の頃の何を言ってもぶっきらぼうに返事をしていた頃とは大違いだ。
今でもたまに彼女の機嫌の悪い時などはそんな返事が返ってくるが、それでも確実に昔よりは愛想が良くなった。
それはとても微笑ましくて嬉しい事だったが、最近ではそれに焦燥とも苛立ちとも違う 胸の下のあたりをきりきり締め付けるような感覚が伴っている事にも気付き始めていた。
不可解なこの感情。
自分が今、どういう気持ちでいるかなんてわからないなんて経験は初めてで、私を戸惑わせるには充分だった。
「どうかした?」
怪訝そうにヒーラーが尋ねる。
「どうもしないわ」
思ったより言葉はそっけなく響いて、ヒーラーが少し不機嫌な顔になる。
慌てて私は笑顔を浮かべた。
「ちょっと考え事をしていただけよ。ごめんなさい」
たちまちヒーラーが嬉しそうな表情になった。
彼女自身はポーカーフェイスでいようとしているようだけど、 まだまだ板についていないようで、彼女の表情は本当にころころとよく変わる。
その様子を見ていると、もし自分に妹がいたらこんな感じだろうか、という気持ちにさせられる。
年はさほど変わらないけれど、背が低いせいもあってか彼女は本当にわがままで気まぐれだけどかわいい妹のようだった。
「それより、明日買い物に行こうと思うんだけどついてきてくれない?」
私の顔を見上げて、ヒーラーが言った。
「買い物?」
「うん、1人で行ったら道に迷っちゃいそうだから」
「あなたいつもそんな事言ってるわね。道、全然覚えてないの?」
「全然ってわけじゃないけどさ……でもメイカーがいた方が安心だし。ね、お願い」
必死で頼むその様子に思わず笑みがこぼれる。
「まあ、いいわ。でも今度からはちゃんと1人で行くのよ」
「はあい」
こうやって甘やかすから彼女がいつまでも成長しないのはわかっているけれど。


夕食の後、図書室で詩を書いていた。題材は自分自身の不可解な感情。
こうやって文章にする事で見えてくる物があるのではないかと思ったからだ。
私以外に誰もいない静かな空間の中で、ひとつひとつ、丁寧に単語を選び取っていく。
作業に没頭していたせいか、背後のドアが開いたのにも気付かなかったらしい。
「熱心に何やってるの?」
突然の声に、後ろめたい事はしていない筈なのにびくっとしてしまった。
何故だろう。
「ファ、ファイター」
声の主がヒーラーではなかった事にほっとしながら返事をする。
「どうしたの? こんな所で」
基本的に彼女と書物は相性が悪い。じっとしているのが嫌いなのだ。
「格闘術について、調べ物。プリンセスに言われちゃって」
本当に嫌そうにファイターが言う。
「こういうのって実践で学んだ方が早いと思うの。メイカーもそう思うでしょ?」
ぼやきながらもここに来たのは彼女のもっと強くなりたい、という向上心の表れだろう。
本棚から数冊の本を抜き取った彼女は机の上に置いてあった紙切れに目をとめた。
「これ、新しい詩?」
「ええ」
「見てもいい?」
見ず知らずの人間の作品は読む気がしなくても、自分の知り合いのものになら興味がわくらしい。
断る理由もなかったのでもちろん、と頷くとファイターはさっそく読み始めた。
手持ち無沙汰になってしまったのでその間に本を読んでしまう事にして、お行儀悪く机の上に腰掛けているファイターに背を向けた。
本がきちんと並べられていないのが気になったので先に整頓しようと本棚に手を伸ばす。
「ねえ、メイカー」
「なに?」
呼ばれて振り返るといたずらっぽい笑みを浮かべたファイターと目があった。
「あなた、恋でもしているの?」
「恋……?」
「だってこの詩、そんな感じだもの」
そして、もう一度繰り返す。
「誰かに恋でもしているの?」
そのまま考え込んでしまった私に呆れてか、いつの間にかファイターは姿を消してしまっていた。


ファイターがいなくなって、1人取り残されてしまった私は先ほどまで彼女が手にしていた紙切れを手にとる。
自分の気持ちに基づいて書いたその詩は、『恋の詩』と評された今では確かにそのように見えるのだった。
恋でもしているの、と口の中で呟いて紙切れを丁寧に畳んだ。
この紙切れに書かれた思いを恋と呼ぶのならば、きっと私は恋をしている事になるのだろう。
気まぐれでわがままだけど根は素直な彼女に。
それでも、私には彼女に惹かれる理由が見つからなかった。
確かに、かわいいとは思う。外見の事だけではなく、中身も。
でも、それは自分が彼女に惹かれる理由には繋がらない。
仮にそうだとしたら、私は彼女よりかわいい子に出会う度に恋に落ちなければならない事になる。
だがそんな事はありえない。
だったらどうして。

この気持ちに『恋』という名のついた今でさえも、
その感情が不可解なものである事には変わりがなかった。


本棚の本を全て整理し終えて、図書室を出ようとドアを開けたら驚くべき人物が目の前にいた。
「ヒーラー!?」
「やっと出てきた」
唇を尖らせて寄りかかっていた壁から身を離す。
「私に用事だったの?」
彼女はいつからここにいたのだろう。
ファイターが何も言わなかった事から見ると彼女が立ち去った後である事は推測されるが、 知らないうちに立ち去っていたので何分くらい待たせてしまったのかの目安にならない。
それに、ヒーラーを待たせてしまった事には変わりがない。
もし知っていたら本棚の整理なんてする事はなかったのに。私は申し訳ない気分になった。
「ごめんなさい、随分待ったでしょう?」
「別に……中に入って呼べばよかったんだし」
困惑したような表情になってヒーラーが言った。いつもなら不機嫌になっているはずなのに。
私は少なからず動揺した。
「え、ええ、そうよね。呼びに来てくれて構わなかったのに」
「うん。構わなかったよね」
いよいよ困ってしまったらしく視線を彷徨わせるヒーラー。
この話題を続けるより他の話をした方がいいと判断し、私はわざと明るい口調で話し掛けた。
「それよりヒーラー、明日どうしましょうか?」
「明日?」
「あら、買い物は行かなくていいの?」
「い、行くわよ」
どうやらいつものペースに戻せたようだ。内心ほっとしながらヒーラーに話し掛ける。
「ヒーラー、朝ちゃんと起きれる? 何だったら起こしてあげましょうか」
「いらないわよ。……でも、一応起きてるか確認しに来て」
「わかったわ」
心細げに言う様子に、何だか幸せな気分になって微笑んだ。

不可解な感情。理由のわからない、謎の感情。
そんな感情に支配されるのも悪くはないと思った。





メイカーさん→ヒーラーを書こう、と思って頑張りました。

ヒーラー告白話に続く。
(本当に続くとは思わなかった……)


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