たくさんのありがとうをキミに


家にたどり着くなり、僕は荷物を床の上に投げ出してソファに飛び込む。
疲れた。
鞄の中からさっき貰ったばかりの台本が飛び出たのがちらっと見えたが、気のせいだ。
だって疲れてるのだ。そんな些細な事に構ってなんかいられない。
幸い、今は家に誰もいないようだ。
行儀が悪くてもなんでも、ゆっくり休める。
ふかふかのソファの上で、目を閉じるとやがて睡魔がやってくる。
このままここで眠っていたい。
そんな気分をぶち壊しにするような音を立てて誰かが帰ってきた。
誰か、といっても大体見当はつく。あのがさつな足音は星野以外にありえない。
「ただいまー!」
「……おかえり」
あともう何秒かあれば夢の世界に行っていたのに。
恨めしく思いながら起き上がる。
鈍感・がさつな星野と違って周りに人がいると寝られない性質なのだ。
鞄を床の上に置いたまま部屋へ向かおうとする。
「あれ、夜天、これ次のドラマの台本か? ちょっと見せてくれよ」
「あっ」
止める間もなく、星野がぱらぱらと台本をめくりだす。
「へー、クリスマスのスペシャル番組か。夜天はどの役だ?」
「……。病気の男の子役だよ」
それを言った瞬間、星野の口がUの字に近くなったように見えたのは気のせいだろうか。
「そっか、主役じゃねえか。よかったな夜天。頑張れよ」
「ねえ、なにか言いたいんじゃない?」
「いや? 別に」
そう言いながらも星野の顔はどことなくにやついている。
さらに問いただそうとしたその時、玄関が開く音が聞こえた。
落ち着いた足音と共に、やがて買い物袋を抱えた大気が顔を出す。
「ただいま。二人とも帰ってたんですね」
荷物をテーブルの上に置きながら大気も会話に加わる。
「ずいぶん賑やかでしたけど、どうしたんですか?」
「夜天がドラマの主役に抜擢されたんだってさ。クリスマスのスペシャル番組」
「へえ」
かすかに大気の表情が嬉しそうなものへと変化した。
「で、どんな役ですか?」 「不治の病に苦しんでるけど、素直で前向きな性格の少年だってさ」
「……ぷっ」
「なんだよ大気……」
「いえ、いいんじゃないですか? 病弱な少年。私たちの中ではあなたが一番ぴったりでしょう。
星野じゃ健康すぎだし私だと少年というイメージじゃないですから」
そう言ってにこやかに笑う大気の目、僕の頭上20センチほどの所にある。
ますます癪に障るのだ。
「やだよこんな陳腐な脚本! クリスマスの奇跡で生き返る少年?
しかもそれは小さい頃に遊んだ女の子との約束のおかげ? あーやだやだ」
「まあそう言うなって」
「そうですよ、それに主役なんでしょう?」
台詞こそ僕をなだめるものではあるがどう考えても面白がられているようで、ぷいっと横を向いた。
「ほら夜天、そんな顔をするもんじゃありませんよ」
そして大気はついさっき買ってきたらしいミカンの皮をむいて僕の口に入れてくれた。甘い。
でもさ、大気。
キンモク星にいた頃ならともかく、今のこの姿でそれやるのって変じゃないかな。


クリスマスのドラマのタイトルは『たくさんのありがとうをキミに』という。
もし自分以外の人がやるのだったら何とも思わなかっただろうが、
どう考えても僕の柄ではない。
だからといって『恐怖!クリスマスイブの悲劇』とかでも困るけど。
そんなことを考えながら撮影現場であるスタジオでふてくされていたら、
テレビ雑誌の記者だという人たちが現れた。
どうやら僕にインタビューしたいようだ。
スタッフの人達に許可をとり、手際よく手順を進めていく。
そしてスタジオの片隅でインタビューが始められた。
このドラマに対しての感想、僕の過去の病気体験、など色々な事を質問される。
そして僕はそれに対して適当に、かつ真面目に答える。
「じゃあ夜天くん、最後の質問。いい?」
「どうぞ」
どうでもいいが、何故僕や星野に対するインタビュアーは八割方馴れ馴れしいのだろう。
なめられているとしか思えない。
「このドラマのタイトルは『たくさんのありがとうをキミに』という事ですが、
夜天くんが一番『ありがとう』と言いたい相手は誰ですか?」
その質問は、されるだろうという予測はついていたが僕の苦手なタイプの質問で、
できればしてほしくはなかった。
こういう善人っぽい面を見せるようなのはやはり僕の柄ではないのだ。
星野だったら悩むことなく答えるだろう。あいつは人懐こい性格だしそれだけ友人も多いだろう。
大気も、違う意味で悩む事はないだろう。頭の回転の速さは良く知っている。
それじゃあ、僕はどう答えたらいいのだろうか。


「で、どう答えたんですか?」
「……大気と星野って」
「へえ」
バックミラー越しに大気の笑顔。
「それは嬉しいですね」
「大気みたいに嘘言ってるかもよ?」
「私は嘘言って褒めたりなんかしませんよ。社交辞令、です」
……大人は嘘つきだ。
「夜天は嘘は付くかもしれませんが、こういう嘘は付きませんからね。
あなたが嘘をつくのはもっとこう、相手をからかったりとかそういう時でしょう」
そう言われて途端に居心地が悪くなる。
自分の行動や性格を善意でくくられるのは好きじゃないのだ。
「そんな事ないよ」
答えてみても、居心地の悪さは変わりない。
もぞもぞとシートの上で身じろぎする。
「大気だったらどう答えるのさ」
「……まあ、そのインタビューの状況とかにもよりますけどね。
あなたたちの名前を出すこともあるでしょうし、お世話になったスタッフの方々だと
答えることもあるでしょうし……色々ですよ」
「ふうん」
もし星野だと「俺のクラスのおだんご!」とかあっけらかんと答えかねないが、
やっぱり大気は色々計算しているようだ。
「大気がうらやましいよ」
「でもあなたが今から私みたいになっても意味がないですよ。あなたのファンは
あなたのそういうひねくれた率直な所を気に入ってるんですから」
そう言って大気はからかうように笑った。
「ひねくれて率直なのってわけわかんないよ」
「そうですか?」
「そうだよ」
「それはきっとあなたの性格が不思議だからですよ。……ほら、もう着きますよ」
前半のセリフに抗議しようと口を開きかけるが、窓の外に見えてきた自宅に、
慌てて荷物をまとめる。
「じゃあ私は車を閉まってきますから。荷物、散らかさないでくださいよ」
「わかってるよそれくらい」
反抗的に口を尖らすと、大気はくすくすと笑った。
「じゃ、また後で」
僕を家の前に降ろすと、大気は車を発進させた。
重たい荷物を抱えて、家のドアを開ける。本当なら玄関に放置したいが
釘をさされてしまったのでそれもできない。
「……ふう」
大気は僕達の前でなら結構頻繁に笑う。
その笑顔はファンの子達やカメラのレンズに向けるのとは別の種類のものだ……と思いたい。
見知らぬ土地で、見知らぬ人に囲まれる中で、僕といる事が少しでも安らぎになればいい。
……僕はなにを考えているのだろう。
それは自分自身の事だった。


明日は仕事もないので、自分の部屋で夜遅くまでたまっていたビデオを鑑賞する。
手には大気の入れてくれた紅茶の入ったマグカップ。
そして床にはティーポットとお菓子を置いて五時間近くずっと座っていた。
「うーん……」
区切りのいい所まで見終わったので、伸びをして体をほぐす。
そろそろ寝ないといけないような時間だ。
ポットを床に置いたまま寝てしまっても良かったが、邪魔だったし、
そのままずっと部屋に置きっぱなしにしておいて大気に怒られる事がしょっちゅうなので
今日は真面目に片付けようと思う。
紅茶のおかげでそんなに眠たくないせいもあったが。
トレイに空になったポットとカップ、皿を置いて居間へ向かう。<br> 「大気? 星野?」
夜中だというのに居間は明るく、賑やかなテレビの音も聞こえてくる。
テレビの画面では胡散臭いアメリカ人が焦げ付かないフライパンを宣伝しているようだ。
それでも返事はなく、怪訝に思いながらも台所にトレイを置く。
ここまで持ってくればきっと文句は言われないだろう。
そう思って部屋に戻ろうとすると、ソファのあたりに人影が見えた。
「?」
そこには、長い手足をだらりと垂らして大気が眠っていた。
「……」
大気の傍らにそっと膝をついた。よく眠っている。
疲れているのだろうか。……疲れていないわけがない。
仕事をして、勉強も完璧にこなして、僕たちの送り迎えもして、ファージが出たら戦って。
大気に助けられる事は本当にとても多かった。
『たくさんのありがとう』では伝えきれないくらいに。
ちょっと吊り気味の綺麗な目は閉じられていて開く気配を見せない。
「大気、大気」
呼びかけても大気はすやすや無防備に眠っている。
そっと、起こさないように大気の頭に手をやる。ワックスで固められた髪の毛。
「こんなにワックスつけてたら禿げるよー」
そのまま額、瞼、頬、唇に指を滑らす。
「……禿げませんよ」
次は頬でもつまもうと思っていた所へ、大気の声。
「起きちゃった?」
「普通起きます」
そして大気はソファから降りる。
「もうこんな時間ですか。……早く寝ましょう」
ふわりと微笑んで大気は居間を出た。そしてそれを僕は追う。
たくさんの感謝の気持ちを胸に抱えながら。





100題もあるのに無謀な挑戦をしています。
それもこれも大気さんがかわいいからいけないんです……(えー)。


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