096:溺れる魚


 今日のフィッシュアイは機嫌が悪い。
 ホークスアイはそんな彼にからかうように声をかけた。
「それで何杯目ですか? フィッシュアイ」
「知らない」
 そっけなく答えて、フィッシュアイはグラスの中身を一気飲みした。
 やれやれ、とホークスアイは肩をすくめた。
「体壊すんじゃないですか? 仕事に支障が出ますよ」
「でも今仕事に行ってるのはタイガーズアイじゃない」
 それくらいホークスアイだって知っている。
 知らなければ話にならない事だし、その事でフィッシュアイが機嫌を損ねてくだを巻いていると合っては余計だ。
 どう言えば彼が大人しくなるだろうかと考えあぐねていると、フィッシュアイがぽつりと呟いた。
「人間の女なんかのどこがいいんだろうね」
 そう言われて、ホークスアイは写真の中のターゲットの女性を思い出す。
 熟女好みのホークスアイにとっては魅力を感じるような外見ではなかったが、 タイガーズアイにとっては違ったらしく一目見た瞬間から「この子、いいわ!」などと叫んで飛び出していった。
「僕の方がずーっとかわいいのにさ」
「でも、胸もないし余計なものまでついてますよね」
「……ふんだ。それしか違わないじゃない」
 その小さな違いが大きな違いだと言う事をフィッシュアイはよく知っているし、 ホークスアイも彼がそれを知っていて言っている事はわかっていたので口をはさまずにいた。
「僕ちょっと散歩してくる。……あ」
 歩き出したフィッシュアイのその声にホークスアイも振り向く。
「首尾はどうですか?」
 一目で上機嫌とわかる顔で、タイガーズアイが歩いてきた。
「聞きたい?」
「べっつにー」
 突き放すように言って、フィッシュアイは歩き去って行った。
「何なのよあの子」
 少しだけムッとしたようにタイガーズアイがそれを見送る。
「そういうお年頃なんですよ」
「何よそれ?」
 ムッとした表情は、それでもすぐに笑みに変わる。
 タイガーズアイは椅子にどっかりと腰を降ろしてホークスアイに向き直る。
「で、今日の僕がどうだったか、聞きたい?」
 フィッシュアイのタイガーズアイに対する想いは知ってはいるが、それはホークスアイには関係の無い事だった。
 ホークスアイは自分が面白ければそれでいいのだ。
「ええ、どうぞ」
 そしてホークスアイはたっぷり一時間、タイガーズアイの自慢話を聞かされる事になる。


 そして今日もタイガーズアイはうきうきとターゲットの元へ出かけている。
「今日は何やってんのかな」
 二杯目のグラスを開けてポツリとフィッシュアイが呟く。
 そしてそれにあっさりとホークスアイが返す。
「プールで水遊びらしいですよ」
「何で知ってるのさ?」
「色々聞きましたから」
「…………」
 口を開こうとして、それをためらっているのが雰囲気でわかる。
 ホークスアイは人の悪い笑みを浮かべた。
「聞きたいですか?」
「……そりゃあ」
 ホークスアイはわざとらしく空のグラスを手にとって揺らしてみせる。
「ちょっと喉が渇きましたねえ」
「さっきまで飲んでたじゃない」
「これから話すことを考えるともう二、三杯はいりますねえ」
 フィッシュアイは舌打ちすると、叩きつけると言ってもいいくらいの勢いでメニューを渡した。
「おや、いいんですか? これはどうも」
「その代わり、知ってることは全て話してもらうからね」
 ぎりぎりという音が似合いそうな勢いで睨みつけられて肩をすくめた。
「はいはい」
 ホークスアイは一旦酒で口唇を湿してから再び口を開いた。
「今回のターゲットはプールでインストラクターをやっている若い女性で、水の中ではとても優雅な動きを見せるらしいですよ」
「僕の方がずっと優雅に泳げるよ」
「……そりゃそうでしょうけどねえ」
 呆れた顔になったホークスアイには構わず、フィッシュアイは続きを促す。
「で、続きは?」
「彼女はかなりの水泳好きだそうですからね、どうやらそこから攻めるつもりらしいですよ」
「その人とはどれくらい仲いいの?」
「タイガーズアイが嬉しそうな顔でここに戻って来るくらいには」
「……そっか」
 しばらくフィッシュアイは黙り込んでいたので、ホークスアイも無言でいた。
 他人の恋愛沙汰なんて昼間のワイドショー並みの興味しか持てない。
 それでも、グラスの中身はまだ半分にもなっていない。それどころか、 ぬるくならないようにと氷を注ぎ足し続けたせいか先ほどよりも増えている。
 まだそれほど小さくなっていないそれが光を受けて輝いている。
 ホークスアイはその光に鬱陶しそうに目を細めながら考えていた。
 自分の周囲で起きている、真昼のワイドショーの事。
 興味のないはずの事柄。
 グラスの中の氷の山が、カランと音を立てて崩れた。光も一緒に崩れて落ちた。
 そしてそれを合図にフィッシュアイが立ち上がった。
「ホークスアイ。そのプール、どこか教えてくれる?」


「なっ……何しに来たのよ、あんた……」
「見学です」
 悪いですか? と言うとタイガーズアイの代わりに隣にいた女が返事をした。
 髪も束ねて化粧も落としているから少し感じが違うが、今回のターゲットの女性だ。すっきりとしたデザインの青い水着を身につけている。
「いいえ、大歓迎よ。ね?」
 にっこり笑ってそう言われては反抗するわけにもいかないらしく、タイガーズアイはしぶしぶと頷いた。
「で、今日はあんただけなの?」
 こっそりとタイガーズアイが訊いてくる。
「いえ、フィッシュアイもそのうち来ますよ」
 今は着替え中です、と同じようにこっそりと言って女子更衣室と繋がっているドアを指さす。
「何でよ」
 タイガーズアイはばつの悪そうな表情をして露骨に眉をひそめた。
「僕達は『ここの水泳教室に通うかどうか迷っているので試しに見学しにきた微笑ましい兄妹』なんです。いけませんか?」
「……邪魔するのだけはやめてよね」
 突っ込む気力も無くしたのかタイガーズアイは力なくそれだけ言うと、ターゲットの女性を追いかけてプールに入って行った。
 ホークスアイは泳ぐ気はなかったのでプールサイドに立ったまま二人の泳ぎを観察する。
 初心者のタイガーズアイはともかく、ターゲットの女性はさすが水泳が趣味なだけあってかなかなかいい動きなのではないだろうか。
「あれが『人魚みたいな優雅な泳ぎ』?」
 それでも、フィッシュアイにしてみれば不満なようだ。
「着替え終わったんですか、フィッシュアイ」
 声に振り返ると、ターゲットの女性とよく似たデザインの水着が目に付いた。
 色以外の違う点はホークスアイには見つけられない。
「その水着……」
「なに?」
 無言でプールの方を指差してやる。しばらく怪訝そうな顔で眺めていたが、はっと思い至ったらしく女子更衣室に戻ろうとする。
「今すぐ違う水着に着替えてくる!」
「その必要は無いですよ」
 ちらほらとプールから上がる人間が目立ち始めていた。時刻は午後五時。
 受付で貰ったパンフレットの内容を思い出す。
「そろそろ終わるみたいですから」


「どうして僕たちがこそこそしなきゃいけないわけ?」
「タイガーズアイの仕事ですから」
 草むらの中に、人影二つ。
 その視線の先には、熱っぽく女を口説く男と口説かれる女。
 プールからの帰り道の公園にはちょうど良く人は殆どいなく、夕焼け空もムード満点。タイガーズアイにとっては絶好のチャンスだと言えよう。
「ひ、一目会った時からずっと気になっていました」
 あれ、とホークスアイはタイガーズアイの表情をまじまじと眺める。
 目が何だか本気のように見えるのは気のせいだろうか。
「それで、その……」
 頬を赤く染めるタイガーズアイ。これが演技だったら今すぐ俳優に転職するべきだろう。
「もう、じれったいわねえ!」
 ホークスアイが止める間もなくフィッシュアイは二人の前に踊り出ていった。
「何か……用ですか?」
 普段の姿に戻ったフィッシュアイを見て怯えたように女性が二、三歩後ずさる。
「ワン・ツー・スリー!」
 いともたやすく、夢の鏡が出現する。タイガーズアイが時間をかけていたのがバカらしく見えるほどに。
「夢の鏡、見せてもらうわよ」
 宣言して、気絶してしまった女性の夢の鏡に上半身を滑り込ませる。
「……なーんだ、ペガサスいないんじゃない」
 ペガサスの宿主ではない美しい夢の持ち主はどうなるのか。
「フィッシュアイ!」
 タイガーズアイの絶叫に答えるように、フィッシュアイの持つ短剣が光を反射した、その瞬間。
「お待ちなさい!」
 果たしてこのタイミングは良いのか悪いのか。
 とにかく、セーラー戦士の登場のせいでフィッシュアイは短剣を懐へしまう羽目になり、それにタイガーズアイの 強ばっていた顔が緩んだのは間違いない事実だ。
「せっかくいい所だったのに! おいで、僕のレムレス!」
 セーラー戦士相手に本気で戦う気は無いらしく、フィッシュアイはレムレスを召還してすぐに逃げ去った。タイガーズアイ、
ホークスアイもそれに続く。
 逃げる直前、彼女を押さえつけていた板が消えて、支えを失った彼女が崩れ落ちるのが視界の端に見えた。


「だから邪魔しないでって言ったじゃない! もう、あんたたちのせいよ!」
 ここぞとばかりに責任転嫁するタイガーズアイ。
 夢の鏡を覗いたのが誰であろうといつであろうと彼女の鏡の中に ペガサスはいなかったろうし、セーラー戦士だって現れたはずなのだ。
 ちなみに、『邪魔をするな』と言った時にはフィッシュアイは その場にはいなかったのだがそんな事は都合よく忘れ去っているらしい。
 羨ましい性格だ、とホークスアイはしみじみ思った。
「仕事だって事、完璧に忘れてたくせによく言うよ。僕が出てかなかったら一生あのまま口説き続けるつもりだったくせに!」
 鋭い。さすが。
 外野なのでホークスアイは口をはさむつもりは無かったが、この発言には拍手したくなった。
「そっ、そんな事ないわよ! 失礼しちゃうわね、まったく!」
 勢いよく立ち上がって足音も荒く立ち去ってゆくのは やはり図星だったからだろう。あまりのわかりやすい行動にため息も出なかった。
「バカと言うかなんと言うか……」
 代わりに笑いがこみ上げてくる。
 そして、しかめっつらのままでいるフィッシュアイの方を向いた。
 その横顔は、先ほどのターゲットの女性にどことなく似ている。
 いや、顔立ちだけではない。声も、泳ぎ方も、服装のセンスさえも良く似ていた。
 だからこそフィッシュアイもいつもの仕事にこんなに機嫌を損ねたのだろう。
 そして、もう一つ。
 フィッシュアイにも希望の光が差し込んで来た、と言う事。
 あの無数の写真の中からフィッシュアイ似の女性を選び出して その女性に対してのめりこみかけていたタイガーズアイ。
本当にのめりこみたかった相手は、彼女じゃない他の、身近にいる相手なのではないだろうか。
 2人の間には、男とか女とか、「ちょっとした違い」しかないのだから。
 ……まあ、僕だってダンディなおじさまよりも美しいおばさまの方がいいんですけどね。
 そんな事を考えながらじろじろ観察していたせいか、フィッシュアイが軽く睨んできた。
「……何か用?」
「いいえ」
 笑って誤魔化すが、まだフィッシュアイは不審そうに眺めていた。


 恋という名の海の中で溺れてもがく二匹の魚。
 口出しするのはホークスアイの趣味ではない。
 彼らにはしばらく溺れていてもらう事になりそうだ。





フィッシュが攻めでごめんなさい。
タイガーズとの絡みが少なくてごめんなさい。


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