091:サイレン


 最近、伊集院の視線を感じる。気がする。
 というのは、俺が視線を感じてそちらの方を向く頃にはもう視線をそらされているからだ。
 それでも、彼が俺の事を見ているのは間違いないらしく、勉強などがうまく行かなかった週などはわざわざ
「無駄な努力を……」
 なんて事を言いに来る。
 一体伊集院は何がしたいんだ?


「でも、伊集院くんって私たちには凄く優しいのよ」
 下校する途中、常日頃からの疑問をぶつけたらそんな事を詩織が言った。詩織としてはフォローのつもりで言ってるのだろうが、全然フォローになってない。
「それは知ってるけどさ」
 どうして伊集院は俺にばかり突っかかってくるのだろう。好雄でも他のやつらでもいいはずなのに、最近は俺にばかり嫌味を言ってくる。
「でも、伊集院くんが構ってくれなくなったら寂しいんじゃない?」
 からかうような声で言って、詩織が俺の顔を覗き込む。こういう仕草をされると、本当にこの幼馴染はアイドル顔負けの美少女なのだと実感する。
「変な事言うなよ」
 眼を逸らして答えた。
「でも毎週電話してるらしいじゃない」
「毎週ってわけじゃない」
 自分でもほぼそれに近いくらいの頻度で電話してる事には気付いていたけれど、あまり認めたくはなくてささやかな抵抗を試みる。
「そうよね、そういえば先週は私と久しぶりに植物園に行ったもんね」
「そうそう。……」
 久しぶりに、の部分が妙に強調されたように感じた。ため息をつく。
「それにしても、もう三年になっちまったんだよな」
 居心地の悪さをごまかしたくて話題を変える。桜の花は入学した頃と同じように咲いているが、全然違って見える気がする。
「そうね。ね、進路どうするかもう決めた?」
「いや、まだ」
 就職よりは進学だと思うが、具体的にどうするかはまだ決めていなかった。
 高校に進学した時のように、無条件に詩織が進む進路と一緒にする気にはならなかった。
 入学した当初はあんなに憧れていた詩織の存在が単なる友達としてのものに変わっていくのと同じように、気に障ってしょうがなかった伊集院の存在も今では違う意味で気になる存在になりつつあった。
 放っておけないのだ、何故だか。
「伊集院くんは進路どうするんだったかしら」
 もちろん俺はその答えを知っている。帝王学を学びに、アメリカへ留学してしまうのだ。


 次の日も伊集院からの視線を感じる。
「なんか用かよ」
「僕が君みたいな庶民に用があるとでも思うのかね?」
 言うと思ったよ。
「まぁ、ないならいいけどさ。用があるんだったらちゃんと言えよな」
「あるわけないだろう」
「…………」
 いつもと同じように不毛な会話を繰り返しながら時が過ぎていく。


 昼休みの後は体育の授業だ。少し肌寒かったが雨は降りそうにないのでサッカーをやるらしい。
 昼食の直後に激しい運動はやりたくはないのだが、紅白戦が始まるとそんな事を忘れて熱中してしまうのが常だった。
「お前って、最近体育サボってばっかだよな」
 暑くなって来たので、ジャージの上を脱いでグラウンドの片隅に座ってる伊集院の横に置く。
「気のせいではないのかね?」
「んなわけあるか」
 一度気になりだすとずっと気になるもので、最近どころかずっと前からチェックしてたのだが伊集院は3年になってから一度も体育の授業に参加していない。
 体育祭の時も、競技には参加していなかったはずだ。
「お前って体弱いの?」
「ま、君よりは繊細な体の作りをしているはずだがね」
「はいはい。伊集院家のお坊ちゃまは金のベッドじゃないと寝られないんだろ?」
 俺がそう言うと、伊集院は薄く笑みを浮かべた。
 金のベッドだとかプラチナの机だというのは、電話をするたびに伊集院のする自慢話の中身だ。
 まともに聞いた事は一度だってないが、何回も自慢したそうにしているものだから覚えてしまった。
「それより、戻らなくていいのかね?」
 伊集院に言われて振り返ると、体育教師が「早く戻って来い」と叫んでいる。
「じゃあな、伊集院」
 集合しているクラスメイトの方へ走っていく途中で振り返ると、1人で座っている伊集院が寂しげに見えた。
 もっとも、それを指摘したって「君は何を言っているのだね?」と馬鹿にされるだけなのだが。
 でも、やっぱり本当は寂しいんじゃないのだろうか。誰も仲間のいない遠い海の向こうへ留学するというのは。
「なにぼーっとしてんだよ」
 後ろから背中を叩かれたので振り返ると、好雄がつまらなそうにして立っていた。
「伊集院の方ばっかり気にしやがって。悪い噂が流れたってフォローしてやんないからな」
 それは困る。
「悪い」
 好雄にしたって本気で非難しているわけではないだろうから軽く謝る。
「でもな、本気で気持ち悪いときあるぞ。お前の伊集院に対する構い方」
「そうか?」
「そうだろ。俺に伊集院の情報聞いてきたときはこいつ正気かと思ったぜ」
「正気か、はないだろ」
「だって、伊集院に電話ばっかりしてて結局詩織ちゃんとはなんの進展もないんだろ」
「別にそういうわけじゃねーけど」
 結果的に言えばそうなるのかもしれないが、伊集院に電話していて進展するきっかけを失ったというと語弊がある。なんとなく伊集院の事が気になって、ちょっかいかけているうちに詩織の事を友達として見れるようになったのだ。
 しかしそれを言うと限りなく誤解を招くだけなので口にしない。好雄もサッカーに集中しだしたようだ。
 そうこうしているうちに授業時間も終わり、後は帰るだけだ。着替えるのも面倒だからこのまま帰ろうと思いつつ更衣室へ向かう。
「上着、どうしたの?」
 女子の方は先に体育が終わっていたようだ。着替え終わった詩織が目ざとく俺に声をかける。
「あ」
 取りに戻らなければならない事に気付いて顔をしかめた俺に後ろから声がかかった。
「おい、庶民」
 伊集院が無愛想な面して俺のジャージを差し出してくる。
「わざわざ持ってきてくれたのか? サンキュ」
「放っておくわけにもいかないだろう」
 そっけなく答えて伊集院は早足で校舎の中に戻っていった。


 放課後も俺は教室に残っていた。進路調査の紙を提出し忘れていたのだ。
「何をしているのだね、庶民?」
 なぜか残っている伊集院が話し掛けてくる。
「進路調査のプリントだよ」
「まだ書いていなかったのかね?」
「お前はもう決まってるんだもんな。いいよな」
「他人を羨む事しかできないとは、庶民とは悲しいものだな」
 そしてこれまたなぜか俺の前の席にこちらを向いて座る。伊集院に見つめられる格好となり、非常に書きづらい。それに伊集院は部活もないのだし残る理由もないだろうに。
「伊集院、帰れよ」
「別に僕がいたって邪魔にはなるまい」
 淡々とした口ぶりが憎たらしい。
 そう思って顔を上げたら、口調とは裏腹に伊集院がすねたような表情だったので少し戸惑った。
「……帰る」
「待てよ」
 視線に気付いた伊集院が戸口の方へ歩き出したのを、手首を掴んで慌てて引き戻した。
「っ!」
 慌てて引っ張ったものだから、伊集院がバランスを崩して近くにあった机にぶつかりながら倒れこんできた。軽い。
 どうにか支えることができたので転びはしなかったが、腰をかなり強くぶつけたようで、痛そうに顔をしかめている。
「わ、悪い」
 その表情があまりに痛そうで、無意識の内に自分がぶつけた時にするのと同じように伊集院の腰に手を当てていた。と同時に、腰の細さに驚く。
「な、なにを……!」
 声を裏返らせて叫んだ伊集院の表情は、完全に女の子のもので、俺はどぎまぎする。確かに伊集院はどちらかといえば女性的な雰囲気をした美形ではあるけれど、今までそんな事思った事もなかった。腰の細さとあいまって、男装している女の子を目の前にしている気分になる。
 でも、目の前にいるのは伊集院だ。なのに俺は平静ではいられない。
「…………」
「…………」
 心臓の音がやけに響く中、見た事のない表情の伊集院が俺の顔を見返してくる。眼を逸らしたら負けだとでもいうように、お互い見詰め合っていた。
 切り込むような鋭い目つきに、グラウンドで、教室で、いつも感じるあの視線を思い出した。
「伊集院、俺の事好きだろう?」
 心に浮かんだままに疑問を口にすると、冷たい声が返ってきた。
「馬鹿な事を言うな。逆だろう?」
 ため息をついて、目を閉じて。普段に近い調子で伊集院が続ける。
「僕みたいな高貴な人間が君みたいな庶民を好きになるとでも思うかね?」
 すらすらと、いつもの調子で。先ほどの調子とは裏腹に、伊集院はあまりにも冷静だった。こちらを見ない事だけを除いては。
「……なるほどね」
 胸は相変わらず早鐘のように、警報機のように鳴っている。妙な空気は改善される事のないまま、俺たちは教室を後にした。


 そんな事があったからといって、俺と伊集院の関係は特に変わったわけではない。
 伊集院は事あるごとに嫌味を言いにやってきて、俺は日曜日ごとに電話をかけるだけ。
 この関係はやはり、高校卒業と共に終わってしまうのだろうか。ずっと続けたいと思っては、いけないのだろうか。
 今日も俺は受話器を取る。そのたびに心のどこかで警報機が鳴る。


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禁断の愛に踏み込む時の気分ってどんなもんだろう……。


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