マニキュア 数ヶ月前に届いたファンクラブの会報によると、 今度新しく出る化粧品ブランドのイメージキャラクターとして 大気さんが起用されたそうだ。 会報に載っていたその写真は、 大気さんの中性的な顔立ちのせいもあってやっぱりとても美しく、 美奈子ちゃんなんてもう、とても大はしゃぎしちゃってて、 発売日になったら全部買う!なんて息巻いていた。 ……そして今日が、その問題の発売日なのだ。 「じゃあ、みんな、また明日ね」 「うん、バイバーイ! さあみんな、買い物に行くわよー!」 予備校があったので今日は美奈子ちゃんたちとは別行動だ。 それでも、私も近くのドラッグストアに寄ってみた。 喉が渇いた、というのが理由だったけれど 私の足は自然と飲み物コーナーより先に化粧品コーナーへと向かっていた。 目立つようにポスターが貼ってあって、 そしてその近くで女子高生たちがきゃあきゃあ言いながら集まっているので すぐに商品の置いてある場所がわかった。 さすがはスリーライツ人気というところだろうか。 しかし、商品の置いてある棚の前に人が群がっているので 正直言って見れない。 どのみち、私は化粧品なんて普段使わないので わざわざ入る必要はなくて、ただ単に大気さんへの興味というだけでここにいるのだ。 「…………」 それを自覚した瞬間、どうしようもなく恥ずかしくて頬が熱くなって、 私は慌ててその場を立ち去った。 そろそろ予備校の授業が始まる時間だ。 予備校の授業が無事に終了し、一歩外に出て私は深呼吸した。 次のバスが来るまでまだ時間がある。 さっき飲み物を買いそびれたことだし、と思って 再びドラッグストアに入った。 閉店間際の時間帯のせいか、店の中はすいている。 よく冷えた缶コーヒーを手に取り、ついでに化粧品コーナーへと向かった。 さきほどの女子高生とかが買いあさっていったのか時間帯のせいなのか、 商品は殆どなくなっていた。 それでも少しは商品が残っていたのでそれを眺める。 ファンデーション。口紅。アイシャドウ。 その中でひときわ目を引いたのは、マニキュアだった。 深い深い青色のマニキュア。 まるで海の底のようだ。 瓶の形も綺麗で、これだったら部屋に飾るだけでも、と思って ふらふらとレジへ持っていってしまった。 「…………」 どうしよう。 鏡の前においてあるマニキュアの瓶がとても気になる。 でもあんな派手な色、とてもじゃないけど手の爪なんかには塗れない。 でも、塗りたい。 うつむいた私の目に足の指が映った。 白い靴下の上に、運動靴。 透視能力でもなければ私の爪の色のことなんて誰も気づかないだろう。 お昼休みも過ぎて五時間目に突入する頃には、私自身すっかり忘れてしまって 体育のソフトボールなんかを楽しんでいたのだ。 「! きゃっ」 ぐき、と足首に嫌な感触があって痛みが走った。 「水野さん、大丈夫?」 体育の先生が心配そうに駆け寄ってくる。 「ええ、大丈夫です」 「保健室へ行ってきたほうがいいんじゃない?」 「はい、でももう授業も終わりだし……先に着替えてきていいですか?」 先生の許可をもらった私は急いで更衣室へと向かった。 靴下が汚れてしまったので、履き替えないといけない。 転んだおかげで1人で着替えることができる。 ペディキュアくらい、している子はいくらでもいるし そんなのをいちいち見てる人なんていないのはわかっているけれど、 どうしても恥ずかしくて見られるのが嫌だった。 結局、あの後、痛む足を引きずったまま帰りのHRもやってしまい、 放課後までほうっておく羽目になってしまった。 足首はまだずきずき痛む。 「失礼します」 保健室に入るが、誰もいない。いや。 「……大気さん」 「おや、水野さん。どうしました?」 「私は、体育の時に足首ひねっちゃって」 「そうですか。私はちょっと紙で指を切ってしまって。 ……痛そうですね、座っていてください」 「え?」 「あいにく保険の先生は席をはずしていましてね。私が手当てしますよ」 にこっと笑みを浮かべ、救急箱を持ってきて、私の傍まで来る。 「どうぞ。椅子です」 勧められた椅子に座った私の足元に大気さんがかがみこむ。 大気さんをこんな角度で見ることなんてめったにない。 つややかに輝く髪の毛。手が伸びそうになる。 「脱いでくれますか?」 「えっ!?」 唐突な発言に絶句する。 「靴下。……でないと、湿布が貼れません」 苦笑交じりにそう言われてためらう。 今、私の足の爪を青く染めているのは大気さんが宣伝しているものだ。 そんなものを、私がこっそり足の爪に塗っているというのは なんだか不自然じゃないだろうか。 これが美奈子ちゃんとかならとても自然なのだけど。 「どうしました?」 「いっ、いえ、なんでも、ないです……」 そうして、左足の靴下を脱ぎ、おずおずと大気さんの前に差し出した。 「痛そうですね」 顔をしかめてそう言うと、大気さんは手際よく手当てをしてくれた。 たったそれだけの行為でも 大気さんが私に触れているという事実に胸が苦しくなる。 それに、あの青いマニキュア。 少し見ただけでメーカーや何やらすべてわかるとは思ってないけど、 ばれてしまいそうだ。 「……はい、できましたよ」 「ありがとうございます」 靴下を履こうとする私の足を、大気さんがそっと押さえた。 「綺麗な色ですね」 そして、大気さんの長い指が私の爪にかすかに触れた。 「そういう色、水野さんによく似合いますよ」 「…………!」 私が息を呑んだのがわかったのかどうかわからないけれど、 大気さんは立ち上がった。 「すみません。これから仕事があるんです。……歩けますよね?」 「はっ、はい!」 本当は、足がふわふわして今歩き出したら一歩目で転んでしまいそうだった。 「では、お先に失礼します」 「……はい」 ガラガラと音を立てて引き戸が閉まるのを眺めた。 そして深く息を吐く。 大気さんが好きだ。 好きで好きで、どうしようもない。 昔ですけど、男の人が化粧品の宣伝してませんでしたっけ? 今は見かけませんが……。 BACK...TOP |