075:ひとでなしの恋 恋というものは両想いになってからの方がやっかいなんじゃないだろうか。 そんな事をふと思う。 廊下の少し先にヒーラーの後ろ姿が見える。 歩くのに合わせて長い後ろ髪が揺れている。 それをぼうっと眺めているうちに、 彼女の襟に糸くずがついている事に気がついた。 黒いセーラーカラーに白い糸くず。 あまりに目立つそれを放っておくわけにもいかないので、 追い越しざまに糸くずを取ってやる。 「ヒーラー。糸がついてたわよ」 「あ、ありがとう」 こうやって嬉しそうにされるのは実は少し気が重くなる。 今のように、私がヒーラーに話し掛けたり、優しくしたりという行動全てが 「ヒーラーの事を好き」という事実と結びついているように 人の目には映るのだろうか。 ヒーラーの目にもそう映るのだろうか。 ……そう思うと、恥ずかしくて仕方がない。 自然に好意を示すような言動を避けてしまう。 好きなのに好きと言えない自分は人でなしだろうか。 「……それで、両思いだって言うのにそれらしい事なんにもしてないの?」 ファイターが変な顔をした。 自分が人でなしなのはわかっているので、そう責めないでもらいたい。 自室の、一番気に入っている椅子に腰掛けたまま無言で紅茶を啜った。 「あーあ、ヒーラーもかわいそうに」 言いながらも、その目は完全に笑っている。 下手に反応すると、彼女のおもちゃにされるだろう。 無視を決め込んでいると、ファイターが不満そうに呟いた。 「つまんないわねー」 本当につまらないなら立ち去ればいいのに、 ファイターは座ったまま私を眺めている。 そもそも彼女は何をしに私の部屋に来たのだろうか。 大方、何もやる事がなかったので暇つぶしに来たのだろうけれど。 「大体、どういう時に『好き』なんて言うのよ?」 「言葉で言うんじゃなくってさ、態度とかで示すのよ」 「態度……」 想像してみて、ちょっとげんなりした。 「私には無理かもしれないわ……」 「どうしてよ」 だって、恥ずかしいじゃない。 なんて答えたら目の前の彼女は お腹を抱えて大笑いする事は容易に想像できた。 だから「どうしても」とだけ答えて立ち上がった。 「どこか行くの?」 「ええ……ちょっと書庫に」 「そう」 じゃああたしもお暇するわ、とファイターも立ち上がった。 「あ、ファイター」 部屋を出て行こうとする彼女を呼び止める。 「なに?」 「何か用事があったんじゃないの?」 一時間近くも私の部屋でだらだらしていた彼女が 何か用があって来たとは思えないが一応訊いておくべきだろう。 しかし、彼女の返答は至極あっさりしたものであった。 「ん? 特にないけど」 やはり単なる暇つぶしだったようだ。 書庫には先客がいた。 ある意味では今一番会いたくない人物。 思わず複雑な顔をしてしまったのを 誰が責められようか……ヒーラーには責められるだろう。 入室した瞬間、しっかりと目が合ってしまったのでこのまま帰る事も叶わず 覚悟を決めてヒーラーのいる机まで近付く。 何かの本を読んでいるようだった。 「勉強しに来たの?」 人は殆どいなかったが、だからと言って大声で話していい事にはならない。 囁き声で返した。 「いいえ。なにか本を借りようかと思って」 「へえー」 とりあえず会話が一段落したので、私は書棚に向かった。 どんなものを読むかは決めていなかったので 本の背表紙をじっくりと眺める。 背中に突き刺さる視線はしばらく気付かないでおく事にした。 そして面白そうな本を選び出してヒーラーの真向かいに座る。 途端に落ち着かなさそうになる彼女はちょっとかわいい。 でもそんな事、死んだって言えない。 だって以前とは意味合いが変わって来ている。 言葉を発する方も、受け取る方も。 私のヒーラーに対する感想も純粋な友情からではなく 恋愛感情という物が混じったものであるし、 それを受けるヒーラーの感情の動きだって 友情しか持ち得なかったときとは明らかに違うだろう。 考えれば考えるほど、恥ずかしくて死にそうだ。 耐えられる人の方が逆におかしいのだったらよかったのに。 そうやって考え事をしながらヒーラーを眺めているうちに 本を読み終えてしまったのか、はたまた視線に耐えられなくなったのか ヒーラーが立ち上がった。 「あ、ねえ」 衝動的に呼び止めてしまい、後悔した。 「?」 でもすでにヒーラーは振り返ってしまっていてなかった事にはできない。 当り障りのないことを言ってやりすごそうか、それとも。 「……ヒーラー、ちょっとお腹すいてないかしら? 今から何か食べにいこうと思うんだけど、」 出来る事から始めよう、なんて使い古されたセリフだけれど。 「一緒に行かない?」 そしてその一時間後、二人仲良く昼食を取る姿をファイターに目撃され、 からかわれてしまったのはまた別の話。 個人的には一緒に昼食取るくらいどうって事ないじゃないかと思う(笑)。 でもメイカーさんもヒーラーもからかわれるの嫌いっぽいし。 そして嫌えば嫌うほどからかうファイター(笑)。 ループ状態。 BACK...TOP |