056:踏切 11月にもなると、ずいぶんと日が落ちるのが遅くなるものだ。 被服室に鍵をかけて、廊下に出てみるともう真っ暗だ。 非常灯や外からの明かりで歩けないほどではないが、人気のない廊下はなんだか嫌な雰囲気だ。 自然と足早になる。 階段のあたりまで来ると、もう走るのとほぼ同じくらいの速さになっていた。 ばたばたと足音を立てて階段を駆け下りる。 「そこの君! 廊下はゆっくり歩きたまえ!」 「きゃあっ!?」 いきなり声がかかるとは思わなかったので私は驚いて階段から足を踏み外し、 踊り場に尻餅をついてしまった。 「…………」 踊り場まであと2,3段という所でよかった。 そうでなかったらもっと痛い目にあっていたはずだ。 座り込んだままほっと息を吐く私へ、さらに声がかかる。 「大丈夫か?」 「氷室先生!」 少し恨めしい思いで見上げると、氷室先生が立っていた。 外の明かりを背にしているため、逆光になっていて少し怖い。 「廊下を走るからそういう事になるのだ。立てるな?」 ゆっくり立ち上がりながら口を尖らす。 「だって暗いから怖いんですよ。……そりゃ氷室先生は平気でしょうけど」 この前の夏、どういうわけか氷室先生に遊園地に誘われた時の事を思い出す。 氷室先生が遊園地というのも意外だったが、 わざわざお化け屋敷へ行って私の精神修行をしてくれるというのもかなり意外だった。 ホラー好きというのは映画にも行ったので知っていたけども。 「それはそうだ。教師が暗いのが怖いなどと言って走り回っては示しがつかないだろう」 「でも私はかよわい女生徒なんです! いいじゃないですか廊下で怖がったって」 「かよわい、かどうかは少々疑問が残るが……少し待てるか?」 「?」 「家まで送ろう。理由は何であれ、私のせいで転んだことには変わりがないしな。 職員玄関で待っていたまえ。すぐに行く」 「あ、じゃあこれ、被服室の鍵なんですけど戻しておいてくれますか?」 「わかった」 生徒用玄関から靴を持ってきて職員玄関で履き替える。 普段職員玄関なんて使わないのでなんだか新鮮だ。 「待ったか?」 「いえ」 なんだかデートの会話みたい。思わず笑みがこぼれた。 すたすた歩く氷室先生の後について、車の助手席に乗り込む。 「それでは発進する」 いちいち律儀に言ってくれる所が好きだ。車がゆっくり動き出す。 「そういえば、君はたしか手芸部だったな。文化祭の作品作りをしていたのか?」 「はい」 「他の生徒たちはどうした」 「先に帰りました。私は部長だからいろいろやる事があって……」 本当は、作品の仕上げに手間取っていたというのもある。 今年のテーマは結婚式で、 去年パーティドレスを作っていたからウエディングドレスくらい楽勝だと思っていたのだが これが中々うまくいかないものだった。 去年のドレスと似たようなデザインは顧問の先生によって却下されてしまうし、 私は部長だという事もあってすごい作品を作らなければならない、みたいな期待を感じる。 それを思うとどうしてもこんな遅い時間までかかってしまうのだ。 ステージ上での動きも練習しないといけないし。 「今年は何を作る予定だ?」 「秘密です。当日に見てびっくりして欲しいので。……見に来てくれますよね?」 「当然だ」 やがて車が踏切のあたりに差し掛かる。 遮断機が下りているので、必然的にしばらく待つことになる。 この踏切を過ぎればやがて家についてしまう。 「ひ、氷室先生は」 せっかくの時間を有効活用しようと思ったら焦って口が回らなくなってしまった。 「なんだ」 「吹奏楽部のほうはどうですか?」 「順調だ」 一言で終わってしまった。 それだけじゃもったいないので再び口を開く。 「何も苦労とかはないんですか?」 「1年生はまだ楽器の扱いに慣れていないものが多いので 2、3年生の生徒たちは指導に苦労している」 「氷室先生は指導しないんですか?」 「人に教える事によって自分も上達する、という事がある。 ……別に私が顧問としての仕事を放棄している、というわけではない」 「はあ」 「君も、私が顧問としての仕事を放棄していると思うか?」 ずっと前を向きっぱなしだった氷室先生の目がこっちを見た。 「え? なんでですか?」 「この前藤井にそのような事を言われたのだ」 「はあ……」 なっちんなら言うだろうなあ、と思って私は一人頷く。 「で、君はどうだ」 電車のライトが当たって、氷室先生のメガネがきらりと光る。怖い。 「わ、私は別に思わないですけど」 「そうか」 満足そうに言って、氷室先生の目が前を向く。 ああ、もっとこっちを見てくれてたらよかったのに。運転中だからしかたがないけど。 「君の作業は順調に進んでいるのか?」 「え、ええ、まあ……」 「そうか。よろしい。氷室学級のエースの名に恥じないような作品を作りたまえ」 「頑張ります」 電車が通り終えて、やがて遮断機があがる。 「それでは発進する」 もうちょっと踏切の降りている時間が長いといいのに。 翌日も、同じように作業が遅くまでかかる。 明日が本番という事もあってみんなも余裕がなくなるのか、 今日は昨日より遅くまで廊下にちらほらと人影があったがやっぱり今日も私が最後のようだった。 本当は、少し期待していたのかもしれない。 昨日と同じように被服室に鍵をかけて職員室へ行ってみたけど、 氷室先生の机は空っぽだった。 がっかりしながら生徒用玄関へ向かう。 靴を履き替えて外に出ると、長身の人影。 「遅い!」 「ご、ごめんなさい!」 つい、反射的に謝ってしまう。 でも誰かと帰る約束はしてなかったし……とよく見ると、それは氷室先生だった。 「氷室先生、どうしたんですか?」 「君を待っていた」 「えぇ!?」 びっくり。 そうなったらいいなーみたいな妄想はしていたけど、 本当に氷室先生が私を待っててくれるなんて思わなかった。 「こんな遅い時間に生徒を一人で帰らせるわけにはいかないだろう。 ……なにしろ、かよわい女生徒なのだからな」 そして氷室先生は少しにやりと笑った。 「ひどい……」 恨めしげにつぶやく私をほっといて氷室先生はさっさと歩き出す。 「待ってくださいよー」 氷室先生はよっぽどの事がない限り道を変えないので、やっぱり踏切で止まる事になる。 遮断機が上がればお別れなのが、やっぱり寂しい。 だから、勇気を出してみることにした。 「氷室先生、臨海公園に寄れませんか?」 「今からか?」 「む、無理ならいいんですけど……」 おずおずと付け足す。 「無理ではない。しかし遅すぎないか?」 「ですよね……」 「…………」 諦めよう。そう思ってしかたなくシートに座りなおした。 遮断機が上がって、車が動き出す。 直進。直進。直進。……あれ? 「氷室先生。通り過ぎちゃったん……ですけど」 「よろしい」 「なにがですか」 理由がなににせよ「よろしい」という返答はなんだか変だと思う。 「臨海公園に行くのだろう?」 「えっ……。行ってくれるんですか?」 「君は放っておくと一人で行きそうだからな。私がついていったほうが安全だろう?」 「あ、ありがとうございます!」 「ただし、あまり遅くならないように」 「はい!」 嬉しくなって、つい声が大きくなる。 「落ち着きなさい」 そういう氷室先生の横顔も、どことなく嬉しそうだ。臨海公園、好きなのかな。 臨海公園の歩道に立って、ぐっと伸びをした。 ずっと手作業をしていると肩が凝るものだ。 「少し肌寒いな。タワーへ行くか?」 「いえ、ここでいいです」 「そうか」 夜の公園というのはそれだけでなんだかロマンチックな雰囲気だ。 こういう所に似合うような綺麗なドレスが作りたい。 ビーズとか予定よりもう少し多くしたほうがよかったかなあ、 きらきら輝く感じにしたかった。 そんな事を考えてしばらくうっとりしていたら、氷室先生の存在を忘れていたようだ。 「……コホン」 「あっ」 咳払いをされて我に返る。 「ずっと立っていても仕方がない。少し歩くぞ」 「はい」 海面に街灯やタワーの明かりが映っているのが綺麗だ。 月も少し欠けているが綺麗な形をしていると思う。 観覧車がゆっくり回っているのも風情がある。 そうやってきょろきょろしてたら氷室先生に苦笑された。 「君は少し落ち着きが足りないな」 責められたにしては氷室先生の表情が穏やかで、どう反応すればいいのか少し迷う。 「まあ、年齢を考えれば当然かもしれないな。むしろ微笑ましい部類に入る」 びっくりして氷室先生の顔をまじまじと見つめた。 「なんだ」 「いえ……かなり意外でしたので……」 さっきからずっと驚いてばかりだ。そして私に都合が良すぎる。 夢じゃないだろうか。 「そうか?」 「ええ、とても」 正直に答えたけれど、やっぱり氷室先生の顔は穏やかなままだ。 「……昼に貰ったレポートのことを考えていた」 唐突に話し出す氷室先生。 確かに、今日は先生の誕生日で、喜んでもらうには物より私の勉強の成果だろうと思ったので 頑張って論文を書いたのだ。 「私はあれを見て君のことを見直した。もちろん今までだって評価はしていた。 しかし、あれほどの物が書けるとは思っていなかった」 頑張って書いたので、褒められるのは嬉しい。 氷室先生からだと特に。 「君は今日の私の行動に驚きを感じているかもしれないが、 あれだけの頑張りを見せた君に少しくらいの褒美は必要だろう」 「じゃあ微笑ましいって言うのも単なるご褒美ですか?」 「そうではない! あ、いや……。そろそろ風も強くなってきた。帰るぞ」 強引に話を打ち切って氷室先生は歩き出した。 車の中は冷え切っていたが、暖房をつけたのでやがて暖かくなるだろう。 「今日はどうもありがとうございました」 「ずいぶん遅くなってしまったな」 「すみません……」 「責めているわけではない。ご両親が心配しているのではないか? という事が言いたいのだ」 さすが先生なのだなあ。と思う。 「多分大丈夫だと思います、けど。氷室先生に送ってもらったって言えば安心すると思いますし」 「そうか」 しばらく静かに車が進む。 臨海公園にまで付き合ってもらったのにもっともっとと惜しむ自分がいる。 ずいぶん贅沢だと自分自身で思う。 「明日が本番だな」 「はい」 「くれぐれも失敗しないように」 「私のことを見直した割に、やっぱり心配なんですね」 苦笑して言うと、氷室先生は困った顔をした。 変な事を言っただろうかと悩んでいるうちに家に着く。 「どうもありがとうございました」 車から降りた私と運転席の氷室先生の視線が絡み合う。 「あの……?」 「いや、なんでもない。それでは失礼する」 氷室先生の車が踏切も通り過ぎて見えなくなるまで私はずっと見送っていた。 もっと一緒にいられる時間が長ければいいのに。 無駄に長くてびっくりです。 ゲーム中の詳細な日時はうろ覚えなので間違ってるかもしれないです。すみません。 BACK...TOP |