036:きょうだい

授業の終わりを告げるベルが鳴ると、お昼休みの時間だ。
お弁当の包みを持って窓の近くへ行く。
「笙子さん、こちら空いてるわよ」
勧められた椅子に座ると、ちょうど中庭がよく見える位置だ。
見下ろすと、紅薔薇のつぼみと瞳子さん。
そして、そこから少し離れた植え込みの影に、蔦子さんが隠れている。
きっと二人からは見えないんだろうけど、ここからでは丸見えだ。
なんだか面白くて、笑いがこぼれた。
「どうしたの、笙子さん」
不思議そうにクラスメイトが私の顔を覗き込む。
見てばかりで全然口を動かしていなかった私とは対照的に、 彼女のお弁当はすでに半分なくなっていた。
「なにか面白いものでもあった?」
「うーん」
蔦子さまへの憧れを知らないこの人にどう説明すればいいのかわからなくて、 曖昧に笑ってごまかす。
「あ、祐巳さまに瞳子さんを見てたの。……あら、蔦子さまもいたのね」
立ち上がって窓の外を覗いたクラスメイトが意外な人名を口にした。
「え?」
植え込みの影にいたのによくも気づいたものだ、と思って再び見下ろすと、 植え込みから出てきたらしい蔦子さまも会話に加わっているようだった。
「いいなー、私も薔薇さま方と仲良くなりたい」
「そんな」
「ね、笙子さん、今すぐ中庭に行って蔦子さまに写真撮ってもらわない?  そしたらちょっとは祐巳さまとも会話できるかもしれないし」
一年生ながらバレー部で活躍している彼女は蔦子さまに撮られなれているらしく、 そう言いながら既に立ち上がっている。
「ううん。ご飯まだ残ってるし、蔦子さまに悪いだろうし……」
「そうかなあ?」
「うん、でも私は普段撮られないからそう思うだけだし。私に遠慮しないで行ってきたら?」
そう言うと、彼女は少し申し訳なさそうな顔をしたけれどすぐに教室を飛び出していった。
きっともう五分もすれば彼女の姿が見えるだろう。
中庭には、まだ三人がいる。もうしばらくそこにいてくれないだろうか。
彼女のためにも、私のためにも。


私の休み時間ごとに中庭を見下ろす癖は高等部に入学してからだ。
私はまだ中学生だった去年のバレンタインデー。
姉の制服を着て高校生のふりをしてイベントに参加した時、 蔦子さまに出会い、数分だけ言葉を交わした。
そしてその時から私の蔦子さまへ対する憧れが始まった。
しかし、入学してすぐに写真部にでも入ればよかったのだが、できなかった。
バレンタインの時に中学生だった事がばれるのも嫌だったし、 写真が苦手だという私が写真部に入るのも不自然だという気がしたからだ。
それでも蔦子さまは撮る方にかける情熱があるが、私は違う。
そう思うとどうしても踏ん切りがつかなかった。
他の部活にも特に興味が持てるものはなかったため、いまだに帰宅部でいるが、 何かに入っていればまだよかったかもしれない。
特に何かに熱中することもなく、蔦子さまの目にも止まることなく一月が過ぎた頃、 私は蔦子さまの姉妹を作らない理由を耳にした。
もし姉妹を作ったら今まで通りに写真を撮るのに支障があるから、だそうだ。
その理由はとても蔦子さまらしい気がした。
そのせいだろうか。
私ができるだけできるだけ蔦子さまに会わない道を選んでいるのは。
会わない分、憧れだけが無限に膨らんでいく。
たったあれだけしか言葉を交わしていないのが不思議なほどに。
蔦子さまの妹になりたい。
でも、ただ一度しか言葉を交わした事のない私では不十分だ。
蔦子さまにだったら写真を撮ってもらってもいいと思った。
そういう気持ちになれるのは、蔦子さまだけだった。
しかし、私の立場からではなく相手の立場から見た場合、 私は蔦子さまの趣味を邪魔するのに値するほどの存在だろうか?
答えはNoだ。
だからといって蔦子さまの妹になるのを諦めることなんてできない。
辛くて、顔をあわせるなんてとてもできない。
ただ、教室の窓から中庭を見下ろすのが精一杯だった。


「見て見て!」
数日後、クラスメイトが一枚の紙を私に見せてくれた。
「これってもしかして……」
「そう、この前蔦子さまに撮ってもらったやつ」
そこには、目の前の彼女と祐巳さまのツーショットが写っていた。
「ふふふ、頑張って行ってみてよかったー。笙子さんも行けばよかったのに」
「いいなあ」
ぽろりとそんな言葉が飛び出した。
「やっぱり笙子さんも山百合会の方々と写真撮りたいよね?
さすがに祥子さまはよっぽどの理由がないと無理だろうけど」
今日はいないのかなー、なんて楽しそうに中庭を覗くクラスメイト。
その横顔はきらきら輝いて見えた。


次の日も、また次の日も、教室の窓から中庭を眺めた。
たくさんの少女たちが蔦子さまの被写体となっていく。
羨ましかった。


帰り道の途中、ゲームセンターが目に付いた。
私と同い年くらいの女の子たちがプリクラの機械に群がっている。
言わずと知れた、自分の写真を撮ってシールとしてプリントしてくれる機械だ。
みんな、写真に撮られるのが嬉しいのだ。
だからこういう、手軽に写真を撮ってくれる機械に群がるのだろう。
「…………」
私も撮ってみようか。
ふらふらとひきよせられるようにして列に並んだ。
前後の友達連れの女の子のひそひそ話が辛いけど、
写真にどうしても撮られたかったのだ。
ほどなくして順番が回ってくる。
はやる気持ちでお金を入れてフレームを選んで。
ポーズや表情なんて作る余裕はなかったけど、それでも満足だった。
印刷されたプリクラを持ってゲームセンターから一歩出る。
カシャリ、シャッター音が聞こえた。
「!」
びっくりして振り向くと、そこには笑顔を浮かべた蔦子さま。
「ど、どうして」
「シャッターチャンスを逃すのが嫌だから、
授業中やお風呂以外はできるだけ持ってるようにしてるのよ」
そう言って、カメラを掲げる。
「ごきげんよう、笙子さん。なんだかとてもいいシーンだったので
つい撮りたくなってしまいましたの」
そう言われると黙るしかない。
「でもどうしたの? 写真が苦手だって言っていたあなたが」
「蔦子さま……」
「あら、蔦子さま、なんだ。蔦子さんじゃなくて」
「すみません」
「別に私はどっちだっていいのよ」
蔦子さまはからかうように笑った。
「お久しぶりね、笙子さん」
「はい」
「あなたが入学してきたのも知ってたんだけどね。
なかなか話しかけるチャンスがなくて。写真なら一杯撮ってあるんだけど」
ほら、と茶封筒を渡される。ずっしりと重い。
「こんなに……」
驚いた。知らない間によくこれだけ撮れたものだと思う。
「完全なる隠し撮りだから、嫌なら言って。ちゃんと処分するから」
「いえ」
ぎゅっと茶封筒を握り締めた。
「嬉しいです、ありがとうございます」
「そっか。良かった」
蔦子さまはほっと息を吐いた。
「少しだけ心配してたから。写真撮られるの嫌だって言ってたあなたが、
いくらああ言ったからって本当に喜んでくれるのかって」
「そんな」
「不安になりすぎて、何枚も撮っちゃった。ふふ」
そう言ってぺろりと舌を出した。
やっぱりこの人は写真を撮っているのが一番自然な姿なのだ。
「蔦子さま、お時間ありますか? この写真、一緒に見たいんです。
付き合ってくれませんか?」
「ええ、もちろん。どこ行こうか?」
蔦子さまが歩き出したので私も後に続いた。
妹になりたいという気持ちは変わっていない。絆が欲しい。
それでも、どうしても妹になれないのなら限りなくそれに近い存在になりたい。
「蔦子さま、マクドナルドなんていかがですか?」
声をかけて、私はそっと蔦子さまの手を引っ張った。





今手元にバラエティギフトが見当たらないので
原作と矛盾があったらすみません。
そもそもリリアンには寄り道をするはしたない生徒なんて
存在していようはずもないんでしたっけ?
……気にしないでください。

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