034:手を繋ぐ 「高校生二枚」 彼が植物園の入場券を買うのを横目で眺めながら手をさする。 気温が低いのはわかっていたのに手袋を忘れてしまったから、私の手はかなりかじかんでいた。 こんなに冷える冬の日、寒いのは大嫌いなのに、わざわざ出てきたのはただ顔見知りに誘われて、それが嫌いではない場所だったというだけだ。 そう、それだけだ。 彼女だって私と彼の仲がぎすぎすしているのは辛く思うはずだ。 そう言い聞かせているのに時折胸が苦しくなるのは、自分が嘘をついているのを知っているからだ。 だって、先日だって私は彼と彼女が逢引の約束をしている日に彼を誘ってしまって、むざむざと彼女を辛い目にあわせてしまったのだ。 あれは完全に目の前で入場券を買っている彼が悪いと思うのだけど、彼女は自分も悪かったのだと言って何度も私と彼に謝罪してきた。 彼女の想いを踏みにじらないために、本来ならば彼と会うのは控えようと思っていたのに。 知らず知らずのうちに上着越しに胸を抑えていると彼が戻ってきた。彼の分と私の分、2枚の券を持って。 「どうかした?」 それには答えず、鞄の中から財布を出す。 「いくらだった?」 「今日は俺が誘ったんだからいいよ」 そうは言われてもあまり借りは作りたくない。 帰りに私が喫茶店に誘って2人分の代金を払えば相殺だろうか。 反射的に浮かんだ考えを慌てて打ち消す。 だめだ。植物園で過ごすのはたまたま自分が行きたかったからと弁解できても、喫茶店だなんてどうやっても申し開きができない。 でも、彼女からしたら植物園に行くのも喫茶店によるのも大差ないのではないだろうか。 私は今すぐにでも彼と別れて帰るべきではないのだろうか。 今だったらまだ間に合う。 急用を思い出した、とか実は家族が熱を出していて看病しないといけない、とか帰っても不自然ではない言い訳を急いで考える。 「入らないの?」 なのにこうやって能天気な笑顔を向けられると、途端に頭が働かなくなってしまう。 きっと何も考えてないような彼の顔を見ているとあれこれ考えているのが馬鹿みたいに感じてしまうせいだろう。 だからしかたなく彼の後をついて、温室に足を踏み入れた。 温室の中は外の寒さが嘘のように温かくて、植わっている熱帯の植物のせいもあってかほんの一瞬だけだけど冬の日本にいる気がしなくなった。 「冬なのにあったかいね」 彼は暑くなってきたのか既に外套を脱いでしまっている。 私もつられて襟巻を外しながら、努めて冷たく響くように答えた。 「温室なんだから当たり前じゃない」 「そうだね。……マフラー持とうか?」 「えりまき、よ」 いちいち外来語を訂正する私の事を彼はどう感じているのだろう。 それでも苦笑しながらこちらに手を差し伸べてくるのを断る気になれなくて、私は素直に襟巻を渡した。 やはりこの人は能天気だ、と思う。 初対面の時から私は愛想よく接したことなんてないのに、同じ部活のよしみなのかなぜか定期的に遊びに誘ってくるし、こうやって親切にしようとする。 きっとそういう性分なのだろう。 公平で、誰にでも親切にするような。 「……光とは、ここには良く来るの?」 私の襟巻を持ってのんきに歩き回る姿を見ていたら、ついとげとげしい気持ちになって彼女の名前を口に出してしまっていた。 せっかく2人で来ているのに無言で植物を眺めながら過ごすのもどうなのかとは思うのだけど、それで話題にするのが光の事では元も子もない。 でも、光の名に気まずさを感じるのは私だけのようで彼は顔色を変えずに答えた。 「あまり。温水プールとかならよく行くかなあ」 温水プールなんて、私が彼と出かける時には殆ど立ち寄らないような場所だ。 そんなところに好んで行っている彼の姿なんて私は知らなかった。 そして、きっと光も植物園や秋の山などに来る彼の姿なんて想像もしていないだろう。 彼は本当はどちらが好きなのだろう? どちらに合わせてくれているのだろう? そんな事を考えてしまう自分が醜く感じて、情けなかった。 視線を落として植物の葉を指でなぞる。 瑞々しい感触が、物も言わずに植わっているだけの自分も生きているのだと懸命に訴えてくるようだと思った。 「お客さん、植物に触らないでくださいよ」 むろん本気の注意ではなく、からかうような調子だった。 だから私も余裕を持って言い返すことができた。 「何言ってるの。ちょっとくらい触ったからって枯れるわけでもないでしょ」 「まあ、そうだね。それに今は誰もいないし」 言われて見回すと確かにその通りだった。元からそう混雑する場所でもなかったけれど、さすがに私たち以外誰もいないのは初めてだった。 今日は朝から雪がちらついていて、天気予報では真冬日だと言っていたからそのせいかもしれない。 私だって彼の誘いがなかったら一日中家にいたはずだ。 「だから落ち着けるのよ。あなたには退屈かもしれないけど?」 先ほどまで考えていた事もあって、予想以上に皮肉めいた声になってしまった。 皮肉っぽいのもひねくれているのも元からの性格だったけれど、彼に対する私の態度はそれとはまた違う意味合いだった。 最初は、光と彼がうまくいくように、彼を突き放すため。そして今は……。 「退屈だと思ってたら誘わないよ」 けろっとした声だった。 どんなに突き放すようなことを言っても、この人は傷ついた表情を見せない。 そしていつも通り何も考えてないような顔をして、性懲りもなく私に話しかけてくるのだ。 「そうね」 私は顔を上げて彼の目を見据えた。 とぼけた表情からは、無理をして私に付き合っているというような不満の色は読み取れない。 「あなたが私と植物園に来たいと思って、私を誘ったんだものね?」 「? それ以外に何があるの?」 目の前にいるこの人の、全くわけがわからないという顔が妙におかしい。 この顔を見ていると、いちいち悩んでいる自分が馬鹿らしく感じてしまう。 彼には悪いけれど、皮肉を言ってこうやって受け止めてもらえるたびにどうしようもなくほっとしてしまう。 そして、どうしようもないほどに想いがふくらんでいく。 「そうよねえ」 出会ったばかりの頃は、彼の鈍感さがどうしようもなく腹立たしかったけれど、今は逆にそれがありがたかった。 その鈍感さに好きなだけ甘える事が出来るから。 でもそれも、長くてもこの高校生活が終わるまでの事だろうけれど。 高校を卒業するころまでには光も正式に彼と付き合うことができるように行動するはずだ。 そうしたら私と彼の友達づきあいと言い張っているものも終わりだ。 「それじゃ、そろそろ次に行こうか」 「ええ」 彼が次の部屋に向かって歩く後ろを私がついて行く。 タイルを踏む音が静まり返った温室の中に響く。 親友の好きな人と結ばれたいだなんて、そんな大それたことを願っているわけではない。 ただ、せめて手を繋ぐくらいなら……許されるのかしら。 私たち以外は誰も、光も見ていない植物園で。 そうっと、私は彼の指に手を伸ばした。 2だと水無月さんか華澄さんが好きです。 どっちも光という障壁が立ちはだかる恋ですが……。 水無月さんといえば植物園ってイメージがあったんですが、よく考えると2年目以降はあまりいい印象を与えられないので別のデート場所を舞台にしたほうがよかったかもw 2003/12/06 2017/1/12 加筆修正 BACK...TOP |