021:はさみ 仕事が終わるまで暇だったので、図書室で時間をつぶしていたのが間違いだった。 いや、教室に忘れ物をして、それを取りに行こうなんて思ったのが間違いだったのか。 教室にさえ行かなければ、机に突っ伏して熟睡している月野さんの姿など見る事はなかったのに。 今まで、月野さん自身は嫌いじゃないと思い始めていたが彼女の正体がセーラームーンである事を知って以来、私の気持ちは複雑だった。 忘れ物を鞄に収めてから、眠る彼女の前の席に座る。 夕陽に染まる彼女の寝顔は実に気持ち良さそうだ。 彼女の机と隣の机はくっつけられていて、その隣の机には色紙とはさみが置いてあった。 そろそろ文化祭の時期だそうだから、おそらくそれの準備だろう。 私には関係のない事だが。 手を伸ばして鋭くとがったはさみを手にする。 例えば、このはさみで彼女の体を傷つけたりこの長い髪の毛を切り落としたり、 そういう事は容易にできるが、彼女はそんな事は100%起こらないと信じているのだろう。 この世界は善意の上に成り立っていると信じているからこんな安らかな顔をして眠っていられるのだろう。 夜天も、星野でさえも、寝顔にすら緊張感が漂っているというのに。 八つ当たりめいた苛立ちを紛らわせるように左の手で彼女の長い髪をすくい、はさみを動かす。 金属の音が冷たく響く。しかし勿論切るふりだけだ。 私の手の中から髪の毛がさらさらと零れ落ちていく。 「……あれぇ? 大気さん」 反射的にはさみを制服のポケットにしまいこんだ。こんな所、気付かれてしまうと面倒だった。 運良く、月野さんはそんな事には気付かずに、起き抜けの眠たそうな瞳をふにゃりと細めた。 「どうしたの?」 「いえ。別に」 無表情でごまかした。 「これからお仕事?」 「ええ」 「どこで?」 「そんなの、あなたには関係ないでしょう」 冷たく響くように言ったのだが、月野さんは怯まなかった。 「そっかなー。どうせだから一緒に帰らない? って思ったんだけど」 人の良い笑顔に人の良い台詞。 彼女だって、それなりに辛い戦いは経験しているはずだろうにどうしてだろう。 それとも、地球とはそれほどまでに平和な星だったのだろうか。 ……彼女個人の性格だろう。それもかなり特異な。 「で、大気さん。どう?」 出来れば断りたい。 しかし、非常に運の悪い事に私の仕事場も月野さんの家も同じ方向。 回り道をすると仕事に間に合うかも危うかった。 「……わかりました」 「やった! じゃあ、行きましょ」 外に出てみると、夕焼けがとても綺麗だった。 出切る事なら1人で堪能したかった。 私は彼女の事を恨めしく思ったが、彼女がそんな事に気付くはずがない。 「ねえ大気さん、今日のお仕事ってどんな内容?」 「……雑誌のインタビューです」 「じゃあ星野とか夜天くんも一緒?」 「いえ」 どうして彼女はこんなに人懐こくこちらに笑いかけてくるのだろうか。 戦いに関して、考え方が180度違うのは彼女だってわかっているはずだ。 できればもう係わり合いになりたくない、なんて思考は彼女の心の中にはかけらほどもないのだろうか。 「インタビューってどんな事聞かれるの?」 「普段の生活に関する事です」 「例えば?」 どこからどう見ても裏表のなさそうな笑顔だ。 「ご飯のおかずはどういう物が好きか、とか」 「大気さんはなんて答えたの?」 「私は、……。月野さん。もうあなたの家通り過ぎてません?」 確か以前彼女の家にお邪魔した時は、もっと前の道で曲がったような気がする。 「あ! ほんとだ」 月野さんが照れくさそうな顔になって走り出そうとする。 「じゃあね、大気さん。また明日!」 「転ばないでくださいよ」 その足取りがあまりにも落ち着きがないものだったから、ついそんな台詞が口をついて出た。 それが彼女の琴線に触れたのか何なのか、 月野さんは走ってる最中だというのに満面の笑顔で勢いよく振り向き、見事に転んだ。 「…………」 だから忠告したのに。 呆れた表情を隠さずに見送った後、ポケットに彼女のはさみが入ったままだった事に気がついたが 彼女を呼び止めるほどでもないだろうと判断し、そのまま入れておいた。 翌日も、彼女は教室でぐっすり眠っている。無防備極まりない。 しかしその方が好都合だ。 私は彼女の突っ伏している机に近づいてはさみを返そうと思った。 「おはよう、大気さん」 できるだけ音を立てないように行動したのだが、月野さんは身を起こして私に挨拶した。 「……起こしましたか?」 「ううん。大気さんが来るの待ってたの」 悪魔だ。反射的にそう思ってしまった。 「今日も一緒に帰りましょ」 「今日は本屋に寄ろうかと思うので……」 口走った一瞬後に自分の言動を後悔した。 「あ、あたしも行きたい!」 ほら来た。 「一緒に行ってもいいでしょ? 大気さん」 なぜか最近は彼女に逆らえなくなってきている。しかたなく月野さんを連れて歩く事にした。 「大気さんは何買うの?」 「詩集です」 「そっかあ」 にこやかな笑顔。善良そうな瞳。 もし彼女の大事な人間がもうこの世にいないと仮定して、 それを知ってしまったときでさえこの瞳が輝きを失う事はないのだろうと思えた。 そしてその瞳の前では、普段の私は影を潜める。 彼女を見ていると守りたくなる。 その事自体を否定するつもりはなかったが、例えばプリンセスを探すために人を傷つけたり、あるいは殺さなければならない事態が起きるとする。 今まではそんな時でも迷わず行動すると決めていた。 その決意が、彼女の瞳の前では揺らぎそうな自分がいる。 彼女の表情を曇らせたくないがために、プリンセスを探す事より 一般人の命を優先してしまいそうな自分がいる。そんな自分は認めたくなかった。 「じゃあ大気さん、あたし漫画売り場に行ってるね!」 月野さんは私の葛藤など何も知らず、まるで旧知の友人相手であるかのように笑っていた。 今日も彼女は眠っている。軽く揺すってみるが起きない。夕陽に染まる月野さんの寝顔。 いつものような笑顔ではなくただ気持ち良さそうに寝ているだけ、と言った風なので私は安心して鞄から彼女のはさみを取り出した。 「……私はあなたの味方なんかにはなりません」 唱えるように呟いてから、彼女の髪の毛を一つまみ分くらい掬い取ってはさみで切った。 / ----------------------- + * + ----------------------- /
うさぎ寝すぎ。 (妙に語呂いいな) |