010:トランキライザー 『ヒーラー、手、震えてるわよ』 その言葉と共に差し出された一粒の飴玉。 『この飴を舐めると緊張しなくなるのよ。ほら、口あけて』 言われるままに口を開けると、口の中に飴玉を放り込まれた。 『これで絶対大丈夫よ』 飴玉が口の中で少しずつ小さくなっていくうちに、 緊張も同じように小さくなっていった。 これはきっと魔法の飴なんだと思った。 「手、震えてるわよ」 昔、同じような言葉をいわれた記憶がある。 あたしは振り返ってまじまじとあたしの部屋の入り口付近に立っているメイカーを見つめた。 「入るわね」 一言断ってメイカーはあたしの部屋のドアを閉めた。 あたしはベッドの上に座ったまま、 ぼんやりとメイカーが窓際のソファに近付くのを眺めていた。 「座ってもいい?」 「うん」 「ありがとう」 そう言ってメイカーは腰を降ろした。 窓際に置いてあって日当たりのいいそのソファは 半ばメイカーの指定席のようになっていた。 というか、邪魔だから部屋の隅に置いておいたのに それをメイカーがわざわざ引っ張り出して窓際に移動させたのだった。 座りたいなら机に備え付けてある椅子でもいいと思うのに。 「ヒーラー。地球行くの、やっぱり怖いと思う?」 「……うん」 椅子の事を考えていたおかげでせっかく忘れていたのに、 メイカーのせいで思い出してしまった。 憂鬱な気持ちになってため息をついた。 二週間ほど前のギャラクシアの襲来のせいで、火球皇女が 行方不明になってしまった。 そしてその火球皇女を探すために他の星を回る事になったのが 十日前。その最初の行き先が地球に決まったのが三日前。 めまぐるしい変化とプリンセスのいなくなったショックが相まって、 あたしは出発前から倒れそうだった。 それは他の二人も程度の差こそあれ似たようなものだと思っていたが、 違うのだろうか。 「メイカーは怖くないの?」 余裕ぶったメイカーの横顔からは緊張や怯え、などというものが 微塵も感じられなかった。それどころか、口元に笑みさえ浮かべている。 探究心の旺盛なメイカーなら地球に行くのも全く怖くなく、 むしろ楽しみにしているのかもしれない。 だから、メイカーが「いいえ」と首を横に振ったのには 少しだけ驚いてしまった。 「もちろん怖いわよ。……でも、怖がっていれば 地球に行かないで済むわけじゃないのに怖がっても無駄だもの」 そういうものだろうか。 しかし、仮にあたしが同じように考えたとしても それで完全に緊張しなくなるのは到底無理そうだった。 手のひらを見つめた。 人の視線が怖いならその人を野菜だと思え、とはよく言うが こういう時にはどういう風に思えばいいのだろうか。 得体の知れない星に行くのが怖い。 そういう時には。 「ヒーラー」 顔をあげたら、メイカーが真正面に立って 紫色の目を細めて優しく笑っていた。 それだけでも少しは緊張をほぐすのに役立つようだった。 「ほら、口あけて」 そして口の中に放り込まれる濃いピンク色の飴玉。 「その飴を舐めると緊張しなくなるのよ」 六年前に、全く同じ台詞を言われた。 式典に出ないとならないのに 緊張して使い物にならなかった時に言われた台詞だ。 何のだったかはもう覚えていないけれど、その会話だけは あれから六年経った今でさえもちゃんと覚えている。 メイカーも同じだったようで、 飴を味わうあたしの姿を見て顔をほころばせた。 「……なんて、もうこんな手には引っかからないでしょうけれど。 あなたも私もあれから随分成長したし」 口の中で転がる、魔法の飴玉。 「でもきっと大丈夫だと思うわ」 ゆっくりと息を吐いた。 メイカーの言葉通り、六年前と同じように魔法が効いていく。 あたしたちはこの六年間で色々成長したけれど、 成長していない所もあるようだった。 口の中で広がる果物の甘い味がとても心地よかった。 トランキライザー。精神安定剤。 ……というよりもプラシーボ。 BACK...TOP |