009:かみなり


 あたしは雷が嫌いだ。
 小さい頃、嵐の夜にものすごい音の雷が一晩中鳴っていたことがあった。
 子供のころの思い出だし、大げさに記憶しているだけなのかもしれないけど、あの時は家に落ちてみんな死んじゃうんだと本気で怯えてた。それ以来雷はどうも苦手だ。
 雷様におへそを取られちゃうって大人に教えられたのも、子供だったから本気で怖かった。
 さすがに今では雷様の存在なんて信じていないけど、それでも雷の音を聞くと反射的に体がすくむ。
 自然にはどうしても抗えない。
 そんな気分になる。


 その日は、もうすぐ夏休みも終わりで、ただでさえ気分も落ち込みがちだというのに、どんよりした空が広がっていた。
 あたしはいつものように姉さんの代わりにデートに行く所だった。
 こないだ買ったばかりのスカートにお気に入りのイヤリングをして、お化粧だってばっちりして、待ち合わせ場所の駅前広場で彼が来るのを待っていた。
 姉さんの代わりならもっとおとなしい格好の方がいいんだけど、自分のかわいいと思う格好を彼にも気に入ってもらいたかったから。
 そんな感じで、今朝は身だしなみに時間を取られて天気予報なんて見てなかった。傘なんて持っていない。
 せっかくおしゃれしてきたのに雨に濡れたら最悪だ。
 空を睨みながら待っていたら、向こうから彼がやってくるのに気付いた。
 あぶない。こんな険しい顔は姉さんはしない。
「ごめん、白雪さん。待った?」
 あたしはすばやく表情を作り、おしとやかに答える。姉さんのように。
「いいえ。全然待ってないですよ」
 きっと、こうやって答えるような子が彼の好みなんだろうな。
『待ったに決まってるじゃん! 超サイアクー』とか言うような子は駄目だろう。
 そうじゃなきゃ姉さんをしょっちゅう遊びに誘ったりはしない。
 本当はその9割は実はあたしが来てるんだけど。
 だって、彼が誘うのって、姉さんの嫌いな場所ばかりだから。……っていうのは嘘じゃないけど、100%本当の理由でもない。
 最近は一週間の半分くらいはひびきの高校に通っているのはそれだけじゃ言い訳ができない。
 あたしが彼の事を好きになってしまったから、そんな生活になってしまった。
 真帆なのに美帆として過ごす、ちぐはぐな生活。
「じゃあ行こうか」
「はい」
 今日の行き先はゲームセンターだった。
 彼はしょっちゅう姉さんの事誘ったりして、気がありそうな素振りを見せるくせに、本当に姉さんのこと理解してんの? って言いたい。
 たしかに、代わりにあたしが行って、かわりにゲーセンだとかボウリング場だとか、本来姉さんが嫌いなスポットでも喜んでみせている。
 でも、姉さんのことが好きなら学校でだって話してるはずでしょ? なのに、なんで姉さんの好みがわからないんだろう。
 そのおかげであたしがデートに行く口実ができたのは感謝してるけど。
「あ! 私、あのゲームがやりたい! ……です」
 彼の手を引っ張って太鼓のゲームの前に陣取る。
 このゲームは新作で、雑誌でも紹介されてて絶対にやってみたいと思っていた。
 だけど彼の前で本気でプレイするわけにはいかない。
 ちょっと興醒めだけど、ほら、こういうのって入ってすぐにやったっていう友達との話題作りも大事だから。
 浮き立つ気持ちを抑えて、彼に微笑む。
「一緒にやりましょう?」
 おとなしく、おとなしく、おしとやかに。
 彼と一緒にいる時にいつも唱える呪文だ。


 ゲームセンターの中はうるさくて、窓もゲームの機械で隠れていたせいで気付かなかったけど、外に出てみると心配してた通りにものすごい勢いで雨が降っていた。
「白雪さん、傘持ってる?」
 鞄の中から折りたたみの傘を取り出しながら彼が尋ねてくる。
「すみません、持ってないんです……」
 しおらしくいうと、彼は紺色の傘を差し出してきた。
「コンビニでも探して、それまで一緒に入ろうか」
「はい」
 彼が傘を持ってきててくれてよかった。相合傘でしばらく歩く。
 折り畳みの傘なんてそう大きいものじゃないから、お互い少し濡れちゃうけど、自然に肩を寄せ合って歩くいい口実だ。
 でも、繁華街だからきっとコンビニくらいすぐ見つかっちゃうんだろうな。
 だってほら、もうすぐそこにある。
 なんて残念に思っていたら、浮かれたあたしを戒めるように、急に空が光った。
「…………!」
 心臓が、もの凄い勢いで鳴り出す。
 知らず知らずのうちに、ショルダーバッグの紐をぎゅっと握り締める。
「大丈夫、白雪さん?」
 心配そうに顔を覗き込まれた。
 きっと今のあたしはひどい顔をしてるんだろう。
「いえ……」
 音の速度は光の速度より遅いんだっけ。あの特徴的な音が聞こえてきて、またあたしは震えた。
「かみなりが……」
 握る手に更に力がこもる。
 心配そうな顔は変わらないまま、でも不思議そうに彼は言った。
「白雪さん、雷苦手だっけ?」
「!」
 大粒の雨が、足元ではじけてふくらはぎを濡らした。
「えっと……それは……」
 言葉がうまく出てこないままあたしは立ち尽くしていた。
 姉さんだったらこんなときどんな顔してればいいんだっけ。
 そして再び光る空。
「……っ、ご、ごめんなさい!」
 反射的にあたしは傘を出て走り出す。まずい。どうしよう。
 雨に打たれているうちに、どんどん頭が冷えていく。
 そうだ。姉さんは雷が好きだった。
 あのぴかっと光る瞬間がすごく神秘的だなんていうし、あの嫌な音には『雷の妖精さん、今日も元気ですね』とかのんきなことを言ってのける人間だった。
 だんだん家が近づいてくる。走って息が切れているのも気にならなかった。
 あたしは転がり込むようにして玄関に入った。
「真帆ちゃん? どうしたの?」
 姉さんは窓のそばに座って、いつものように雷の光る瞬間を熱心に眺めていたみたいだ。
 この玄関の横の窓が邪魔な建物が少なくて一番見やすいんだそうだ。
 でも、ずぶ濡れのあたしの姿にはさすがにびっくりしたみたいで、外を見るのをやめてこっちに近づいてくる。
「お風呂入る……」
 事情を聞きたそうにしている姉さんの横をすり抜けて、洗面所に向かった。
 雨で濡れた顔は、お化粧が落ちかけていてだいぶ悲惨で、あまりのひどさに涙が出てきた。
 いや、本当は走っている時から泣いていたような気がする。
 バスタブにお湯をためている間に、母さんのメイク落としコットンで乱暴に顔をぬぐった。
 もちろん普段はもっと丁寧にやるんだけど、今日はもうどうでもよかった。
 お化粧はすぐに落ちたけど、涙は止まらない。
 お風呂であったまってる間に少し落ち着いたと思ったけど、浴室を出たところに綺麗にたたまれたパジャマとバスタオルが置いてあったのを見て、また泣いた。
 姉さんは、あんなんだけど、ちゃんと優しい姉さんだ。だから彼だって惹かれたんだろう。
 なのにあたしは無理やり割り込んで、真帆なのに美帆として生活している。
 そんな不自然なことをやってるからばちが当たったんだ。
 やっぱり、自然にはどうしても抗えないのだ。


 それからすぐに二学期が始まったけど、当然、あたしはひびきの高校になんか行けなかった。
 毎朝毎朝、きらめき高校のセーラー服を着て登校する。
「あれっ。数学の先生って変わった?」
「やだ、真帆何言ってんの?」
 あたしは夏休み前は本当に全然きらめき高校に来ていなかったんだと痛感する。
「ホントだね。変なのー、あたし」
 けらけら笑いながらも、心のどこかがむなしい。
 そんな二学期も、あっという間に過ぎ去って、2月になった。
 あたしは一応受験する予定だったから、放課後は友達と一緒に図書室に来て、参考書を開く。
 友達はすらすら、とはいかないにしてもちゃんと手を動かしてるのに、あたしは全く進まない。
 ちょっと気を抜くと、あの日の出来事が頭をよぎる。
 もう冬なのに、あたしだけずっと夏の嵐の中にいるみたいだ。
 こんな事になるんだったら、最初っから入れ替わらなければよかった。
 半年近く彼に会ってないけれど、気持ちは全然静まってなんかない。
 でも、もう二度と会う事なんて出来ない。会わす顔なんてない。
「アメリカにでも留学したい……」
「伊集院くんじゃあるまいし、真帆には無理だって! 大体英語の点数29点だったんでしょ?」
「…………」
 でも、本当にそれくらいしてしまいたい気分だった。あたしのことも姉さんのことも、誰も知らないところに行きたい。
 うなだれながら下校する。
「ただいま……」
 そしてため息。
 ため息をつくと幸せが逃げていくらしいけど、この半年間ずっとこんな感じだったから、もう一生分くらいの幸せが逃げているんだと思う。
 部屋に入ろうと階段を上る途中で電話の呼び出し音が鳴った。
「母さん? 姉さん?」
 誰もいないようだったので、階段を急いで下りて電話に出る。
「もしもし?」
『白雪さん?』
 聞きなれた声に、受話器を落としそうになる。
「は、はい? そうですけど」
 久々にする姉さんの口真似。これでよかっただろうか。
 なんで彼は急にうちにかけてきたんだろう。
 姉さんだって夏からずっと、彼とデートに行ってる気配はなかったのに。
 心臓の鼓動が体中に響く。
『二学期から、白雪さんの態度がそっけなくなったのは何でなの? 今まで聞いても答えてくれなかったけど、今日、電話したら教えてくれるって言ってたよね?』
 そんな事、あたしは初耳だ。
 姉さんがそっけないってのも、今日の電話の約束っていうのも。
 彼の口調は別にあたしたちを責めてるって感じじゃないけど、なんて答えたらいいんだろう。
 姉さんはなんでそんな事言ったんだろう。
「ええっと……」
 姉さんはいつ帰ってくるんだろう。早く帰ってきてほしかったけど、きっと夜まで帰ってこない気がした。
 どうしてあたしは電話に出ちゃったんだろうか。
 せめて声のよく似た家族のふりをして押し通せばよかった。
 でも、久しぶりに聞く彼の声は、電話越しでもとても優しく響く。ずっと聞きたかった声だ。
 もう少しだけ、話していたい。
「……私、学校のみんなに隠してる事があるんです。その事と関係してるんです」
『その隠してる事って、なに?』
「それは、今は言えません……」
 姉さんがお膳立てしてくれたとはいえ、どこまで喋っていいのかわからない。
 なんていうのは建前で、この期に及んでも、あたしはやっぱり彼に嫌われたくなかった。
「……あんまりあなたと仲良くして、その秘密がばれてしまうのが怖かったんです。それがばれそうになったから、もう、仲良く出来ないって思って」
 なんて身勝手な言い分だろうと自分でも思う。
 視線が、徐々に足元へ下がっていく。
「すみません……」
『その仲良くできないって言うのは、俺が嫌いになったからじゃないんだ?』
 もっと隠してる秘密について追及されるかと思ったんだけど、違うところに食いつかれた。
 さっき、彼は姉さんがそっけないって言ってたけど、それは姉さんが彼を嫌いになったってことではないだろう。
 単純に彼を好きなあたしが行かなくなったことで相対的にそう感じるようになっただけだと思う。
 姉さんはむやみに人に冷たくする人間じゃないから。
「はい。私、が悪いんです」
 私達と言いそうになるのを飲み込む。
 双子だってのをばらす決心がつかなかったっていうのもあるし、姉さんを好きな彼のことを、あたしが勝手に好きになったのが悪いんだって思ったから。
『じゃあさ……』
 そして彼の口にした言葉が予想外すぎて、あたしは目を見開いた。
『24日って、白雪さんの誕生日だよね? プレゼント、持って行っていいかな』
「で、でもっ」
『俺の事が嫌いで仕方ないんだったら遠慮するけど、違うんでしょ?』
「でも、秘密を知ったら……」
 彼の方が私を嫌いになるかもしれない。けれどそれは当然の報いだった。
『俺は白雪さんとまた仲良くしたいし、白雪さんも俺の事を嫌っていないんだよね。ゲームセンターとか、海とか、遊びに行った時はとても楽しかったよ』
 そのどっちも、あたしが行った場所だ。姉さんじゃない。
『それに、いつも白雪さんは俺と遊ぶときすごくおしゃれして来てくれて、それも嬉しかったんだ』
「あ、ありがとう……ござい、ます」
 大人しい言葉を無理やり使う事に、どのくらいの意味があるのだろうか。
 だって、彼だってあたしと遊んだ思い出を楽しかったって言ってくれている。
『よかった』
 彼はあたしといて、楽しいと言ってくれた。
 それだけであたしは、全てを許されたような気分になった。我ながら単純だけど。
『白雪さん、今度の日曜日に家に行くから待っててよ。今度は何も用事を入れないで』
「……はい」
 その後も少しだけ言葉を交わしてから受話器を置いた。
 外では静かに雪が舞っていた。





※この話は、2005/3/21ごろに書いたものを2016/11/22に加筆修正しています。

 ここまで雷に怯える高校生ってちょっとどうだろう……と思いましたが、まあ清川さんのイベントもあるし。



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