003:荒野 焼けるような日差しが照りつける夏の荒野で走る。 そんな夢を見た。 「セナ、おはよう!」 「……えっ」 ぼうっとしたまま体を起こすと、 グラスの載ったお盆と大きな鞄を持ったまもり姉ちゃんが部屋に入ってきていた。 僕はといえば、夢の名残のアメリカの光景とこの平和な部屋のギャップに まだ少し頭を混乱させていた。 「ほら、一緒に夏休みの宿題やるって約束したでしょ?」 確かに、空港についた時くらいにそんな約束をしたような覚えがある。 しかしその時は過酷なアメリカ合宿から解放された、 という喜びと疲労感でそれどころではなかった。 「とりあえず顔洗ってきなよセナ」 「うん」 お腹はぐうぐう言っていたが、あの鞄の中にコンビニのビニール袋が入っているのが見えたので 洗面所で身だしなみを整えた後はまっすぐ部屋に戻った。 「セナ、サンドイッチとおにぎりどっち食べる?」 「おにぎり」 案の定、部屋ではまもり姉ちゃんがビニール袋から色々なものを取り出して テーブルの上に並べていた。 いつの間にかカーテンは開け放たれて、部屋には真夏の日差しが差し込んでいる。 エアコンがつけられているので部屋の中は快適だが、多分外はとても暑いのだろう。 「まもり姉ちゃん、家で食べてこなかったの?」 サンドイッチのビニールを剥いているまもり姉ちゃんに聞く。 家で食べてこなかったなんて、珍しい。 「どうせセナが食べてる間暇を持て余すんだったら一緒に食べた方がいいじゃない。はいウーロン茶」 「ありがとう」 受け取ったグラスの中身を一気飲みする間、じっと顔を見られる。 「なに?」 空になったグラスにウーロン茶を注いでくれながらまもり姉ちゃんが口を開く。 「セナ、結構日焼けしたね。なんかたくましく見えるよ」 「そ、そうかな」 「うん。入学した時と比べたら本当にたくましくなってるよ」 見られているのに恥ずかしくなって目を逸らす。 「ま、まもり姉ちゃんはあんまり日焼けしてないね」 黒いタンクトップから伸びるまもり姉ちゃんの腕が、 色との対比のせいもあるのだろうけど白くまぶしく見える。 「日焼け止め塗ってたし、私はみんなみたいに走ってたわけじゃないから。 ……あれ、でも、そういえばセナも主務なのになんでみんなみたいに日焼けしてるの?」 不思議そうに呟かれてぎくりとする。 「き、きっと体質だよ! それより宿題やろうよ!」 「それもそうね」 まもり姉ちゃんは人に対しての気遣いは完璧といっていいほどなのに、 どういうわけかアイシールドの正体にはさっぱり気付かない。 それほど僕=貧弱、というイメージが染み込んでいるのだろうか。 「…………」 少し落ち込んでしまう。 僕とまもり姉ちゃんは幼馴染で、お互いの事はよく知っているはずで。 なのに正体に気付かないというのは、なんなのだろう。 保護者は保護者でしかないという事だろうか。 「このwhenは疑問詞じゃなくて接続詞だから……」 一生懸命英語のテキストの説明をしてくれているが、あまり入っていかない。 僕を守るため、とか言ってアメフト部に入部してくれて 挙句の果てにはアメリカまでついてきてくれて、保護者にしては過保護すぎる行動があるせいで 期待してしまう自分が情けなくなる時もあるのだ。 「いつ、〜ですか? じゃなくて何々な時、っていう訳し方になるのね」 情けなくなる時。 僕はいつもヒル魔さんの事を思い出してしまう。 小さい時にまもり姉ちゃんの家で読んだ少女漫画では、お姉さん的な女の子と弟的な男の子、より 普段は喧嘩ばかりしているけれど……というパターンが多かった。 なんとなく、それを思い出してしまう。 そしてそんな小さい時に読んだ少女漫画の記憶まで引っ張り出してきてしまう自分が 更に情けなくなるのだ。 「だからこの文は、『私が若かった時、私はアメリカに行きました』ってなるの。わかった?」 「う、うん」 ほとんど説明なんて聞いていなかったので、せめて答えだけはノートに書きとめておく。 アメリカ、か。 「じゃあ次ね」 うつむくと、色素の薄い前髪が揺れてその下の優しい瞳が隠れる。 まもり姉ちゃんへの恋心を自覚したのは、アメリカへ行くよりもずっとずっと前の頃だ。 その頃はアメフトなんてやっていなかったから、 まもり姉ちゃんを心配させないようになるなんてずっと遠い未来の話だと思っていたけれど、 アメリカ合宿を終えた今は違う。 確実にその日が近づいてきているように思えるのだ。 灼熱の太陽の下、あのどこまでも広い荒野の下で、僕は確かに以前よりも強くなっているのだ。 ……まもり姉ちゃんは、まだ気付いてないけど。 「……あれ、セナ。ルーズリーフもうないの?」 「そうみたい」 ルーズリーフの入っていたビニール袋は買った当初に比べてずいぶん薄くなっている。 「じゃあコンビニまで一緒に行こうか」 「まもり姉ちゃんも?」 「……今朝コンビニに行ったら新発売のシュークリームがあったから」 どちらにせよ、まもり姉ちゃんを一人家において出かけるのはよくないだろう。 「行ってきます」 涼しい室内から一転、蒸し暑い空気になんだか眩暈がする。 強い日差しは同じだけど、ただ荒れ果てて広いアメリカの荒野とは違い 高いマンションや電柱などで狭く感じる日本の道。 「セナ、大丈夫?」 「平気だよ」 コンビニへ向かって歩いていると、向こうから見知った顔がやってきた。十文字くんだ。 「よう」 「おはよう」 おはようってより、もう「こんにちは」の時間だけど。 「いつも一緒にいるよな、セナと姉崎先輩」 まじまじと十文字くんが僕たちを見る。 「そ、そんな事ないよ。十文字くんは今日は一人?」 「いや、これから黒木の家に集まる所だ」 そう言って十文字くんが苦笑する。 「俺もいつもおなじ奴らとばかりつるんでるな。人の事言えねえか」 それから五分くらいたわいもない話をしてから別れる。 「ごめんね、待たせちゃって」 僕が十文字くんと話している間中、まもり姉ちゃんはただ立って待ってくれていた。 なのにまもり姉ちゃんはにこにこと嬉しそうに笑っている。 「ううん、いいの。……いこ、セナ」 機嫌良さそうに歩くまもり姉ちゃんの後ろについて歩くと、 弱虫だった昔に戻ったかのような錯覚を覚える。 慌てて隣に並んだ。 「いつの間にか十文字くん達とも仲良くなってるんだもんね。セナ、偉いっ」 まもり姉ちゃんの手が僕の頭を優しく撫でる。 これも子供の時のようだったけれど、これは嫌ではなかった。 「なんかアメフト部に入ってからだよね、セナがたくましくなったのって。 この調子だったら私があまり心配しなくても大丈夫かな」 その言葉に、心臓が大きく音を立てる。 まもり姉ちゃんが心配しないくらいの自分になる。 それは、長い間の僕の目標ではあったけど、不安もあった。 もし僕がもの凄くしっかりしてたくましくなって、 まもり姉ちゃんに心配されないようになったらそのままこの付き合いも終わるんじゃないだろうか。 ただの保護者だった、なんて事を自覚してしまうのは嫌だった。 願いがまだ現実味のなかった頃、 あの荒野で走っていた時まではただ純粋に目指していられたのに。 でも、まもり姉ちゃんは嬉しそうにしている。単純に僕の成長が嬉しいからだ。 その底にある感情はまだわからない。いつかわかる日が来るだろうか。 夏の陽射しに、色々なものが照らし出されるように。 / --------------------------- + * + --------------------------- /
セナ絡みカプは結構色々好きです。 ちなみに進>まも姉>十文字≧鈴音くらいの順番で。 BACK...TOP |