002:階段


 授業が終わると掃除の時間だ。
 今週は掃除当番ではなかったため、俺は生徒達で込み合う階段を縫うように移動しながら降りていた。
「おーい、純」
 踊り場のあたりに差し掛かった時に上の方から俺を呼ぶ声がした。
 振り返るとちょうど匠が俺に向かって竹刀袋を放り投げるところで、他の生徒にぶつからないよう、慌ててキャッチする。
「それ忘れてどうするんだよ。部活に行くんだろ?」
 かなり呆れた顔をして、匠は階段を下りてきた。
 結局降りてくるんなら手渡せばいいだろ、とは思ったが、指摘自体はもっともなので頭を下げる。
「すまん」
「あ、もしかして」
 匠も踊り場の所まで下りてくると、にやりと笑った。この笑顔にはろくな予感がしない。
「……なんだ?」
「おまえ、一文字さんの事を考えてぼーっとしてたんじゃないのか?」
 断じて言うが、別に今は一文字さんの事を考えていたわけではない。
 確かに、この春一文字さんと同じクラスになって、彼女のことを好きになったというのは紛れもない真実だ。
 俺にとっては初恋なので、うろたえたりみっともない行動をとったりしている自覚はあるが、四六時中一文字さんの事を考えているわけではない。
「そ、そんなんじゃ……」
 なのに俺の頬は気持と裏腹に赤くなり、まるで一文字さんのことを考えていましたと言わんばかりだ。
「まあそう照れるなって。一文字さんはかわいいし明るいし、俺もいい子だと思うぜ。それになんていってもあのバスト……」
「なっ……!」
 匠の言葉で、反射的に水泳の授業で見た水着姿を思い出してしまう。
 一文字さんが他の同級生と比べて豊満な肉体を持っているのはたしかにそうなんだろうと思うし、俺だって意識しないわけではない。
 しかし、それと同時にそんな邪念が浮かぶ自分がとても恥ずかしくなるのだ。
 普段匠には世話になっているが、こういう時にはそんな感謝の気持ちという物が消し飛んでしまう。
 どうしてやろうか、と竹刀袋を握り締めたその時。
「ほーかーりーくーん」
 真上からまた俺を呼ぶ声がした。
 まさかと思って見上げると、階段の手すりから身を乗り出して一文字さんが手を振っていた。
「い、いいい……」
 俺の顔は更に熱くなり、もう金魚のように口をぱくぱくさせる事しかできない。
「俺、邪魔者みたいだから退散するなー」
 にたあ、と嫌な笑みを浮かべて匠が階段を下りて行った。
 後で絶対色々聞かれるな、と思うと少し嫌な気持ちになったが、それはきっと匠と知り合った時点で覚悟しておかなければならない事だったのだろう。
 どうして俺は匠と知り合ってしまったんだ。
 そんな風な事を思いながら匠の後ろ姿を恨めしく見ていたが、ふと気が付くと一文字さんが俺の後ろに立っている。
 予想外の接近にぎょっとして、俺は思わず後ずさりしようとした。
「あ! ダメダメ」
 腕を掴まれ、あえなく引き寄せられる。
 制服のワイシャツ越しにやわらかい一文字さんの手の感触がある。
 ひんやりして感じるのは、もともとの一文字さんの体温なのか、それとも俺の体がほてっているからなのか。
「ここが階段だって事、忘れてるでしょ?」
「あ、ああ……」
 頭がパンクしてしまいそうだったが、なんとか平静を保ってうなずいた。
「ちょっと穂刈くんに用事があったんだ。教室はまだ掃除中だからさ、ここで話そ」
 俺がむやみに逃げないようにという配慮なのか、踊り場の隅の方にそのまま引っ張られる。
「で、ボクの用件なんだけどさ」
 そう言って俺の顔を見た一文字さんがちょっと笑う。
「顔真っ赤だよ。大丈夫?」
 この顔の赤さが風邪などによるものではない事は多分一文字さんもわかっているのだろう。
 今までだって一文字さんと遊んだことはあるし、俺はそのたびにみっともなく赤面している。
 もちろん直したいと思ってはいるが、どうしようもなかった。
 踊り場から見える一階の廊下はあと10分もすれば剣道部の仲間が武道場に行くのに通りがかるだろう。
 そうすればこちらから向こうが見えるのと同じように、向こうからもこちらから見えてしまうのだろう。
 たまらない、と思った。
 なぜ俺はこんなに情けないんだろうか。
「……なんで匠や他のやつらは平気なんだろうな」
 ぼそりと呟いた一言は、しっかり一文字さんの耳に届いてしまったらしい。
「きっと慣れの問題だよ」
「へ?」
「だから、穂刈くんがそうやって女の子意識しちゃったりするのはきっと免疫がないからなんだよ! 慣れれば大丈夫!」
 確かにそういう話はよく聞く。
 慣れてしまえば嫌いなピーマンも、怖い幽霊話も平気で受け付けられるようになる。
「……なんてね。これはただ、ボクが勝手に穂刈くんを誘おうと思って理屈つけてみただけなんだけどさ」
 照れたように一文字さんが笑う。
 その表情はとてもかわいかったと思うんだが、その時の俺はそれより彼女の発した言葉の方で頭がいっぱいだった。
 俺を、誘おうと、思って?
「よかったら来週の日曜日、遊園地でも一緒に行かないかい? バス停前で集合ね!」
 一文字さんはてきぱき喋り、そのテンポにおされて、俺は気がついたら首を縦に振っていた。
 いや、どちらにしても俺が一文字さんの誘いを断るなんてことはありえないが。
「良かった、断られたらどうしようかと思っちゃった、ボク」
 嬉しそうな表情になって、それじゃあねと一文字さんがきびすを返す。
 俺はデートの約束に少しぼうっとなっていたが、はっとして彼女を呼び止めた。
「あ、一文字さん!」
「ん? なになに?」
 階段を登り始めていた一文字さんが振り返る。
 登った段の分だけ、普段より目線が高い。
「なにか用件があったんじゃないのか?」
 遊園地に行く話だけで終わっていいのだろうか。なにか別の用事があったのではないだろうか。
 俺は真剣にそう思っていたのだが、一文字さんはおかしそうに目を細めた。
「ああ、それ? いいのいいの」
 最初っから遊園地に誘おうと思ってたんだからさ、と囁かれたんだと気付いた時には、既に一文字さんは階段を登り終えていた。
「それじゃ、部活頑張ってね!」
 さわやかに笑って手を振ってくる一文字さんはやっぱり素敵で、そんな彼女と一緒にいてドキドキしなくなる日は来るのだろうか。
 今もまだ耳元に囁き声の余韻が残っていて、俺の鼓動は高鳴っているのに。
 それでも日曜日はとても楽しみな事に変わりはない。
 晴れるといいな、と思った。





※この話は2005/6/16以前に書いたものを2016/11/21に加筆修正しています。

 一文字さんファンの人ごめんなさい。
 一文字さんはいい子なので大好きですが、純も男前なのでこのカップリングを応援しています。
 純はとてもかっこいいのでGSで攻略したかったです。


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